027_確かめている間に
音が偽物だと分かっても、安全圏は樹林側のままだった。
奈緒は二本の道を見比べる。
左は中庭へ出る。そこから先へ行くには、植え込みと建物の間を通らなければならない。千景にも見えていない場所が残っている。
右は排水溝沿いだ。
手前の角まで、舗装が見える。三人が並んで戦うには狭いが、一人ずつ進み、壁の出っ張りで止まることはできる。
「右にしよう。あの角までなら足元が見える。安全圏へも近い」
「奥はまだ見ていません」
「うん。あの角で、もう一度止まる」
奈緒は排水溝の先、壁の欠けた部分を指した。
「私はあそこまで。千景が曲がり角を見る間、哲史は私の前」
哲史は中庭側へ顔を向けた。
まだ同じ音が鳴っている。
「後ろから本物が来たら、音だけで片づけるな」
「足音が増えたら伝えます」
千景が答える。
三人は右へ向きを変えた。
哲史が先に排水溝の手前へ出る。
盾を前へ向け、壁の出っ張りまで進む。奈緒へ振り返り、手を動かした。
奈緒が石壁の陰を離れる。
千景はその後ろを歩いた。小盾を中庭側へ向け、鉤剣の先を足元から離す。
排水溝には浅く水が溜まっていた。
奈緒は溝を跨がず、建物側の舗装へ足を置いた。壁から剥がれた小さな石を避け、哲史のところへ着く。
背中に、壁が戻った。
「ここにいる」
奈緒が告げる。
千景は奈緒の位置を見てから、哲史の横を抜けた。
前の角へ進む。
哲史はついていかなかった。
奈緒の前で、右の通路と左後ろの石壁を交互に見る。
音が、建物の向こうへ遠ざかった。
千景が次の角を覗く。
曲がった先には細い舗装が続き、その向こうに樹木の根元が見えた。建物の終わりまで、遮るものはない。
「角の先、建物の端まで人影はありません。その先は木が重なっています」
「奈緒までの道は?」
哲史が聞いた。
「開いています」
千景はその場から奥へ進まず、三人で見える距離まで戻った。
奈緒は建物の端を確かめた。
そこまで進めば、初めの石壁は見えなくなる。
「次は私が角へ移る。千景、いま見たところまで一緒に。哲史は後ろを見て」
千景が先に身体を返した。
奈緒がその左後ろへ付く。
哲史は二人が角へ着いてから、盾を後ろへ向けたまま下がった。
誰も追ってこない。
角を曲がる直前、哲史は中庭の建物の上を見た。
窓の奥で、暗いものが引いたように見えた。
顔までは見えなかった。
「中庭側の上。動いたかもしれない」
奈緒がそちらへ顔を向けようとする。
「もう隠れた。止まるな、角まで行け」
哲史も二人の後を追った。
◇
中庭を見下ろす窓から、選手が顔を引いた。
『午前零時の異常対策課』の五人のうち、一人だった。
呼び声の戦闘音は、まだ下で繰り返している。
先ほど、小盾を持った選手が左の角へ来た。
中庭へ入らず、様子を確かめ、引き返した。
その姿を見た時点で、窓の選手は反対側へ手を出していた。建物の裏、樹林へ続く道にいる味方からだけ見える位置だった。
掌を伏せ、短く下げる。
待っていた味方が頷いた。
音の方へ三人が踏み込めば、中庭側へ動く。
まだ、そちらの可能性は捨てていなかった。
小盾の選手が戻ったあと、三人は石壁の前で道を見比べた。
そして排水溝側へ向きを変えた。
窓の選手が、今度は樹林側を指した。
下にいた味方が走り出す。
三人が曲がり角を一つずつ確かめる間、その選手は既に通ってきた建物裏の道を抜けた。
樹林の縁へ着く。
排水溝沿いの出口は、まだ無人だった。
別の味方が、木の間から手を上げた。
走ってきた選手は速度を落とし、出口が見える幹の横へ立った。
息を整える。
少しして、小盾の縁が建物の端から見えた。
◇
「前に一人」
千景が止まった。
建物の端から、身体を半分だけ引く。
「出口の先。太い木の横です」
奈緒はまだ、角の陰にいた。
哲史が千景の横へ進む。
排水溝は建物の端で折れ、その外に樹林へ入る土の道があった。太い木が入口の右に立っている。
その幹の横に、人がいる。
こちらを見ていた。
逃げているところではない。
足を止め、出口から出る三人を待っている。
「左にも一人」
哲史が言った。
少し離れた木の間で、もう一人が位置を変えた。
右の一人へ寄らず、入口の左側が見えるところで止まる。
「見えたのは二人。残りは分からない」
奈緒が繰り返した。
「千景、私まで戻れる?」
「はい。いま通った建物沿いです」
「そこを残して。前へ出ないで」
千景は一歩を戻した。
奈緒と哲史の間に、小盾を入れられる距離を取る。
哲史は槍を長く構えず、盾の横へ添えていた。
向こうの二人は、追ってこなかった。
こちらが出口へ身体を出すのを待っている。
「さっき上で動いたの、あのチームだったのかな」
「かもしれない。顔は見てない」
哲史は中庭側の建物を振り返った。
いまいる角から、先ほどの窓は見えない。
音だけが小さく届く。
同じ大きな音。
軽い音が二つ。
「録音だったのは、合ってる」
奈緒が言った。
「中庭を戦場だと思って、すぐ逃げたわけじゃない」
「ああ」
「こっちの道も、見えるところを確かめて来た」
「だから、途中で襲われずにここで止まれた」
哲史は左の相手を見た。
木の根を越えた足が、出口へ向き直っている。
「でも、確かめてる間に、向こうも動ける」
奈緒は千景を見た。
左の角へ行く。
中庭を見て、報告して、戻る。
右の道を選ぶ。
次の角を、また見る。
その間、三人の誰も建物の裏を見ていなかった。
「最初から、ここにいたとは限らない?」
「俺たちを見てからでも、別の道なら先に着ける」
哲史は、敵が来た道を指さなかった。
見ていない道だった。
だが、いま目の前の二人には、待つ時間がある。
こっちは一つの角を確かめるたび、三人とも進むのを止めていた。
「じゃあ、確認しなければ」
奈緒は言いかけて止めた。
それでは、音に押されて右へ逃げるだけになる。
中庭が本当に戦場だったのかも分からず、いまより狭い情報で道を選んでいたはずだ。
千景が、小盾を握り直した。
「次も、見る必要はあります」
「うん」
奈緒が答えた。
太い木の向こうへ、右の相手が半歩下がった。
姿が幹へ隠れる。
千景は追わなかった。
ただ、見えなくなった場所を覚えた。
哲史は盾を少し上げた。
「音を信じて逃げても、確かめてから進んでも、見てる相手には俺たちが動くところが分かる」
奈緒は、千景が確かめに行った中庭の方へ顔を向けた。
「じゃあ、あの音は――」
「俺たちを、そこへ見に行かせるためだ」




