2-07 間諜よ、爪を染めることなかれ
銀河帝国と共和国が千年争う時代。帝都の片隅に、兵士達に人気のネイルサロンがあった。
店主エトルの施すネイルは彼らの愛機と同じ色に輝き、フットネイルには名前や所属、そして帰還を願う祈り『我、帰還せり』が刻まれることで有名だった。
ある日、両手両足が義肢の男ゲイジーが店の前に現れる。エトルがその爪のない義手にネイルチップを貼ってやると、彼は「久しぶりに、人間になった気がする」と感謝の言葉を口にした。だが実は彼は共和国軍のスパイであり、エトルも関与者として拘束されそうに。そんな中ゲイジーは愛機〈クリスタベル〉で彼女を救い出した。
エトルは姉が共和国軍との戦いで戦死し、遺品は操縦桿の裏に貼り付いた一枚の爪だけだったこと、せめて爪くらいは美しくしてあげたかったとネイリストになったことを、ゲイジーも、帝国軍の拷問で四肢を失った過去を明かす。
帝国に追われ銀河を流浪する二人の運命は……。
01 邂逅
「ねーねーお姉ってばさー……せめて爪くらい、もうちょっと可愛くしたってよくない? 帰ってきたらうちが塗ったげるからさぁ」
誕生日に買って貰ったばかりのネイルの道具箱を手にし、エトル・アントワーヌはソファに寝っ転がったまま言う。姉のファトルが微笑んだ。
帝国ではもう千年も続く戦争。パイロット服にヘルメット、帝国の主力兵器である《フッター》と呼ばれる二足歩行ロボットを駆って宇宙を駆け巡り、共和国軍と戦う姉。撃墜数はトップクラスだったという。
「そうねえ。じゃあ、帰ってきたら、頼むわね」
そして姉は帰ってきた。撃墜された《フッター》のコクピットからサルベージされた、操縦桿の裏に残った爪1枚だけが。
◇
「やっぱ赤い機体はめっちゃ映えるよねえ」
赤いカードが揃った色見本を、お客様の《フッター》の浮かぶ空に向ける。この赤は204番。在庫在庫、と呟きながら、エトルは壁の棚の中から小さな瓶を取り出す。
「こないだ塗装屋でカスタムしてもらったんだ。いいだろこの赤い色!」
「いいじゃんいいじゃん。やっぱ好きな色ってサイコーじゃん? 宇宙いくなら気分アゲてかなきゃ」
「店長さんもそう思うだろ?」
「もち! あとフットネイルはタダだからね。サービスよサービス」
「足洗ってねえから臭いぞ」
「ちゃんと洗浄機ありますー! はいではこちらに右足突っ込んで。洗う間に手の方の施術、済ませちゃうからね」
あはは、と屈託なく笑い、エトルは座らせた客の指を、爪専門の塗料で塗っていく。愛機と同じ色に爪を染めるネイリストとして独立し2年。男女問わず、この店は人気だった。そして人気の理由はもう一つ。
「不思議なサービスだよな、これ」
「ま、ボランティア、っていうか、おまじないみたいなやつだし?」
出された足の親指の爪に、専用の小さな削り器で、文字を綴っていく。客のイニシャル、所属隊のナンバー、そして『我、帰還せり』の文字。その上から耐熱コーティングを施して、出来上がりである。
「はい。じゃあ、次の予約もお待ちしてまーす!」
いつもと変わらない日常。エトルの顧客のほとんどは兵士か傭兵であり、男女問わず人気があった。
愛機とお揃いの色を施してくれる若く陽気なネイリストは、無料で足の爪にそっと帰還の祈りの言葉を彫ってくれるネイリストとしても、界隈の間で話題になっていた。
店の看板を下ろそうとして、エトルは目を丸くする。ひとりの男が、店の看板を見上げて静かに立っていた。
「うち、もう閉店だけど……予約してくれてた?」
「……いや、こんなところに、こんな店があるんだな、と」
旅行者だろうか。見慣れない風体の、茶色の古びたコートに身を包んだ、年の頃は三十ほどの男が煙草を片手に立っている。
「まあ、珍しくて当然だよね。こんな戦時下にネイルなんてって不謹慎だって最初めっちゃ言われたし」
「そうか」
「でも、うち、やりたいからやってる。なんなら店、見てく? 煙草はお断りなんだけど。爪一枚くらいなら、サービスしてもいいよ」
男が、少し笑ったように見えた。
「サービスしてほしくても、俺には爪がないんだ」
そしてコートをめくる。両方とも、男の両腕は冷たい鉄製の義手で出来ていた。エトルが目を見張る。そして、ニッと笑って言った。
「……爪がないなら、作ればいいじゃん。やっぱおじさん、いいから寄ってってよ」
「何だって」
「ネイリストなめんなよー?」
◇
きらきらとあちこちに愛らしいデコレーションが施された施術台の上に、不気味とも取られかねない無機質な黒光りする腕が乗せられる。
「ネイルチップっていうんだけど、こうして、シールで貼るタイプのやつ」
冷たい鉄とチューブがむき出しになった義手の、爪も何もない五本の無機質な指先に、エトルはネイルチップを貼っていく。
「キラッキラに盛っても案外義手には似合いそうだけど、おじさん、何かそういうタイプじゃなさそうだし、ナチュラルにキメておくね」
「あ、ああ。そうしてくれると嬉しい」
「嬉しい?」
「爪があるだけで……久しぶりに、『人間になった』気がする」
男がじっと自分の義手の爪先に貼られたネイルチップを見つめ、ぽつりと呟く。ぱあっとエトルの顔に笑顔が咲いた。
「そうなの? じゃあ足は? うち、こんなサービスがあるんだけど……」
見本のネイルが飾られている。『我、帰還せり』の文字をじっと見つめて、
「俺には帰る場所がなくてな。遠慮しておこう。この手だけで十分だ」
男は静かに微笑んだ。
「おじさん、またいつでも来てよ。義手にジェルネイルってアリなのか、ちょっと調べておくからさあ」
「随分とサービス精神が旺盛な店だな」
「まあねー? 新規顧客の獲得に余念がない、って言うんだよね。こういうの」
「いい店だ。ありがとう。心から感謝する」
男を送り出し、エトルは店の看板を店内にしまいこむ。
夕暮れの空に飛び交う宇宙船、天をつくようなタワーがいくつも聳え立つ銀河帝国の首都が少し遠くに見える。機体の修理工場などが密集する下町で、エトルは息を大きく吐き出した。
◇
ところがその夜、窓の外から赤色灯と警戒音が鳴り響き、店の二階の自室でエトルは寝台から落ちるように飛び起きた。
「何よ、もう……」
ガンガンとドアが荒々しく叩かれる。近所で泥棒でも出たのだろうか。それにしては音が大きい。
何がなんだかわからないまま、一階に駆け降りてドアを開けようとするが、不吉な音と共に、ドアの蝶番が吹き飛んで、武装した男達がなだれ込んでくる。息が止まった。
「な、何……なんなの……」
『ゲイジー・アヒレウスがこの店に入ったとの情報があった。店主を連行せよ』
両手を上げるよりも先に、ざっと駆け寄ってきた警邏のアンドロイド達に無理矢理その場で組み敷かれてしまう。
「やだ、何、誰それ、うち、何も知らない……」
電子音声によく似た声が、冷徹に響く。
『両手両足が義肢の、茶色いコートを纏った30代の男だ。今日この店に来たところまでは足取りを掴んだ。情報を渡せ。帝国の採石場送りになりたくなければ、すぐに全てを吐くことだ』
「き、機密情報?」
すっとんきょうな声が出る。
「確かに、チップを貼ってあげたけど……」
『チップか。探せ』
警邏用アンドロイド達が一斉に、店の什器や施術台の引き出しなどをひっくり返しはじめる。ラメや塗料が入った瓶が、床に散らばり、様々な商売道具が割れる音がする。
「いやだ、やめて!! 違うの、やめ……」
口の中に、何かを詰め込まれる。そして、男がエトルの髪を乱暴に掴み上げて、言った。
『この女を本部まで連行しろ』
痛い、怖い、何がなんだかわからない。助けてくれる人もいない。目から涙がこぼれ落ちたその瞬間、二階の窓が割れる音がした。
「これだから帝国の奴らは。レディファーストも知らんのか」
聞き覚えのある声。今日最後の客だった、あの茶色いコートの男のものである。
「その女の子に縁はないが、借りはあってな」
階段を一気に飛び降りた男が、警邏用のアンドロイド達を『人間とは思えない脚力で』一気に蹴り飛ばす。
「せっかくいい爪を貰ったんだ。だから脚だけで勘弁してやる」
両手を一切使うことなく、家の中になだれ込んできた数十体のアンドロイドを脚だけで瞬時に蹴り壊すと、エトルの髪を乱暴に掴み上げていた男に一気に肉薄し、壁へと容赦なく蹴り飛ばす。モーターの様な、微かな起動音が止んだ。
(両脚も、義足……)
そして、どさりと床に落ちたまま目を見開くエトルを抱き上げると、口に詰め込まれた粘着状の物質を引っ張り出した。
「……俺が迂闊だった。すまないな、嬢ちゃん」
夕刻に貼ってやったあのネイルチップが、男の指先でわずかに光る。
「だが、このまま置いておいてもきっと嬢ちゃんは帝国の採石場送りになる」
「待って。おじさん、一体……」
「俺の名はゲイジー。ここでモタモタしていると、また連中が来る。一緒に来るんだ」
反射的に、エトルは机の下に落とされた道具箱を拾い上げる。
亡き姉が最後に買ってくれた大事なネイルの道具箱。いつもお守りのように、施術台の隣に置いてあったものだ。それを抱えて、無言で頷く。
「いい子だ」
手を引かれて外に出ると、宙に小さな貨物船が浮いている。
『セット。クリスタベル号、聞こえるか。とっととおさらばだ。同行者が1名増えた。行き先は北西。タラップを降ろしてくれ』
すると合成音声のような、それでいてどこか暖かみがある不思議な声が返ってくる。
『こちらクリスタベル号。随分と可愛らしい小鳥を連れていますね、ミスター・ゲイジー』
『大切な客人だ。粗相のないように』
ゲイジー、と呼ばれた男が義手に向かって話しかけると、貨物船からタラップが降りてくる。
「俺としたことが、ちょっとした気まぐれで、君を巻き込んでしまった。……だが、採石場に送られたものは、二度と娑婆には帰ってこない。知っているな?」
「……う、うん」
「どこかの中立都市で降ろしてやろう。着いてこい」
思わず道具箱をぎゅっと抱きしめる。
「持ってきても大丈夫だ。大事なものなのだろう?」
「あ、ありがとう……ございます」
「こちらこそ、なんと詫びていいかわからないが、ここはとにかく急げ」
不思議な男の後ろを追うように、エトルは駆け足でタラップを登りはじめた。
今までの人生の全てを、後ろに置いていくことになると、頭のどこかで理解しながら。





