2-25 どうか、この気持ちが伝わりませんように
誰しもが一つ、魔法を持って生まれる世界。
『触れている相手の心を読む魔法』を持つシアンは、その力を使い、魔道具を取り扱う商社を経営している。
シアンは事業拡大と自分の目的のため、より上流階級に入っていくことを目論んでいた。そのための手段のひとつとして、伯爵家の娘を妻に迎えることに。
しかしその伯爵家の娘は、魔道具を使えないだけでなく、生まれつきの魔法すら持っていないという。
成り上がるためならどんな娘でも良いと考え、婚約前提で交流するが──……、いや、どうもこの娘、聞いていた話と違うぞ……??
シアン・スタンレイは野心家である。
「時間もなく、今回は君のところから出してもらうことにしたがね。費用面についても勉強しておいてくれ、スタンレイ君」
「はい、よりお役に立てるように精進します。ありがとうございました」
応接室の扉を押さえ、杖を使いながら部屋を出る老人の背に手を添える。さりげなく、促すように。
上質な生地の上着の手触りとともに、シアンの頭の中で老人の声が流れる。
(なんとか入手出来たから、明日の会合は大丈夫だろう。しかし憂鬱ではある)
この男は貴族議員だ。男の依頼により、シアンが魔道具を調達した。それを横柄な態度で受け取ったが、実のところは手配に難儀していらしい。
さらに明日は何らかの会合のようだ。いいことを知った。
シアンは足取りの遅い老人の横を歩きながら、明るい声を出した。
「そういえば試作品が領地より入りまして。お試しになりませんか? 起動させると暖かく発熱する魔道具なのです」
「ほお……、まあ明日会合だからな。時間があれば皆に見せてみよう」
後ろに付いてきている使用人に目で合図し、物を取りに行かせた。老人の背に手を添え、彼の口から出る声とともに心の中の呟きを聴く。
(安っぽい魔道具だな……、まあ、その方が皆も食いつくが。面白いものだといいい。あの陰鬱な場が少しは明るくなる)
「期待するなよ、皆、忙しいからな」
「はい、皆さまのお話の種になりましたら幸いです」
この老人は貴族議員の中でも分かりやすい部類だ。弱気な心の内を、棘のある言葉で隠しているだけ。
上流階級の人間特有の、表面上の清廉さとどす黒い腹の中との乖離に辟易していた頃もあったが、それももう慣れた。人とはそういうものだ。
「本日はありがとうございました。またぜひお越しください」
「ああ、また」
頭を下げ、老人の馬車が出発するのを見送ってから、シアンはため息をついた。
銀髪をかきあげ、こめかみを揉む。この魔法を使った後はやや疲れるのだ。
「旦那様、お部屋に紅茶をご用意しましょうか?」
「ああ、頼む……、いや、やっぱりいい。ご令嬢がいらしたら一緒に出してくれ」
使用人に指示した後、二階の事務所から螺旋階段を降りた。店舗への扉を開く。
店内はさほど混んでおらず、三組ほどの客が魔道具を物色していた。その中でも最も艶やかなドレスを着た若い女性がシアンに気付き、顔を輝かせた。
「シアン様! まさかお店でお会い出来るなんて思っておりませんでしたわ」
「いらっしゃいませ、お嬢様。お眼鏡に適う魔道具はございましたか?」
手を取って唇を落とし、挨拶する。
確か、最近夜会で会った繊維会社の娘だ。
「どうかしら、色々ご紹介頂けます?」
(やっぱり顔がいいわね、眼福。青い瞳が宝石みたい)
「もちろん、こちらへどうぞ」
この娘は考えていることが顔に出る。
シアンは腕にすり寄ってきた娘に店内を案内しながら、魔法を使うのを止めた。
人は誰しも、生まれながらに一つだけ魔法が使える。
例えば『夜でも目が利く魔法』だったり、『動物と話すことができる魔法』だったり。
二つとして同じ魔法はないといわれる。その人特有のものだ。
シアン・スタンレイ子爵の場合、それは『触れた相手の心を読める魔法』であった。
その性質上、周りには言っていない。
だが、シアンはその魔法を存分に使いながら、魔道具を取り扱う商社を経営してきた。
元々、スタンレイ子爵家の領地は、魔道具の開発・製造が主な産業であった。会社を興し、それらの商流を整えたのがシアンである。
十分な利益を得てはいるが、シアンは自分の目的のためにさらに事業を大きくしたいと考えていた。
そのための手段としてこれから進めるのが、伯爵家の娘との縁談だ。
スタンレイ子爵家は小さい。格式ある貴族との縁ができることは、商売の幅を広げる手助けになるはずだ。
しかしながら、懸念が一つあった。
縁談相手の伯爵家の娘は魔力が無く、魔道具を使えないどころか、生まれつきの魔法すら持っていないのだという。
「準備は問題ないか」
「はい、旦那様」
店舗から応接室に戻ると、飾られていた花が華やかなものに代わっていた。若い女性が来るので使用人たちが気を遣ったのだろう。
すでに外は暗い。これから縁談相手がやってきて、少し話をした後、近くのレストランで食事をする予定だ。
シアンは応接室の壁沿いに設置されている灯りの魔道具に手を触れて回った。
白色から、温かみのある黄金色の光に変わる。
初対面だ。部屋を優しい雰囲気にしておいた方が相手も不安にならないだろう。
縁談相手が魔法も魔道具も使えない、いわばハンデのある体質だとしても、シアンはさほど気にしていなかった。
そもそも、小さな子爵家の自分でも縁談を許されたのは、それが理由かもしれない。上流階級の人間は魔力量や生まれつきの魔法を重んじる傾向にあるからだ。
魔法を持たない娘。気の毒だが、さほど家で大切に扱われてこなかった可能性がある。
同い年の二十五歳だというが、貴族の娘でその歳まで嫁いでいないのはかなり遅い。
シアンの婚姻の目的は相手の家格だけであり、その人間性は気にしていない。
だが、高飛車で傲慢な女は苦手だ。そういう点でも、ハンデのある娘なら、出しゃばったことを言ってくる可能性は低いだろう。そんな卑怯なことも考えるくらいには自分は擦れている。
シアンが身だしなみを再確認したところで、部屋がノックされた。
「お嬢様がお見えになりました」
「通してくれ」
ややあって入ってきたのは、漆黒の髪を流した、上品な象牙色のドレスの娘だった。さすがというべきか、見るからに分かる上質な生地だ。
だが緊張しているのか、俯いていて顔がよく見えない。
シアンは「はじめまして」と優しく告げながら、部屋へ招くように娘の背に手を触れた。娘の声が頭の中で流れる。
(ははあ、なるほどなるほど)
「…………?」
若い娘らしからぬ心の声が聞こえたが、一体何に納得したのだろう。
疑問を抱いたまま、シアンは娘の手を取った。
「シアン・スタンレイと申します。お会い出来て光栄です。どうぞシアンと」
「はじめまして、シアン様。スカーリナ・フィールズと申します。こちらこそ、お会い出来て嬉しいです」
手に唇を落とし、視線を上げる。
その瞬間、目を見張った。
透き通るような白い肌、翡翠のような煌めく大きな瞳。わずかに弧を描く唇は艶やかで形が良い。
とんでもない美人じゃないか。
「あら、ありがとうございます」
「えっ」
無意識に口に出してしまっていたらしい。
目を瞬いている間にスカーリナはするりと手を離し、部屋へ足を踏み入れた。
「とても美しいお部屋ですね。調度品も。これらもシアン様の会社でお取り扱いを?」
「えっ、ええまあ」
スカーリナが部屋の中へ歩みを進めるのに従って、彼女の周りの黄金色の灯りがふっと消えていく。シアンは慌てて彼女の後ろから、魔道具に手をかざして灯りを付け直した。
なんて厄介な。魔道具を使えないという意味を正しく知った。使えないだけでなく、停止もさせてしまうらしい。
「あらやだ、ごめんなさい。あまりうろうろしない方がよいですね。わたくし、緊張してしまって」
「お好きにご覧頂いて構いませんよ。ああでもお茶が来たので、どうぞおかけください」
スカーリナを応接室の一人掛けソファに座らせ、シアンもその向かいに腰掛けた。
「ご存知かと思いますが、わたくし、こういった体質ですの。ご迷惑をおかけすることが多々ございますわ」
「とんでもない。お話は伺っております。生活にご不便は?」
生活に必須の魔道具すら使えないというのは大変であろう。そのように思って訊ねたら、スカーリナはころころと笑った。
「ええ、不便ですけれどもね。わたくし、こう見えて器用なところがございまして、なんとかなっております」
それからしばらく、スカーリナの生活の話を聞いた。
伯爵家では魔力がなくても使えるような生活機械があること。時にはそれらを自作することもあること。生活機械がなかったころは水汲みなども自分で行っていたこと。
「両親が貯水槽を作ってくれたのです。そこから昔はよく水汲みをしておりましたわね」
「なるほど」
「火も使えましてよ。それこそ、古いやり方ですけれどね、例えば──」
魔道具を取り扱う自分のところに魔道具も使えない娘が来るというのは何の因果だ、とは思ったが、さほど心配せずとも大丈夫そうだ。
とはいえ、当初想像していたような大人しいお姫様ではない。
よく笑うし、よく喋る。こちらが口を挟む間もないほど。
シアンは逡巡した。愚鈍な女が妻では困るものの、出しゃばってくるのはもっと困る。
時計をチラリとみて、腰を上げた。
「そろそろレストランの予約の時間ですので」と、スカーリナの手を取る。
出来れば今の段階で、この関係性の主導権を握っておきたい。まあ、レストランで酒でも飲ませれば、もう少し人となりが分かるだろう。
「あら、ごめんなさい。わたくし、お酒は結構強いんです」
「……えっ?」
今、自分は喋っただろうか?
いや違う。そうだ、さっきだって──。
シアンは反射的に手を振り払った。
心臓が急激に、痛いほど音を立てる。
目の前の女を凝視すると、彼女はぞっとするほど美しい笑みを浮かべた。
「人の心を読めるのが、ご自分だけだとお思いだった?」





