033_四人目に頼むこと
募集欄には、まだ一文字も入っていなかった。
奈緒はその横で、昨日の試合を再生していた。
画面の中の哲史が、短剣を投げる。
最後の相手が顔を傾けた。その下から長い剣が伸び、胸を掠める。相手は大きく退いたが、踵が木の根へ触れて止まった。
千景の指が、机の縁へ掛かる。
「肩と脚が、残っていれば」
「届いてた」
哲史は、画面の右膝を見た。
身体を支えるはずの脚が折れる。最後まで握っていた剣より先に、棍棒の端が顎へ入った。
映像を止めた。
奈緒は再生位置を戻した。
仲間が消える前へ。
倒木の上で、一人を倒した哲史が振り返っている。その後ろへ入れる場所は、一度できていた。
「ここに、三人で入ってたら」
奈緒は倒木の向こうを指した。
「あの肩の傷は、受けなくて済んだかもしれない」
「左から来た一人が、まだ残る」
哲史の指が、画面の端へ移った。
奈緒と千景は後ろを向いていた。哲史は前の相手を崩していた。
木の間を走る一人を、その瞬間には誰も見ていない。
「ここを見に行けば、私は奈緒さんの前から離れます」
千景が言った。
「そこにいてほしい」
奈緒は答え、空白の募集欄を開いた。
索敵担当募集。
そこまで打って、手を止める。
「これだけじゃ、敵を見つけてくれればいいって読めるね」
「見つけたあと、俺たちへ戻す情報が要る」
哲史は昨日閉じた原作を開いた。
ハウが前へ進むページだった。
◇
ザナは、そのページでは一度も弓を引いていなかった。
水路の縁に屈み、片手を水の上へ向けている。
次のコマで、細い霧が石壁の角へ伸びた。ハウとマリが進む正面の道は、白くなっていない。
霧の奥が、二か所だけ乱れる。
ザナはそこへ矢を射なかった。
水路から離れ、壁の低くなった場所へ移る。最後の小さなコマで、角の向こうを覗いていた。
「霧で人数が分かるわけじゃないんですか」
千景が聞いた。
「動いた場所は分かる。でも、人か荷物かは別」
奈緒は次のページをめくった。
壁の裏に、荷車があった。
片側の車輪が溝へ落ち、兵士が後ろから押している。身体と荷台が別々に霧を押し分けていた。
「ここで、見てる」
哲史が、ザナの覗いたコマへ戻した。
「その間も、ハウは歩いてるな」
「アンハナも、マリの横です」
千景の指が二人を辿った。
別の場所を見る一人のために、前の三人が並び直してはいない。
奈緒は、膝の上の原稿を机へ置いた。
描いたときには、一人ずつ必要な場所へ立たせただけだった。
自分がマリになってから、あの小さなコマを千景へ頼むたび、誰の盾がなくなるのかを知った。
「ザナを使って、別の道を確かめられる人」
募集文へ打ち込む。
「見たところと、まだ見ていないところを伝えられる人」
「途中で敵を見つけた場合は?」
千景が聞く。
「倒せるなら倒してもいい。ただ、道の確認を捨てて追われると困る」
哲史は画面の荷車を指した。
「こいつを倒せるかより、俺たちが横を通れるかを先に知りたい」
奈緒は応募条件の欄に、試合映像の提出を加えた。
撃破場面だけでなく、移動や報告を含む映像。
千景が一度、最後まで読み直す。
「私が確認に行かなくて済む間は、奈緒さんの前に残ります」
「うん。そこを任せたい」
奈緒は公開のボタンを押した。
五つの登録枠のうち、空いている一つが募集表示へ変わった。
◇
最初の応募は、その日のうちに届いた。
何日か待つと、三人で見比べられるだけの映像が集まった。
哲史が再生していた映像では、弓を持つ選手が崩れた窓から一人を射抜いていた。
残った相手が逃げる。
選手は窓を越え、角を曲がった。次の矢をつがえる動作も速い。曲がった先で二つ目の撃破通知が出た。
「うまい」
哲史が言った。
奈緒は再生を止めず、その先を見た。
味方の声が入る。
『窓の先、抜けられる?』
返事の前に、選手が次の遮蔽物へ走った。戦闘が続き、窓の先はもう画面に映らない。
「あの窓を使うかどうか、まだ返ってない」
奈緒は、今の三人がそこへ来たところを想像した。
哲史が前で戦い、千景が自分の横にいる。
誰かが窓を見直すなら、結局その二人のどちらかを動かすことになる。
「この人を前に出して、私たちが合わせるなら強そうですね」
「ああ。でも、今頼みたい仕事とは違う」
哲史は次の映像を開いた。
今度は、なかなか敵が現れなかった。
薄暗い建物の中。割れた窓から、向かいの壁と細い路地が見える。
一人が、路地を横切った。
『一人通過。その先は見てない』
女の声だった。
画面は逃げた相手を追わない。
窓から離れ、廊下を進む。次の部屋の窓へ屈んで近づき、先ほどとは別の通りを映した。
『出口、空いてる』
『どこまで?』
『向かいの階段まで』
そこで映像が終わった。
撃破通知は、一つも出ていない。
奈緒が応募欄へ戻す。
瀬尾律。
二十一歳。競技歴は二年。
添えられた文章は、使ったキャラクターと試合名、それから確認した経路の説明だけだった。
「短いね」
「別の窓へ行ったところ、もう一度」
哲史が言う。
奈緒は再生位置を戻した。
敵が消えた角を、画面は振り返らない。別の窓から、味方が向かう先を見ている。
「追うのをやめたんじゃない。こっちを確かめに行った」
哲史は階段を指した。
千景が隣から頷く。
「この階段までなら、私も奈緒さんと動けます」
奈緒は面談の日程を開いた。
◇
登録施設の待合で、律は原作を読んでいた。
奈緒が名前を呼ぶと、顔を上げた。
肩にかかる髪を片側だけ耳へ寄せ、端末を伏せる。
「瀬尾律さん?」
「うん。律でいい」
「藤代奈緒。原作を描いてるのは私。こっちが哲史で、久瀬千景」
「よろしくお願いします」
千景が頭を下げる。
律も小さく頭を動かした。
「よろしく」
それから、自分の隣に置いていた鞄を膝へ移した。
奈緒が空いた席へ座る。
「読んでくれてたんだ」
律は伏せた端末を返した。
映っていたのは、ザナが水路を離れるページだった。
「このあと、ハウが止まらないから」
指が、次のコマへ移る。
奈緒は端末へ顔を寄せた。
「道を見てる間も、ってこと?」
律が頷いた。
「ここで見つけた道を、使ってほしい」
奈緒は、先ほどまで用意していた質問を一つ忘れた。
どの戦闘が好きかは、聞くつもりだった。
弓を一度も引かないページを出されるとは思っていなかった。
「私、そこは描くか迷った」
律の指が止まる。
「なくても、次の戦いは始められるから」
律は前のページを見直した。
霧が動いたコマと、ザナが壁の向こうを覗いたコマを交互に指す。
「ないと、霧で全部分かったことになる」
「そう。それは違うんだよね」
奈緒は思わず声を強くして、隣の席を見た。
哲史は黙って聞いていた。
千景は端末のページを、もう一度最初から追っている。
奈緒は咳払いをして、試験用の画面へ切り替えた。
「この前の試合。募集の理由になった場面を先に見てもらってもいい?」
「見た。もう一度見る」
律は端末を両手で持った。
倒木の突破から再生する。
奈緒と千景が落ちる。哲史が武器を替え、一人、また一人と倒す。
最後の相手が棍棒を低く構えた。
哲史が跳んだ。
律の顎が引ける。
膝の上で、鞄を抱えた腕が固くなった。
奈緒がそちらを見ると、律は画面から顔を離し、小さく息を吐いた。
「今のところ?」
「そこ、もう一度」
奈緒が再生位置を少し戻しかける。
律は、そのさらに手前を指した。
「倒木のところ。横の道は、見えてた?」
「奥までは見てない。鏡を倒したところで戻ってもらった」
律は左の木立を見た。
「ここから来た人も?」
「うん。来るまで分からなかった」
律が頷く。
「見に行きたい」
「行ったあと、俺たちが使える道を知らせてくれ」
哲史が言った。
「前は俺が開ける」
律は初めて、端末から哲史へ顔を向けた。
「うん」
抱えていた鞄を足元へ下ろす。
試験接続の案内が、待合の画面に出た。




