014_名前のない勝ち方
視界から奈緒が消えたあと、千景は指示の続きを待たなかった。
柱を回る。
短槍が突き出される前に、右の鉤剣を柄へ巻きつけた。両手で引き、相手の肩を柱へ当てる。
小盾の縁を胸元へ返した。
一つ目の青い格子が開く。
右の前衛が叫ぶ。
「《フィジカル・ブースト》!」
赤い光が右の前衛の肩、腰、両脚を順に走った。魔法が強めたのは、その一人の腕と脚の出力だけだった。
「合わせろ!」
左の盾役が自分の足で踏み込み、強化された右の前衛と押す時刻を揃えた。
哲史の前へ、二枚の盾が同時に押し込んでくる。
哲史は一歩だけ下がる。
二人が揃って前へ出た瞬間、右の盾へ自分の盾を重ねた。押し返さず、進む力を隣の一人へ流す。
二人の足が交差する。
哲史は外へ出た槍の柄を踏み、石突を手前の胸元へ返した。
二つ目の青い格子が弾ける。
残る三人は、仲間を助けに戻らなかった。
哲史は中央の盾役へ槍を向けた。
相手は一歩下がる。
追えば、千景と二人で中央へ出る。その瞬間、上階と下階に残る二人が、また前後を取る。
奈緒が消えた場所まで戻っても、守る対象はもういない。
哲史は三人を全滅させる線ではなく、二人で安全圏へ残れる線を探した。
その線を作るための車路が、先に取られていた。
弓が上階へ続く車路へ下がる。
下階の入口にいた一人は、その場から動かない。
最後の盾役だけが中央に残り、哲史と千景がどちらかの車路へ寄るたび、同じ側へ立った。
赤い収縮線が、駐車区画の外縁へ届く。
上へ行けば矢が通る。
下へ行けば、《アース・ウォール》が車路へ残した一人幅の通路を抜けなければならない。その奥では、長柄役が二人を待っている。
中央を抜く間は、背後から収縮に押される。
哲史たちを倒すための正面戦は、もう必要なかった。
「下を取る」
哲史が走る。
千景も続いた。
二人は土壁と内壁の間に残された狭い通路へ入る。前後へ避ける余地はあっても、左右へは広がれない。
車路の内側から長い柄が伸び、千景の小盾を上へ跳ねさせる。
上階の弓役が、同じ技名を三度目に叫んだ。
「《ウィンド・アロー》!」
風をまとった矢が柱の列を斜めに抜け、小盾が上がって空いた千景の脇へ入った。
青い格子が千景を包む。
哲史は、千景の盾を跳ね上げた長柄の下へ入った。
相手が柄を引く。
哲史の盾が、その手元へ先に届いた。土壁へ手首を押しつけ、槍の石突で逆の肘を打つ。
長柄の刃が床へ落ちた。
長柄役の顎が引けた。哲史の盾と土壁の間で、抜こうとする手だけが動いていた。
「盾、こっちだ!」
長柄役が腕を引き抜こうとする。
哲史は肘を押したまま身体を入れ替えた。相手を内壁側へ寄せ、空いた車路へ足を送る。
穂先を返せば仕留められる。
哲史は返さず、下へ走った。
背後で盾が床を擦った。
中央にいた盾役が、車路の入口へ滑り込んでいた。哲史の背を追わず、槍を床沿いへ突き出す。
哲史は足を浮かせ、その柄を跨いだ。
上階で弦が鳴る。
土壁の端を抜けた身体へ、矢が斜めに落ちてきた。
哲史は盾を上げる。矢は外へ流れたが、肩を引いたぶん、内壁に身体が触れた。
前へ出すはずの足へ、長柄の柄が戻ってきた。
相手は武器を構え直していない。片膝をつき、残った手で床の柄を押し出している。
哲史は槍の石突でその柄を壁へ押さえた。
「今だ! 俺ごと押せ!」
盾役が長柄役の背へ盾を当てた。
二人分の重さが、土壁と内壁の間へ入る。
哲史は盾の縁を上から落とし、押さえていた長柄を折った。
折れた柄が跳ねる。
長柄役は、短くなった柄をまだ哲史へ向けていた。
「嘘だろ、これで――」
「手を離すな!」
後ろの盾役が叫んだ。盾を押す腕は伸ばしたまま、顔だけが穂先から逃げるように横を向く。
相手の肩を越えて槍を出す幅が、ようやく開いた。
そのときには、赤い収縮線が右足へ重なっていた。
哲史は踏み直さずに突いた。
盾役が長柄役を引き寄せ、穂先が二人の肩の間を抜ける。後ろへ避ける幅は、もう赤い光の中だった。
折れた柄を捨てた手が、哲史の槍へしがみつく。
哲史がその手を盾で打ち払うより先に、盾の下から短く持ち直された敵の槍が入った。
青い格子が視界を閉じる。
『第三試合終了』
第八位。
撃破、二。
三試合の集計が終わる。
『大会総合 第二位』
一度目の優勝は消えなかった。
ただ、二度目にはならなかった。
◇
接続区画へ戻った三人に、前週のような疲労差はなかった。
哲史は結果表示の横へ第三試合の映像を開き、一度だけ戻した。
千景が奈緒へ向きを変えた場面ではない。
その前。
哲史と千景が正面に並び、奈緒が二人を見られる柱の後ろへ立った瞬間だった。
『ありきたりな転生物語』の短槍役が、そこで帰還路になる柱陰へ動いている。
この時点では、短槍役はまだ《アクセラレーション》を叫んでいない。千景が奈緒へ向きを変えた瞬間に加速できる位置を、三人がいつもの形へ入った時点で先に取っていた。
「戻るのを見てからじゃない」
哲史が映像を止めた。
「三人が、いつもの形に入った時点で動いてる」
「私たちは、毎回奈緒さんの説明を聞いてから次を決めています」
千景が言った。
「戻る道を塞がれたとき、私は別の動きを決めていませんでした」
「私が全部言おうとした」
奈緒は、途中で切れた自分の声を聞いた。
「俺たちも、言わせてた」
哲史は再生を閉じる。
「説明の前に、三人が同じ形を知っていればいい」
「短く言えば間に合う、という意味ですか」
千景が聞く。
「言う内容を、試合の中で一から作らなければいい」
哲史は、止めた映像の三人を指した。
「この並びまでを先に知っておく。そこから誰が動くかだけ、奈緒が選ぶ」
「形を決めたら、また待たれる」
「終わりまで決めなければいい」
奈緒はすぐに返さなかった。
同じ開始位置から、千景が戻る形。
千景を前へ残す形。
奈緒自身が前へ動く形。
三つを全部説明するのではない。
どこまでを、三人が先に知っていればいいのか。
奈緒は白い床の上で、指を三度だけ動かした。
相手の五人は、使う技の名前を隠さなかった。
《アイアン・ウォール》は、盾と前腕を固めた。
《フィジカル・ブースト》は、右の前衛一人の腕と脚の出力を上げた。
《アクセラレーション》は短槍役の動きを速め、千景より先に帰還路へ入らせた。
《ウィンド・アロー》は矢へ風をまとわせ、柱の間から奈緒と千景へ届かせた。
《アース・ウォール》は車路の床を持ち上げ、最後に選べる通路を一人幅まで狭めた。
どの技も、名前どおりの効果だった。それでも、五人が使う場所と順番を組み合わせれば、効果を知っていた三人の動きを止められる。
名前の付いた技を、奈緒は分かりやすさのために現実を削ったものだと思っていた。
本当は連続する全部の動作に理由がある。そのうち一つだけを大きく描けば、残りを無かったことにしてしまう。
だから、自分の漫画には要らないと思っていた。
けれど三人が先に共有するためには、連続する動きのどこからどこまでを一つとして覚えるのか、境界が必要だった。
◇
その夜。
奈緒は、前日に書きかけた長い訂正文を消した。
コメントは、間違っていない。
足りなかったのは、訂正の長さではなかった。
奈緒は描き続けている漫画の戦闘ページを開く。
ハウが前へ出るコマ。
アンハナがマリへ戻るコマ。
マリが遮蔽物に沿って進み、三人の位置が入れ替わるコマ。
その間にあった足運び、視線、武器の角度を、奈緒は一度すべて表示した。
どの足運びにも意味がある。
どの視線にも、次の動作へ移る理由がある。
打ち切られる前の奈緒なら、一つも消さずに別のコマへ分けていた。
消す。
残したのは、三コマだけだった。
「そこは描かなくていいのか」
横で見ていた哲史が聞いた。
「必要。でも、同じ重さでは見せない」
奈緒は三コマを一つの枠で囲み、その上へ二文字を置いた。
龍姫の周囲を二人が巡るだけではない。
守られるはずの龍姫も動き、空いた場所を次の誰かが埋める。三人の位置が回れば、同じ始まりから別の終わりへ行ける。
奈緒は、その一連だけを名前の内側へ残した。
「それ、試合で叫ぶのか」
「名前があればいい。叫ばなくていい」
千景が、最初のコマを指した。
「私たちは、どこまで覚えますか」
「ここから始めることだけ」
奈緒は、最後のコマを見た。
「終わり方は、一つにしない」
三人の勝ち方に、初めて名前がついた。
|《龍環》




