023_五番の先は行き止まり
鎖が、倉庫壁の前で張り詰めた。
「《テンション・チェイン》! 壁沿いを塞ぐ!」
鎖鎌役は、三番の剣を足元に置く位置まで回り込んでいた。両手を離し、木箱と倉庫壁の間へ鎖を渡す。
細い風が鎖に沿って走った。垂れていた中央が持ち上がり、千景の腰ほどの高さで伸びる。
三番の先へ入るには、鎖を越えなければならない。その向こうに鎖鎌役本人がいる。跳んだところを迎えられれば、足を着く前に次の一撃が来る。
奈緒は高架脚の陰から、別の入口へ目を移した。
五番がある。
頭上で、弩を構える腕が動いた。
「《ドリフト・カット》! 後ろを狙う!」
細い風をまとった矢が、奈緒へ向いた。
奈緒は肩を高架脚の陰へ戻した。荷台との隙間は狭い。ここから横へ身体を出せば、弩役から胸まで見える。
中央では、哲史の盾と敵の大盾が擦れ合っていた。
千景の前には戦鎚役。左右へ動くたび、長い柄の先が同じ側へ回る。千景を倒すだけでなく、奈緒へ戻さないための構えだった。
「千景、三番は鎖で塞がれてる。五番の入口から、私のところへ戻って」
「五番へ向かいます」
千景が足を引く。
戦鎚役の肩が上がった。
「《インパクト・ウェイト》!」
落ち始めた鎚頭が灰色に光る。
千景は小盾を上へ差し出さなかった。鉤剣を戦鎚の柄へ掛け、踏み込む相手の外側へ身体をずらす。重い鎚頭を持ち上げず、落ちる先だけを横へ逃がした。
舗装が砕けた。
千景は鉤剣を外し、五番へ走った。
「哲史、五番の剣より敵側へ水を出して。合図したら風で広げて、弩役から入口を隠して」
「分かった」
哲史は大盾の縁へ槍の柄を当てた。相手が押し返す力に合わせて左足を半歩引き、自分の盾を斜めにする。
大盾が正面から外れる。
空いた視界の端に、五番の柄が見えた。
その先は高架脚に隠れている。入口の幅までは分かるが、曲がった向こうの道は見えない。
哲史は五番と弩役の間へ、細かな水滴を散らした。
まだ風は起こさない。
大盾役が足を送り直す。哲史は盾を戻し、次の押し込みを受けた。
奈緒には、五番へ近づく千景が見えていた。
千景の先へ、弩の照準が動く。
戻り道を確かめたときと同じ手順だった。千景が角へ入る瞬間に、哲史が射線を隠す。千景は高架脚の外を回り、奈緒へ戻る。
千景の右肩が、五番の横を通った。
高架脚の裏へ曲がる。
そこで、足音が乱れた。
「止めてください!」
奈緒は、風を広げる合図を呑み込んだ。
◇
千景の前には、崩れた壁があった。
大きな壁材が斜めに倒れ、高架脚との間を埋めている。左には荷台の側面。右へ身体を滑り込ませようにも、崩れた縁と柱の隙間へ小盾が入らない。
千景は左足を強く着いた。
靴底が擦れる。
鉤剣の先が、壁へ触れる前に止まった。
上を見た。壁材を越えようとしても、そのすぐ上に高架の床が張り出している。奈緒へ抜ける道はなかった。
「五番の先は崩れた壁です。奈緒さんへつながっていません。さっき確認した道ではありません」
来た方へ振り返る。
高架脚の向こうに、五番の剣が見える。
刻印は五だった。
番号を見間違えたのではない。
「哲史、まだ風を使わないで」
奈緒の声が返った。
「そこを隠しても、千景は戻れない」
「止めてる」
五番の前で、水滴が舗装へ落ちた。
濡れた筋だけが残る。弩役と通路の間は、見えたままだった。
奈緒は高架脚へ指をついた。
剣を置いたあと、千景は確かに奈緒のところまで走ってきた。壁の前で止まっていない。三人で通れると確かめた道と、いま千景が入った道が違う。
違っているのは、剣の位置だった。
「五番はもう使わない。剣が、置いた入口から動かされてる」
奈緒が言うと、中央で哲史の槍が短く跳ねた。水を出した隙へ戻ってきた戦鎚の柄を、石突で押し返したところだった。
「戻しに行くな。千景を先に出せ」
「分かってる」
五番を抜けば、番号と場所は直せる。
だが、千景が行き止まりへ留まったままになる。奈緒は高架脚から出られず、哲史は前の二人を一人で受け続ける。
奈緒は剣から視線を外した。
元の入口がなくなったわけではない。
千景が走った道は残っている。
荷台の先。黄色い防護柵。その奥にある、高架の二本目の脚。
奈緒のいる場所から、黄色い柵の上端が見えた。
「千景、来た道を戻って。入口を出たら左。黄色い防護柵のある荷台、見える?」
千景が崩れた壁に背を向ける。
一本目の高架脚の縁から、黄色がわずかに出ていた。
「見えます」
「その柵まで戻って。そこから高架の二本目の脚の外側を回れば、私のところへ来られる」
「二本目の外側ですね」
「うん。弩役からは見える。哲史に隠してもらう」
千景の足音が、また始まった。
◇
「哲史、黄色い防護柵を見て。柵と高所の弩役の間へ、新しく水を出して」
奈緒は中央へ顔を向けた。
「風は、私が合図するまで待って」
「柵と弩の間だな」
「そこだけ」
哲史の正面で、大盾役が腰を落とす。
「《フォートレス・スタンス》!」
盾面と足元に土色の光が走った。
硬い盾が押し出される。大盾の後ろでは戦鎚役が柄を持ち直していた。千景が離れたぶん、二人とも哲史へ向けられる。
哲史は槍を短く持った。
石突を大盾の下端へ入れる。
押すのは盾面ではなく、その縁だった。左の盾で相手の押し込みを受けながら、右腕で槍を持ち上げる。
大盾の下が、わずかに浮いた。
相手の顔までは見えない。だが、盾の横から黄色い柵を見るには足りた。
戦鎚役が右へ出てくる。
哲史は槍を引き抜き、鎚を握る手元へ柄を当てた。振り上げる前の腕が押し戻され、戦鎚役が一歩をやり直す。
その間に、新しい水が光った。
五番の前ではない。
黄色い防護柵の敵側。高所から柵を狙う線の途中に、水滴が落ち始めた。
弩役は、その光へ目を向けた。
「柵側へ戻る!」
照準が、高架脚の間を横切った。
三番を塞いでいた鎖鎌役も、鎖を緩める。千景が行き止まりから出てくるのが見えたのだ。
木箱の脇を離れ、高架下へ走る。
三番側は空いた。
奈緒は千景を呼び直さなかった。
千景はもう、黄色い柵へ向いている。いま三番と言い直せば、道を確かめるために足を止める。開いたばかりの入口へ鎖鎌役が引き返す可能性もある。
伝えた道を通す。
奈緒は千景の足元と、弩役の指を見た。
千景は一本目の高架脚を右肩側に見ながら、来た道を引き返していた。
黄色い防護柵が大きくなる。
柵の内側を跳び越えれば近い。だが、その先は荷台の縁で一段落ちていた。着地して向きを直すところへ鎖が来れば、小盾を間に入れられない。
千景は柵に沿った舗装へ足を置いた。
背後で金属が鳴る。
「《テンション・チェイン》!」
鎖鎌役が重りを振り始めている。
千景は小盾を背中側へ向けたまま走った。追手を見るため、顔を半分だけ振る。
足が、柵の端へ届く。
弩役の指が動いた。
「哲史、今。水を横へ広げて」
奈緒が選んだのは、哲史が風を起こす一動作の時刻だった。
落ちる水滴へ、風が重なる。
細かく広がった水が、弩役と黄色い柵の間を白くした。
弦が鳴った。
矢は霧の中へ真っすぐ入る。
千景は、弩役が最後に見た位置をもう離れていた。矢が黄色い柵を叩き、乾いた音を立てて跳ねた。
二本目の高架脚が見える。
その外側には、人一人より広い舗装が続いていた。角の先で奈緒の肩が動く。
戻れる。
千景はそこから帰還加速へ入った。
踏み出した足が、次の一歩を速める。
高架脚の手前で身体を傾けた。柱へ最短の直線を引かず、外側の舗装を弧を描いて走る。
鎖の重りが追いついてきた。
千景は小盾の外縁へ重りを当てた。腕で正面から止めず、盾の角度を変えて柵側へ滑らせる。
鎖が張る。
右手の鉤剣を、その鎖へ掛けた。
ほんの一度、走る向きへ引く。
鎖鎌役の肩が前へ持っていかれた。追いながら重りを回収しようとしていた足が止まる。
千景は鉤剣を外した。
荷台の角を曲がる。
霧は背後に残った。千景について移ってくるわけではない。高所から角の先を見通せるようになる前に、千景は奈緒の前へ着いていた。
右足を出して減速する。
膝を曲げ、身体を反転させる。
左腕の小盾が、追ってくる鎖鎌役へ向いた。
「戻りました」
奈緒は息を吐いた。
千景の肩越しに、黄色い柵が見える。
剣はそこになかった。
それでも、同じ道を伝えられた。




