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2-24 あなたが好き──。それはもう、狂おしいほどに

あなたが好き──。それはもう、狂おしいほどに。

そう思いながら、鏡の中に映る自分の唇に、重ねるように塗った口紅。その口紅を元の箱に戻すと、さらにその箱をネット通販の段ボールにいれる。どうかちゃんとあの人の元に届くように、そう願いながら。

第一話 それは始まり

 

 あなたが好き──。それはもう、狂おしいほどに。

 

 洗面台に貼り付けられた、掃除不足で全体が少しくすんだ鏡。右下の端がほんのちょっとだけ欠けている鏡。その鏡の中には、わたしの顔が映っている。わたしは、その鏡の中の自分の顔を目が痛くなるほどじっと見つめる。大好きでたまらない、上里みずほを狂おしいほど想いながら。


 鏡の中に映っている私の唇に重ねるように、買ったばかりの薄ピンクの口紅を塗る。ほら、これであなたと私は一つになれるんだよ。わたしは、うれしさに身を震わせて幸せをかみしめる。


 体の中で幸せの波がひとしきり過ぎた後、わたしはこの口紅が入っていた高級そうなパッケージに丁寧に戻す。一見すると未開封のパッケージにしか思えない、わたしは外見を注意深く見まわして、それを確認する。

 あとは梱包材と一緒に、誰でも知っている大手ネット通販の名前が表に印刷されている段ボールの小箱に入れる。さあ、これで完成。

 うふふ。行ってらっしゃい、大好きなあの人のもとへ。


 *


 あれ? 私ってば、何か注文したっけ。


 今日も予定外のサービス残業をこなし、次に指名されたら今度こそ絶対に労働基準監督署にチクってやるんだから、そんな思いを頭の中でめぐらしながら自宅マンションに帰宅した、上里みずほ、29歳、独身。


 夜遅く、もう交換が必要になるくらい弱っている廊下の常備灯がぼんやりと照らす、玄関前に置かれた小さなネット通販の段ボール箱。


 たしかに一時期は、帰宅時間が不定期だから、再配達の手間も考えて、ネット通販の商品を置き配にしていたこともあったけれど。

 一度置き配で依頼した商品をいたずらされてからは、配達の指定時間を頑張って守る方にシフトしていたはずなのに。

 それが、なぜ? 置き配があるのか。


 安めのマンションによくある、オートロック対応といいつつ、誰かと一緒になら通り抜けられる、実質は出入り自由なマンション一階の共有エントランス構造は、防犯上には全く無力だ。

 特にネット通販の配達員だとわかる人なら、私だって通り抜けを見逃すだろう。


 だからこそ、エントランスの郵便受けも、玄関の表札にさえも、苗字の『上里』としか載せない。その部屋の住人が女性で、一人暮らしであるのがバレたら、防犯リスクが一気に跳ね上がるから。

 同じ理由で、私は洗濯物を絶対に外には干さない。男性と二人きりでエレベータに乗らない。玄関を開けるときには周りを見渡す。ゴミだって名前の部分は全て塗りつぶす。


 そのくらい注意深くないと、今の都会で独り身の若い女が生活するには、正直安心できないのだ。


 色々と考えてもしかたない。夜遅く、マンションの廊下でたたずんでいる方が危険だ。私は覚えのない置き配を抱えて、とにかく急いで自宅に入る。


 *


「それで、どうだったんですか? 身に覚えのない配達品が自宅の玄関に置かれてた事件の顛末は。まさか、実はネットで注文してたけど、うっかりして忘れてました、みたいなオチだったり」


 会社のお昼休み、昨日の置き配事件を深刻に語った私の恐怖心をいなすように、今年入社した新卒の秋山君は隣の席から明るい調子で、話の続きを要求する。


「そもそもね、その口紅、私は注文してないの。だって何か月か前にSNSで、『欲しいなあ、でも高いから買えないわ』って呟いてたんだけど。そのつぶやき自体をすっかり忘れてたんだもの、注文するわけないでしょ。それに、もっと大きな問題が──」

「え、なんすか、なんすか」


 身長180を超える若者が、椅子から立ち上がって興味津々という感じで私に覆いかぶさってくる。若い男の熱量を身近に感じて、私は不覚にもドキリとしてしまう。アラサー女の首筋が赤くなったのが、秋山君にバレたらどうしよう。


「段ボールは、ネット通販のロゴがプリントされた正規品だと思うんだけど……。宛先が印刷されてる納品書が、どこにも貼ってないのよ」

「えー! 箱の裏とか、横とか、普段とちがう場所にもないんですか?」


 秋山君は少しオーバー気味にのけぞってから、急に真顔になってさらに顔を近づける。ちょっとまて、やめてくれ。それ以上君に近づかれると、アラサーとはいえ、まだ若い女の身体は君の体臭に反応してしまいそうで怖い。


「ネット通販の配達員なんて、だいたい同じ区域を受け持ってるんすよね。配達時間なんて、だいたい同じ時間帯だから見当つくじゃないっすか。配達員のお姉さんを捕まえて、聞いてみたらどうっすか?」

「え、秋山君、なんで配達員が女性だなんて知ってるの?」


 ネット通販の受け取りを、置き配から対面にしたことで、配達員が体育会系で活発そうな若い女性であるのを知っていた私は、なぜ秋山君がその事実を知っていたのかに驚く。


「あ、えーと。俺、以前、ネット通販のデリバリーセンターでバイトしてて……。上里さんの住んでるマンションの周辺を受け持ってる配達員さん、知ってるんです」


 私の指摘に、急に顔色を変えて、恐縮しながら弁解を始める秋山君。

 なんで私の住むマンションまで知ってるの? 彼の歓迎会の席で、私、そんなこと彼に話したっけ、うーん、いかんせん飲み会だからなあ、覚えていない。

 でも、とりあえず、彼の言うことには一理あるので、今度の休日に、配達員のお姉さんがマンションに来る時間を待って、ちょっと聞いてみよう。


 *


「うーん。この段ボールは確かにうちのですけど……。納品書が貼ってないのは絶対にお客さんの場所に持ってかないです。てか、住所がわからなければ持っていけないし。ウチラは納品書番号が命ですから。番号のない荷物は絶対に配送センターから外に出さないです」

「そうですか。あ、それなら、この間の金曜日の夜、このマンションの4階に置き配した記憶はありますか?」


 次の休日、私はいつも私のマンションに配達をする配達員が来るまで、マンション一階の共有エントランスで辛抱強く待った。


 予想の時間をほんの少しだけ遅れて、その女性配達員は小さな配達品を何個か胸に抱えて、マンションの共有エントランスに何の躊躇もなく入ってくる。毎日何件ものネット配送品を持ち込んでくるんだ、マンションの住人しか知らないはずのエントランス入り口のパスワードなんか知り尽くしているんだろう。

 私は、言いたいことをぐっと飲み込むと、外向け用の笑顔を振りまきながら彼女に声をかける。


「おはようございます。配達ご苦労様です」

「あ、おはようございます」


 いつも見かけるネット通販の女性の配達員は、こちらの挨拶に明るく返事を返す。毎日このマンションに何個も配達してる、そんな彼女に私の名前を告げて私の玄関に置き配をしたかを聞くよりも、私の部屋のフロアであるマンション4階に昨日置き配をしたか、と聞いた方が記憶も残っているだろうし答えやすいだろう。そう思った私は、あいさつの流れに乗るように、彼女にさらりと質問する。


「今日も荷物が多くて大変そうですね。あ、そういえば、昨日このマンションの4階で置き配とかありましたか?」

「いや、上里さん宛ての荷物、昨日は配ってないですね。あ、でも、夕方シフトの彼女が配ってるかも。あたし、昨日は午前から午後三時までの朝シフトなんで、午後便の荷物はわからないんです」


 配達員の彼女は、胸ポケットからスマホを取り出すと、おもむろに電話をかける。


 え! 彼女のスマホの待ち受け画面、一瞬しか見えなかったけど、あれは街を歩いてる私の盗撮写真? だって、あのワンピースと髪留めの組み合わせは、あきらかに私だ。

 それに、私はマンションの4階に置き配しましたかって聞いただけなのに、私宛には配達してないって返事が返ってくるの、どういうこと?


「あ、あ、うん。そうそう。日の出マンション4階のお客さんなの。あそこって、共有エントランスが全部同じパスワードで入れちゃうから、結構置き配しちゃうバイトの配達員とかいるからさ。あんたを疑うわけじゃないけど、お客様が気にしててさ。昨日の午後便、日の出マンションの配送とかあった?」


 どうやら、このマンションを配送エリアにしている、もう一人の女性配達員に連絡がとれたみたいで、配達の有無を聞いてくれているようだった。


「うん。わかった。ありがとうね。ごめんね、起こしちゃって」


 彼女はそう言って、画面が私に見えないようにスマホの電源を切ると、ポケットにしまってから、私に向かって元気な声で告げる。


「昨日は、このマンションに配達する配送品なかったそうですよ。ちなみに、どうしたんですか? 置き配していたずらされたとか」

「ううん、いや、そんなことじゃないの。ただ、なんとなくね。それよりも、急に質問したりしてごめんなさいね。お仕事邪魔しちゃったかな」


 私は、そんなことを告げて、逃げるようにエントランスをあとにした。


 *


 どうしよう、ネット通販の配達員は女性だけど、私を見つめるときの視線に異常なほどの熱気を感じた。

 それに、後輩君はなんで私のマンションを知っているのかしら、しかも、以前にネット通販でバイトをしてたなんて、初めて聞いたし。


 置き配されていた配送品の中に入っていた、薄ピンクの口紅。パッケージには怪しいところはなかったけれど、開けてみると、それは一度使われた形跡があった。


 洗面所の前で、私はその口紅を持って考え込んでしまう。一体だれが、こんな悪戯をしたのか、どんな理由で。

 洗面台の鏡の欠けた部分が、まるで私の心の不安を代弁しているようだった。


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