013_塞がれた帰り道
優勝した翌日、奈緒の作業机には三つの窓が開いていた。
一つは、次の週末に行われる《ウィークエンド・オープン》の登録完了画面。
一つは、前日から増え続けている漫画の閲覧数。
更新するたび、昨日までは動かなかった桁が少しずつ増える。
奈緒は朝から、その窓を閉じられずにいた。
勝って証明したかった。
その結果、本当に知らない誰かが漫画を開いている。打ち切られてから一人で続きを描いていた時間が、初めて外へつながったように見えた。
嬉しくないはずがない。
最後の一つでは、第三試合の短い切り抜きが繰り返されていた。
千景の鉤剣が盾を引く。
二枚の盾の間へ哲史が入り、続けて二人を撃破する。
映像は、そこから始まっていた。
『アンハナが盾を剥がしたの、うまい』
『英雄王が二人まとめて抜いた』
『三人になったら別チームじゃん』
どれも、映っている結果については間違っていない。
切り抜きを作った人間も、派手な二撃破だけを残したわけではなかった。盾が動いた瞬間から映像を始め、千景の鉤剣が隙間を作ったことまで見せている。
それでも、奈緒には抜け落ちたものが見えた。
だからこそ奈緒は、コメント欄の下に長い文章を打ち込んでいた。
千景の鉤剣が盾へ噛んだのは、右手首の角度を一度だけ補正したからだ。その前に奈緒自身が壁沿いへ進み、千景の帰還距離を短くしている。哲史が入った隙間も、三人の位置が先に整っていなければ――
「長え」
背後から画面を見ていた哲史が言った。
「だって、千景だけの動きでも、哲史だけの撃破でもない」
「私だけの動きではありません」
机の横にいた千景も、奈緒の文章を否定しなかった。
奈緒は続きを打つ。
哲史は、増えていく行数より先に、同じ映像をもう一度見た。
千景が前へ出る。
奈緒への攻撃に合わせて戻る。
空いた盾の間を哲史が抜く。
画面の中で、三人は何度見ても同じ順番で動いた。
「この前にも、奈緒さんが動いています」
千景が再生位置を少し戻した。
画面の端を、壁沿いに進むマリの肩が横切る。
それを見なければ、千景が短い直線で戻れた理由は分からない。だが、結果だけを見れば、盾を引いた千景と二人を倒した哲史が最も大きく映る。
奈緒は、その差まで文章へ足そうとした。
「次の相手も、これを見る」
奈緒の指が止まった。
「研究されるってこと?」
「次の大会に出る連中は、この映像を見てくる。俺が前へ出る位置も、千景が奈緒へ戻る時刻も、先に調べたうえで試合に入ってくる」
登録完了の表示には、三人の名前が並んでいた。
◇
一週間後。
第二回《ウィークエンド・オープン》は、最終戦まで進んでいた。
第一試合、二位。
第二試合、一位。
三人は暫定首位にいる。
奈緒の指に震えはない。千景の呼吸も深くなっていない。哲史も、二人が自分と同じ速さで回復すると見積もる必要はなかった。
三人とも、最初から動ける。
第一試合では、先に安全圏へ入った五人を無理に追わず、収縮で分かれた二人だけを倒して二位に残った。
第二試合では、奈緒が遮蔽物沿いに位置を上げ、千景が短い帰還と前方補助を繰り返した。哲史が空いた正面を抜き、一位を取った。
同じ三人で、地形が変わっても上位へ残れている。
初優勝が偶然ではないことは、自分たちにも分かり始めていた。
第三試合の降下先は、立体駐車区画だった。
太い柱が一定の間隔で並び、緩く傾いた車路が上階と下階へ続いている。壁のない外縁から風が抜け、柱の列ごとに長い射線が通っていた。
二本の斜線を隊章にした五人は、三人を見つけても走ってこなかった。
隊章の下に、登録作品名が表示される。
『ありきたりな転生物語〜ユニークスキルテンプレはテンプレしか許しません〜』
「『ありきたりな転生物語』」
奈緒が表示された題名を短く呼んだ。
「題名どおり、使うのは誰でも効果を想像できる定番スキル。しかも、五人とも発動前に技名を叫ぶ」
「何をされるか先に分かるなら、楽だな」
「技名で分かるのは効果だけ。誰が、どの場面で、何のために使うかまでは分からない」
丸盾と槍を一組ずつ持つ二人が中央に並ぶ。
弓を持つ一人は、二列後ろの柱へ。
短槍の一人は武器を下げたまま、奈緒と千景の間が見える柱陰へ入った。
最後の一人は長柄武器を持ち、下階へ続く車路の入口に残る。
長柄役が、柄尻をコンクリートの床へ打ちつけた。
「《アース・ウォール》!」
床へ土色の光が走る。下階へ続く車路の表面が人の肩の高さまで持ち上がり、土とコンクリートが混じった壁になった。
土壁は車路のすべてを塞いでいない。内壁側に一人が通れる幅だけを残し、長柄役はその狭い通路の奥へ立った。
次の安全圏は、五人の背後へ寄っていた。
待ち続ければ、先に収縮へ押されるのは三人だった。
「待ってるな」
哲史は槍を構えた。
「何を?」
「俺たちが、昨日と同じ形になるのを」
「昨日じゃない。一週間前」
奈緒の訂正と同時に、正面の盾が動いた。
哲史は左の列へ二歩寄った。
前衛の片方だけが、盾の向きを変える。追ってはこない。
哲史が中央へ戻ると、盾も元の角度へ戻った。
短槍の一人は動かない。
視線だけが、千景と奈緒の間を往復していた。
「千景を見てる」
奈緒が言った。
「俺が動いても反応しないな」
哲史は正面へ出た。
◇
前衛二人は、哲史一人を倒そうとしなかった。
盾を並べて通路を狭め、哲史が片方へ槍を向けたときだけ、もう片方が半歩前へ出る。
左の盾役が、盾を床と垂直に立てた。
「《アイアン・ウォール》!」
黒鉄色の光が、丸盾の表面から前腕までを包む。魔法が固めたのは盾と、それを支える腕だった。盾役の足まで床へ固定されたわけではない。
哲史の横へ、千景が上がった。
右の鉤剣を、手前の盾の外縁へ掛ける。
鉤先は触れた。だが、引けば盾の丸みに沿って滑る角度だった。
奈緒には、その一点が見えた。
千景の手首に残ったずれだけを消す。
鉤が盾の縁へ深く噛んだ。
千景が腕を引く。
魔法で盾と前腕が固まっていたぶん、盾だけは外れない。千景が引いた力に連れて、盾役の右肩が外へ開き、哲史の槍がその隙間へ入った。
後ろの柱から、弓役の声が飛んだ。
「《ウィンド・アロー》!」
弦が鳴る。放たれた矢の周囲へ風がまとわり、柱の間を抜けるあいだも速度を落とさない。
矢が向いたのは奈緒だった。
「千景、戻って」
前へ残れる最後の時刻で、奈緒が呼んだ。
千景は盾を引く手を離し、奈緒へ身体を向ける。
いつもなら、二歩目から帰る足が加速する。
柱陰にいた短槍役が、千景の一歩目を見て叫んだ。
「《アクセラレーション》!」
青い光が短槍役の両脚を走る。加速したのは短槍役自身だった。千景が帰還の加速へ入るより先に、二本の柱の間へ身体を滑り込ませる。
その結果、千景が奈緒へ戻る最短の直線に、短槍役が立った。
短槍役の身体が、二本の柱の間に残っていた通路を塞いでいる。
短槍は千景へ突き出されなかった。
相手は柱と柱の間に足を開き、通れる幅だけを消している。千景と戦って勝つ必要はない。そこに立っているだけで、公開映像にあった帰還は始まらない。
千景の能力は敵を通過させない。加速へ入れないまま、千景は右の柱を回ろうとした。
最初の矢が、奈緒の頬の横を抜けた。
奈緒は次の柱へ動く。
弓はもう、二本目をつがえていた。
見えていた。
千景が短槍を鉤剣で外す角度。
哲史が前衛二人の穂先を盾で流す時刻。
自分が射線を切れる次の柱。
全部に、必要な動作があった。
どれも間違いではない。
千景が経路を開けば、奈緒まで戻れる。
哲史が前衛を流せば、中央を先に抜けられる。
奈緒が柱へ入れば、二射目そのものを切れる。
奈緒には三つの結果が、同じ濃さで見えていた。
補正できるのは一動作だけだ。
それでも三人が次に何をするかは、まだ奈緒の中にしかない。
「千景、右の柱を回って。鉤剣で短槍を外へ。哲史は――」
弓役の声が、奈緒の指示へ重なった。
「《ウィンド・アロー》!」
奈緒が哲史への指示を言い終える前に、二本目の弦が鳴った。風をまとった矢が、一本目と同じ柱の間を抜ける。
奈緒が次の柱へ踏み出す。
矢は、その一歩より早く胸元へ届いた。
青い格子が奈緒の身体を包む。




