011_二試合目の誤算
残り時間が、また一秒減った。
哲史は膝から手を離していた。
奈緒は右手を開閉している。震えは小さくなったが、まだ消えてはいない。
床に座っていた千景も、片膝を立てた。立ち上がる前に一度息を吐き、白い床へ足をつく。
「出られるか」
「出る」
奈緒は右手を隠さず答えた。
「私も行けます」
千景も立った。ただ、第一試合の直前より呼吸が深い。
哲史には二人の疲れが見えていた。
奈緒の指も、千景が立つまでに置いた一拍も見落としてはいない。
それでも、自分の呼吸はもう戻っている。脚にも、採石場を往復した重さはほとんど残っていなかった。
二人の疲れも、試合で身体を動かすうちに抜ける。
そう見積もった。
「配置は一試合目と同じ。俺が前、千景が空いた側。奈緒は二人を見られる位置」
「分かりました」
千景が答える。
奈緒は一度だけ哲史を見たが、反対はしなかった。
第二試合の枠が白く点灯する。
三人の足元が消えた。
◇
次に靴底が触れたのは、湿った落ち葉だった。
森林の中を、細い獣道がいくつも走っている。
右の道は浅い沢を越え、左の道は倒木の裏へ消える。正面の二本も、十数歩先で別々の木立へ曲がっていた。
採石場のように、入口を三本へ絞ることはできない。
「北へ」
哲史は収縮表示を見て、沢沿いの道を選んだ。
先頭を哲史、その後ろを奈緒、右側の木立を千景が進む。
最初の矢は、前ではなく左から来た。
狙われたのは奈緒だった。
鏃の後ろで細い風が弾ける。矢は幹から突き出た枝を避けるように、空中で軌道をわずかに右へ変えた。
千景が木立を横切る。奈緒へ続く地面には、低い根が二本あるだけだ。
一歩目で向きを変え、二歩目から帰る脚が加速した。
小盾が矢を外へ弾く。
その間に、正面の獣道へ丸盾と槍を持つ二人が入った。
胸元に、黒い環の隊章がある。
隊章の下に、登録作品名が表示される。
『特殊部隊転生〜前世は最強の傭兵、今度は守るために闘います〜』
「『特殊部隊転生』」
奈緒が題名を短く呼んだ。
「前世の傭兵が魔法のある世界へ転生して、五人の部隊を組んで任務をこなす漫画。任務に合わせて武器を選ぶし、魔法も攻撃するためだけには使わない」
「何に使う」
「姿を隠す。矢の軌道を直す。足場を固める。退くときには煙幕も張る」
黒い環の五人は、第一試合で暫定首位に立った哲史たちを狙っていた。だが、全員で正面から押し寄せてきたわけではない。
丸盾役の一人が哲史の前を塞ぐ。
丸盾を構えた足元へ、土色の光が広がった。湿った地面の表面だけが固まり、哲史に盾を押されても靴底が沈まない足場を作る。
もう一人は数歩後ろに残り、哲史が踏み込んだときだけ槍を重ねる。
後ろの槍役が、前にいる盾役と木立の仲間へ短く命じた。
「盾はそこで固定。射手は三方向へ散れ」
最初の矢を放った弓役は、奈緒への射線を変えた。
残る二人の弓役は、姿が見えない。
哲史は丸盾の縁へ槍を当てた。
外へ押すと、後ろから二本目の穂先が伸びる。盾で流せば、前の一人は倒木まで下がる。
追えば奈緒との距離が開く。
止まれば、別の方向から矢が飛ぶ。
「二射目」
奈緒の声が届いた。
乾いた弦の音が、今度は右から鳴る。
千景は哲史の側まで出ていた。そこからまた奈緒へ向きを変え、沢の縁を戻る。
加速した足は、浅い水を二度だけ跳ねさせた。
奈緒の前で止まり、小盾を上げる。
二本目の矢も外れた。
千景は盾を下ろす前に、沢へ入った右足を一度踏み直した。
一度目の帰還にはなかった動きだった。
二本目の矢を放った弓役が、それを見て左手を上げる。
「護衛の右脚が遅れてる。左と沢の先から射線を重ねろ」
見えなかった二人のうち一人が左の木立へ移り、もう一人は沢の先へ回った。奈緒を一度で落とすためではない。別の方向から射線を作り続け、千景に同じ帰還を繰り返させる配置だった。
二人が動いたときだけ、木の幹から人の輪郭が剥がれた。樹皮と落ち葉に色を合わせる隠蔽魔法で、姿を消していたのではない。木陰で立ち止まった身体の輪郭を、周囲の色へ紛れさせていた。
最初から三人の疲れを知っていたわけではない。
二度戻った千景の足を見て、そこへ攻めを寄せた。
黒い環の五人は、千景を何度も走らせる狙いを変えなかった。
哲史を倒しに来ない。
奈緒へ矢を通すたび、千景だけを戻す。
哲史が前衛へ圧力をかければ退き、千景が哲史の側へ進み直すと、別の木立から次の射線を作る。
一本に見えた獣道は倒木の裏で枝分かれし、浅い沢は曲がるたび三人の間へ入り込んだ。
採石場より、三人が走る距離だけが増えていく。
それでも哲史の動きは落ちなかった。
丸盾の一人が沢へ片足を入れた瞬間、哲史は槍を引かせた。
盾で視界を塞ぎ、石突で前足を払う。
倒れた身体と穂先の間に青い格子が開いた。
一人目。
後ろにいた槍が突き込む。
哲史は格子が消える前に身体を沈め、槍の内側へ入った。柄を脇へ挟み、相手の手首へ自分の石突を返す。
武器が落ちる。
二つ目の青い格子が、沢の上で弾けた。
倒せている。
前も進んでいる。
けれど、奈緒と千景との距離は、第一試合より少しずつ広がっていた。
三度目の弦が鳴る。
放たれた矢の周囲を、また細い風が回った。大きく曲げる魔法ではない。枝葉の間を抜けたあと、狙った位置から外れた数センチだけを戻す補正だった。
千景が戻った。
足は奈緒まで届いた。
だが、最後の一歩が止まり切らない。
千景の身体が奈緒の前を半歩通り過ぎる。踏み直して小盾を上げたときには、矢が盾の縁を越えていた。
矢先が千景の右肩を裂く。
千景の視界に、右肩の損傷を知らせる表示が開いた。
次の矢は、別の木の陰から奈緒へ向いていた。
奈緒には見えた。
千景がいま立てる盾の角度。矢が木立を抜ける位置。その間に残った、消すべき一つのずれ。
見えているのに、選んだ一点へ意識を絞るまでが遅れた。
補正が届くより先に、矢が奈緒の胸元へ入る。
青い格子が、奈緒の身体を包んだ。
「奈緒さん」
千景は追おうとした。
けれど、自分の身体を次の矢へ投げ出さない。
小盾を上げたまま後退し、沢沿いにいる哲史へ合流する。
「補正役を排除。煙幕を張って、三人とも次の安全圏へ離脱」
奈緒を射抜いた弓役が、湿った落ち葉へ片手を向けた。灰色の煙が地面から立ち上がり、三人の弓役が退く方向だけを覆っていく。
黒い環の三人も深追いしなかった。
奈緒を落とした時点で向きを変え、次の安全圏へ先に入っていく。
「行くぞ」
哲史と千景も退路を探した。
背後から赤い収縮線が木立をのみ込む。正面では、戦闘音を聞いて寄ってきた別の四人が沢の出口を塞いでいた。
右へ抜けるには倒木を越えなければならない。千景の脚は、もう奈緒へ戻ったときの速さでは踏み切れない。
哲史は前の一人へ槍を向けた。相手は倒しに来ず、二列で出口を狭める。
哲史は盾の外へ穂先を見せた。
正面の盾が、そちらへ寄る。
触れる前に槍を引き、石突を盾の下へ返した。前へ出た足首を打ち、傾いた盾へ自分の盾を重ねる。
前列の一人が膝をついた。
その目が、自分の盾の上端を追った。受けるはずだった穂先は、もうそこにない。
「後ろ、支えろ!」
後列の一人が肩を入れた。哲史は押し合わず、二人の盾が重なった側から離れる。
沢の縁に、一人分の出口が開いた。
「千景、左だ」
千景が足を向ける。
残る二人は哲史へ寄らず、その出口へ武器を向けた。
背後の収縮が迫る。
左右から二本の武器が重なった。
千景の小盾が一つを外す。もう一つが脇を抜け、青い格子が千景へ開いた。
哲史は千景を包む光の横へ踏み込んだ。
「残り一――」
声を上げた相手が、言い終える前に武器を胸へ戻した。
一人目の武器を盾で外し、二人目の柄へ槍を当てる。二本がぶつかる間へ肩を入れ、穂先を短く返した。
「近づくな、下がれ!」
狙われた相手が尻から沢へ落ちた。槍は胸を外れ、肩を裂く。
哲史は追わなかった。空いた場所へ左足を出す。
先ほど膝をついた盾役が、そこへ盾を投げ出すように伏せた。
飛び越えれば、着地を残る二人に挟まれる。
哲史は盾の縁へ足を置き、上から押し倒した。身体を横へ回し、続く突きを槍の柄で下へ落とす。
もう一人の刃が、左腕を擦った。
盾を持つ腕に損傷表示が開く。
哲史はその刃を盾の内側へ挟んだ。引き戻そうとする相手ごと前へ進み、出口を塞ぐ最後の一人へ槍を向ける。
相手の踵が下がった。
「ここで止める。横から入れ」
言いながら、もう半歩下がりかけた足を踏み止める。槍先から目を外せず、味方が来たかは確かめられなかった。
だが、沢へ落ちた一人が、負傷した肩を押さえながら哲史の足元へ武器を伸ばしていた。
哲史は穂先を下へ返す。その柄を踏んで、前の一人が退路を塞いだ。
背中へ収縮の赤い光が重なる。
下がる代わりに槍を手放し、踏んできた膝へ盾を打った。
相手の脚が折れ曲がる。
その肩越しから、残る刃が届いた。
青い格子が視界を埋める。
『第二試合終了』
結果は八位。
撃破、二。
大会総合の表示で、三人の順位は二位へ落ちた。




