034_門の先はまだ見えない
ザナの弓は、ハウの槍よりずっと短かった。
律は弦を引かずに握りを確かめ、肩の矢筒へ右手を伸ばした。一本の矢を抜き、すぐに戻す。
腰には短刀があった。
奈緒は、原稿の中でしか並ばなかった四人を見た。
哲史が槍の石突を床へつける。
その横へ千景が立ち、少し離れて律がいる。
まだ、同じチームとして登録されたわけではない。
「基礎の確認は終わっています。今回は経路確認の試験です」
区画の案内音声が流れた。
施設の担当者には、使う地形と標的の種類だけを伝えていた。配置は、哲史たちにも伏せてもらっている。
白い床へ倉庫と荷台が現れた。
四人は南側の壁際にいる。
正面に荷台。その向こうに、北へ出る門があった。門の上半分は見えるが、荷台の裏と門までの地面は隠れている。
西側には排水溝に沿った通路があり、荷台の脇へ回れる。
奈緒は北の門を指した。
「私たちは、あの出口へ行きたい。律には横の通路から、荷台の向こうを見てきてほしい」
「三人は?」
「今回はここで待つ。律の報告を聞く。時間は二分」
律は通路と南の壁を見比べた。
「分かった」
開始音が鳴る。
律は西の通路へ歩いた。
角へ着く前に、排水溝の蓋へ目を落とす。
格子の隙間から、暗い水面が細く光っていた。
「水がある」
奈緒にも、足元の水は見えた。
律はそこへ屈まず、溝の先を指した。
「曲がった先まで続いてる」
その先は、ここからでは見えない。
律が片手を水へ向けた。
格子の隙間から白いものが立ち上がる。
最初は足首の高さだった。通路に沿って伸び、荷台の角へ届くころには腰までを隠していた。
奈緒と哲史の間には、何も出ない。
哲史が左へ顔を向けた。
白くなった通路の手前で、律は足を止めている。
右手は、矢へ伸びなかった。
「奥、二つ動いた」
「人影?」
奈緒が尋ねた。
「霧だけ。姿はまだ」
律は片足を壁へ寄せた。
霧が押し分けられた場所は分かる。だが、その形を目で見たわけではなかった。
白い中へ矢を射ず、角の手前まで進む。
右肩を壁へ沿わせて屈むと、荷台の床と地面の間に隙間が見えた。
車輪の向こうを、四角い影が動く。
止まる。
少し離れたところで、今度は二本の脚が動いた。
律は隙間を覗いたまま、頭の位置を横へ変えた。
箱だった。
地面に置かれた箱を、標的が長い棒で押している。箱が動いたあと、標的が追いつき、もう一度押す。
霧が、順に乱れた。
「一人。もう一つは荷物」
律の声が返る。
「荷台の向こう?」
「うん。下から見た」
奈緒は端末の白地図へ、確認できた一人だけを置いた。
律は標的を追わず、荷台の角を見る。
北の門までは、まだ見えていなかった。
◇
箱を押す音が遠ざかった。
律は膝を上げ、荷台の西側へ顔を出した。
床板の縁を、左手でなぞる。
門の手前に、低い段差があった。
そこまでの舗装には誰もいない。先ほどの標的は、箱と一緒に東へ移っている。
門の向こうは、壁が折れて見えなかった。
「出口の手前まで。先は見てない」
律が言った直後、荷台の反対側で金属が鳴った。
弓を備えた射撃標的が、床板の上へせり出す。
律へ照準が向いた。
律は上を見続けなかった。
荷台から離れ、通ってきた壁の角へ一歩戻る。同時に、荷台沿いの霧が床板の高さまで膨らんだ。
弦が鳴る。
矢は白い中を抜けた。
直前まで律の顔があった場所を通り、背後の壁へ当たる。
律は角の内側にいた。
矢が落ちる音を聞いてから、弓を持つ手を壁から離した。
「右、弓」
千景が南の壁から顔を上げる。
右には倉庫の出入口があった。だが、射撃標的は見えない。
「誰から見て右ですか」
返事まで、一拍空いた。
「私から。荷台の右端。上にいる」
千景は荷台を見直した。
霧の上で、弓の先がわずかに動いていた。
「荷台の上ですね。見えました」
奈緒も地図へ位置を加える。
律は角から出なかった。
霧の奥で、先ほどの乱れが近づいてきた。
箱を擦る音は、もうしない。
律は屈み、荷台の下を再び覗く。
棒を持つ標的が、西へ向きを変えていた。腰を低くした律のいる角へ、荷台の向こう側を歩いてくる。
門の手前は空いている。
今なら、そこへ走れる。
だが、角を出て門へ向かえば、この標的が帰り道へ入る。門の向こうに何がいるかは、まだ分からない。
律は視線を門から外した。
「戻る。棒の一人がこっちへ来る」
「律が通った道へ?」
「うん。荷台の西側」
哲史が南の壁から、その角を見た。
「分かった。こっちは空いてる」
律は矢を一本抜いた。
角から弓だけを先に出さず、膝を曲げたまま上体をずらす。近づいてくる標的の脚が、薄い霧の下へ出た。
弦を引く。
矢は標的の足元へ刺さった。
標的が棒を前へ出し、歩みを止める。
律は命中を確かめるために残らなかった。
弓を下げ、排水溝沿いへ身体を返す。
帰り道の霧を薄くした。
南の壁まで、灰色の舗装が見える。そこへ入った敵はいない。
律は走った。
荷台の上で、次の弦が鳴る。
矢は壁の角へ当たり、石片を落とした。律はその角をもう曲がっていた。
奈緒の前へ戻る。
靴底が擦れ、弓を持つ手が膝へ触れた。
「戻った」
千景が横へ半歩ずれた。
律を内側へ入れ、自分の小盾を通路へ向ける。
荷台の向こうには霧が残っていた。
律は息を整えながら、その白さを少しずつ薄くする。
試験終了の音が鳴った。
◇
接続を終えると、律は椅子の前へ立ったまま結果を待っていた。
「座って。映像、一緒に見よう」
奈緒が隣の椅子を引く。
律はそこへ腰を下ろした。
まず、荷台の裏側が映った。
箱を押す標的。
少し離れて設置された射撃標的。
奈緒が置いた二つの印は、それぞれが確認された時点の位置に重なっていた。
「最初の二つを二人だと思ってたら、弓が出たとき三人いることになってた」
奈緒は箱の映像を止めた。
「そこは、ちゃんと見に行ってくれたんだね」
律は頷く。
膝に置いた指が、少しだけ緩んだ。
「門の先は、見られなかった」
「でも、門の手前に敵がいないのは確認できた」
哲史は、門の手前で映像を止めた。
「そこまで分かれば、俺は前に出られる。門の先は、近づいてから確かめればいい」
「私なら、荷台の弓へ盾を向けて奈緒さんを通せます」
千景は荷台と段差の間を指した。
「棒を持った一人が西へ来るなら、奈緒さんをそちらへ寄せないようにします」
「俺は門の手前へ出られる」
哲史が続けた。
律の視線が、三人を順に移った。
自分が見た道へ、別々の武器が向けられていく。
奈緒は空白だった門の先へ、未確認と書いた。
「全部分からなくても、次に見る場所は決められる」
律は画面へ身を寄せた。
止まった映像の中では、荷台の上の弓が、まだ誰もいない角を狙っていた。
「ここ、霧を残せる」
律が指す。
「門の方は、白くしないで」
奈緒が言った。
「哲史が動くところは見てたい」
「うん。荷台だけ」
律の指が、霧を広げる範囲を小さくなぞった。
哲史は別の映像を開いた。
南の壁で待つ、三人の姿だった。
『奥、二つ動いた』
『人影?』
奈緒が画面の自分を見た。
次に、荷台の上から矢が放たれる場面へ進む。
『右、弓』
『誰から見て右ですか』
千景が違う出入口へ顔を向けている。
律の指が、端末の縁で止まった。
「そっちを、見てたんだ」
「はい。私は北を向いていたので」
千景は、自分の向いていた方向を示した。
律が荷台の脇から見た右と、千景の右は違っていた。
どちらの映像にも、同じ弓は最初から映っていない。
「聞き返してもらった」
律が言った。
奈緒が頷く。
「今は、聞けた。私たち、何もしてなかったから」
再生中の哲史は、槍を地面につけている。
千景の小盾にも、矢は飛んでこない。
奈緒は誰の動きも補正していなかった。
律は自分が映っていない画面を、もう一度最初から見た。
霧が二度動いたとき、奈緒は白地図へ二つの印を置きかけていた。
弓を知らせたとき、千景は別の場所を探していた。
律の口が、わずかに開く。
何か言う代わりに、二つの再生位置を指で確かめた。
「次も来られるか」
哲史が聞いた。
律が顔を上げる。
「うん」
「次は、四人でやってみよう」
千景が端末を自分の方へ少し向け、候補日を開いた。
奈緒も椅子を寄せる。
律は原作の端末を鞄へしまいかけて、手を止めた。
あのページを、もう一度だけ開く。
ザナが壁の向こうを覗いている。
離れたコマで、ハウたちは前へ進んでいた。
律は端末を閉じ、三人へ向き直った。
「うん。やってみたい」




