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2-23 夜に響く、まだ名前のない音

 夜の公園で、白石紬はクラスメイト・黒瀬ルイの別の姿を知る。

 無口で近寄りがたい彼は、夜だけ正確な音を刻む。


 怖いのに、離れられない。


 その音はやがて、紬の中で――

 “きみの音”になる。

 頬に触れる風が、ほんのりとひんやりしている。

 白石(つむぎ)はラケットを肩に引っかけたまま、校舎へと続く道を歩いていた。

 朝練終わりの、少しだけ気だるい帰り道。


「はぁ……今日もミス多かったなぁ……」


 ぽつりとこぼした声は、小さく消えた。

 隣を歩く陽菜(ひな)が、くすっと笑う。


「えー? つむ、普通に上手いじゃん」

「いやいや、全然だよ。またネットしたし……」


 視線を落として、小石を軽く蹴る。


「あー、ひなの運動神経ほしい……」

「それは仕様だからあげられませーん」


 いつもの軽口。

 その距離が、少しだけ心地よくて、少し悔しい。


 教室の扉を開けた瞬間、空気が変わる。

 ざわめきと笑い声が広がった。

 席へ向かおうとして――


 コツン。


「あっ」


 ラケットの先が机に当たり、弾かれたボールが跳ねる。


「……ごめん」


 黒瀬ルイの足元だった。

 同じクラスなのに、どこか遠いクラスメイト。


「……」


 声をかけても、反応はない。

 机に突っ伏したまま、周囲と切り離されたように静かだ。


(寝てる……?)


 少し迷いながら、紬はボールを拾う。


「……ごめんね」


 もう一度言ってみる。

 けれど、返事はなかった。


「相変わらずだね、あの人」

 後ろから小さな声。

「無視っていうか……存在してない感じ」

「……うん」


 曖昧に頷きながら、紬はルイを見る。

 動かない。反応しない。

 それなのに――


(……なんか、違う気がする)


 思い出すのは、体育の時間。

 校庭にルイの姿はなかった。

 走り回る生徒の中で、そこだけ空白のように見える。

 探すまでもなく、分かる不在。


 体育館の時は、一応参加している。

 けれど、少し動いてはすぐに端へ下がる。

 流れから外れるように、壁際へ。

 そのまま、静かに休んでいる。


(……やる気、ないのかな)

 そう思ってみる。でも――

(なんか、それとも違う気がする)

 その違和感だけが、紬の中に残る。



 その日の夜。

 コンビニの帰り道を、紬は一人で歩いていた。

 手に提げた袋が、歩くたびにかすかに揺れる。

 昼間の騒がしさが嘘みたいに、街は静かだった。

 車の音も、人の声も、どこか遠い。

 ふと、公園の前で足を止める。


 ――カン、カン。


 乾いた音が、夜の空気をまっすぐに震わせた。


「……?」


 耳に残るその音に引き寄せられて、紬はそっと中を覗く。

 街灯の下に、人影があった。

 ラケットを振る影。

 ボールが壁に当たり、跳ね返る。


 規則正しいリズム。乱れのない軌道。

 黒瀬ルイだった。


(え……)


 ただの壁打ちじゃない。

 動きが、違う。

 速い。正確。無駄がない。

 一球ごとに、音が揃っている。

 朝、自分が打っていたそれとは――まるで別次元だった。


「……すご」


 気づけば、声が漏れていた。

 その瞬間、ぴたりと音が止まる。

 返ってきたボールを軽く受け止め、ルイがゆっくりとこちらを振り向く。

 街灯の光が、横顔を淡く照らす。


 長いまつげ。

 整った輪郭。

 感情の見えない無表情なのに、なぜか、目を逸らせない。


(……なんか、かっこいい)


 一瞬、そんなことを思ってしまった自分に、紬は少しだけ戸惑う。

 どうしてそんなことを考えたのか、自分でも分からない。

 それでも、足が自然と前に出ていた。

 夜の静けさが、少しだけ近づく。


「テニス部、入ればいいのに。すごく上手だよ」


 自分でも驚くくらい、素直な言葉。

 返事はない。

 ただ、一瞬だけ視線が向けられて――すぐに逸らされる。

 まるで、それ以上関わる気がないみたいに。


「……そっか」


 小さく笑って、紬はそれ以上踏み込まなかった。

 分かっていたから。

 この人は、簡単に距離を縮めるタイプじゃない。

 少しだけ肩の力を抜いて、その場を離れる。

 背中に、また――


 ――カン、カン。


 乾いた音が戻ってくる。

 さっきと同じはずなのに、どこか違って聞こえた。


(ほんと、変な人……)



 翌日。

 教室は、いつも通りのざわめきに包まれていた。

 紬は席に座りながら、そっと後ろを振り返る。

 黒瀬ルイは、今日も机に突っ伏していた。


「……おはよう」


 自分でも驚くくらい、自然に出た言葉だった。

 ざわめきに紛れるような、小さな声。

 ルイは動かない。

 やっぱり、返事はない。


(……だよね)


 分かっていたはずなのに、ほんの少しだけ肩の力が抜ける。


「つむー、何にやけてんの?」

「に、にやけてないし!」


 陽菜の声に、紬は慌てて前を向く。

 頬がじんわりと熱い。


「絶対なんかあったでしょ〜」

「ないってば!」


 視線を逸らすと、余計に怪しいのは分かっているのに、声が少し上ずる。

 陽菜はにやにやしながら、机に肘をついた。


「ま、いいけどさ。それより――」


 少しだけ声の調子が変わる。


「大会ではペアになろうよ。練習でもだいぶ良くなってるし」

「……え」


 思わず、言葉が止まる。


「サーブも安定してきたし、ラリーも続くようになってきてるじゃん」

「でも……まだミス多いし……」

「自信持ちなって」

「……うん。でも……一年でレギュラーの子もいるし」


 陽菜は肩をすくめる。


「だから何?」


 その一言に、紬は言葉を失う。


「つむは、つむでしょ」


 当たり前みたいに言われる。

 それが、少しだけ胸に残った。



 ――そして、夜。

 バッグにボールを入れて肩にかけ、靴を履いて外へ出る。

 夜の空気が頬に触れた。思っていたより、少し冷たい。

 紬はそのまま歩き出す。


 公園に着くと、人影があった。

 街灯の下。

 昨日と同じ場所。

 黒瀬ルイ。


 ――カン、カン。


 乾いた音が、夜に静かに響いている。

 同じリズム。同じ軌道。無駄のない動き。

 繰り返されているのに、少しも崩れない。

 紬は、その場に立ったまま見ていた。


(すごいな……)


 それだけの感想。けれど、目が離れなかった。

 気づけば、一歩前に出ていた。

 さらにもう一歩。

 けれど、その先で足が止まる。

 声をかける理由が、見つからない。

 そのとき、ボールが足元へ転がってきた。


「あ……」


 拾い上げる。

 顔を上げると、ルイがこちらを見ていた。

 無表情のまま、まっすぐに。

 紬はボールを軽く放る。

 ルイは無言で受け取った。

 ほんの一瞬、視線が重なる。

 それだけなのに、距離が少しだけ近づいた気がした。

 紬は小さく息を吸う。


「……あのさ。私も、ちょっと打っていい?」


 しばらくの沈黙。

 ルイは何も言わない。

 けれど、わずかに横へ動いた。

 それだけで、十分だった。

 紬はラケットを構える。


 ――カン。


 音がひとつ、増える。

 最初は少しだけずれていたリズムが、少しずつ揃っていく。

 ルイの打球は正確だった。

 同じ場所に、同じ速さで返ってくる。


(合わせやすい)


 自然と体が前に出る。

 一球、遅れる。

 打点が後ろにずれた。


「……駄目だ」


 低い声。

 紬は顔を上げる。


「打つとき。声」


 それだけだった。

 紬は一瞬、動きを止める。


(あ……)


 思い当たる。

 紬はゆっくり息を吸う。


「……っ」


 声を乗せて振る。


 ――カン。


 音が変わる。

 軽く、鋭い。


「……あ」


 自分でも分かる。

 もう一球。

 今度は迷わず声を出す。


 ――カン。


 リズムが揃う。

 体の動きと、音がきれいに重なる。


(……いける)


 ほんの少しだけ、手応えがあった。


「……だから」


 ルイが言う。


「遅い」


 短い一言。

 紬は少しだけ顔をしかめる。

 それでも。


(……ちゃんと見てる)


 そのことが、どこか嬉しかった。


 そのとき。

 ルイの視線が、紬の背後へ向いた。

 空気が変わる。


「……夜は、危ない」

「危ない?」

「……出て行け」


 それ以上は続かなかった。

 紬はしばらく立っていたが、やがてラケットを下ろした。

 理由は分からない。

 それでも、その場を離れた。


 夜風が、少し冷たい。

 歩きながら、言葉が残る。

 “出て行け”

 拒まれたような感覚。

 胸の奥が、わずかに重くなる。


 大通りに出る。

 断続的な車の音と光。

 紬はタイミングを見て走り出した。

 ――いける。

 そう思った瞬間。

 バイクの強い光が視界に入る。

 足が止まる。

 判断が遅れる。

 そのとき、腕を引かれた。

 体が後ろへ引き戻される。

 風が横を抜けた。


「前、見ろ」


 低い声。

 振り返ると、ルイがいた。


「……ありがとう」


 ルイは答えない。

 ただ、紬の腕を掴んだまま見ている。

 確かめるように。


「……もう、出歩くな」


 小さく言う。


「夜は、危ない」


 同じ言葉。

 けれど、今度は違って聞こえた。

 手が離れる。

 残った感触が、ゆっくり消えていく。

 ルイは背を向けた。

 街灯の下、影が伸びる。

 紬はその場に立っていた。


(……変な人)


 そう思う。

 けれど。

 それだけでは足りなかった。

 胸の奥に、何かが残る。

 まだ名前のない感情。

 そしてそれは――あの音と、確かに繋がっていた。

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