2-19 銀河病院船ラッキー・クローバーは四重苦
舷側に四つ葉のクローバーを配した銀河連合所属の航宙艦「ラッキー・クローバー」
「幸運艦」のはずなのにその実はいつも激ムズ救助任務の貧乏くじを引く病院船で、陰では「四重苦のよつ葉」と呼ばれていた。
どんな激戦宙域であっても武器を持たない丸腰派遣、おまけに銀河連合の予算難のため博物館級のクラシックなボロ船、航海中は激務が続くために志願者が少なく慢性的なスタッフ不足、その上重病人がいる時には亜空間ジャンプができない鈍足航行、の四重苦。
ここ数年権威がガタ落ちする銀河連合に敬意を払う星はほとんどなく、相手の善意を前提に活動するしかない病院船は常に戦闘に巻き込まれるリスクにさらされていた。
次々に訪れるアンラッキー。しかし乗組員は腕と往生際の悪さで窮地を脱していく。
苦しむ人を見捨てるようじゃあ、腹の四つ葉が泣いてるぜ!
「停船しろって言ってます、どうしますかソーザ艦長」
艦橋フロア前面に広がるスクリーンには、点滅して信号を送ってくる後方の戦艦が大写しになっている。
薄汚れた金帯の正帽を斜めにかぶったソーザこと立花惣佐衛門は、紡錘形の白い顎髭をしごきながら、鋭い目でスクリーンを一瞥すると片眉を大きく上げた。
「砲塔を上げたままでの病院船に対する停船信号は銀河連合規約に反している。それに俺の勘だが、奴らなんだか殺気をまとってやがる。無視しろ、春野。全速離脱だ」
「了解」
チーフパイロットの春野は顔色一つ変えずにハンドルについたハイパーエンジンのボタンを押す、と同時にペダルを踏み込んだ。その瞬間、安普請の船体がガタガタと揺れて中央スクリーンに映っていた艦影が漆黒の闇に吸い込まれたように小さくなった。
「ちょっと、何してくれてんの? 言ったでしょ、難しい脳幹のオペ中だって」
船体の悲鳴をかき消すように、いきなりどすのきいただみ声が艦橋に響き渡った。
「ああ、すまなかったリンダ。減速しろ」艦長は肩をすくめる。「艦長より看護師長の権限が強いのは、この船くらいだろうな」
彼女とは長い付き合いである。少々のことでは何も言ってこないことは艦長もわかっていた。
「いいんですか、艦長? 砲塔が微妙に射角を調整していました。あれは脅しではありません、マジで狙ってます。距離が縮まったら問答無用で撃ってくるかもしれません」
コパイロットの路涛がこめかみをピクつかせながら椅子ごと艦長を振り返る。
「まあ、その時には凄腕の春野チーフが何とか切り抜けてくれるだろう」
「そんなに過大評価されても、できることしかできませんが……」
見えているのか見えていないのかわからないくらい細い目を更に細くして、春野はのんびりとした口調で答える。しかし、その手はハンドルを握り最小の動きで相手の照準をずらせるように数手先読みをして航路を選択していた。
背後の戦艦の砲塔は戸惑うように動き、明らかに照準を決めかねていた。
操船はほぼAIが行う昨今、敵味方ともAIのアルゴリズムの基本はほぼ共通しているため優劣を決めるのは演算スピードや場面での選択肢の広さなど――身も蓋もない言い方をすればAIへの金のつぎ込み具合だけ、と言っても過言ではない。
このラッキー・クローバーは銀河連邦の権威低下による予算不足で高性能AIが搭載できず、操船の多くを人力に頼るしかなかった。
だが、なにが幸いするかわからない。
AIに言わせれば『何を考えているかわからない』人間の意外性は、時に彼らAIの予想を凌駕するのである。
加えて、明らかに間違っている選択肢をAIはほぼ推奨しないが、人類は時にうっかりやらかしてしまうこともある。それは常に王道を最適解として選択するAIの予測から大きく外れ、このラッキー・クローバーに何度か望外の幸運をもたらしていた。
滑るように空間を渡り、相手の照準を出し抜いていく春野の操船を隣の路涛は呆気に取られて見ている。綱渡りのようなハンドリングなのにもかかわらずチーフの表情は緊張感の欠片もなく、まるで今にも鼻歌を歌い出しそうだ。
こういう所が仲間内で交感神経のない男と呼ばれている所以である。
「そろそろ、まずいです艦長」
路涛の声が裏返っている。
スクリーンには追手の姿が大きく映し出されていた。レーダーインジケーターが赤く光る。さすがの春野でも、減速のままでは限界がある。
「ロックオンされました」
「オペはまだかっ、リンダ」
「オペ完了です。患者を安全区域で固定しました」
艦長の声と重なるように、だみ声が艦橋に響き渡った。
「もう限界だ、かっ飛ばすぞリンダ」
「許可します」
「春野」
言われるより早く、チーフパイロットの細い指が滑らかにコンソールを走る。
次の瞬間、メインスクリーンに映っていた前方の星がふっつりと消えてスクリーンは黒一色になった。
と、同時にラッキー・クローバーの消えた空間を一本の光線が切り裂いた。
「ギリギリでしたね」
路涛はふう、と大きく息を吐き出して背中を椅子に沈めた。額に浮き出した汗が高い鼻の横を伝って流れていく。
「しかし、ルー君。今回の医療派遣チームに難しい脳の手術ができるような先生がいたかなあ?」
「さあ、潤沢な人手があればできるかもしれませんが、ここは常にぎりぎりの医療スタッフでまわしてますからねえ」
路涛が首をかしげる。
「ま、救助者の中に腕のいい脳外科医がいたんでしょうね」
「ごくろうさまでした先生。額の汗をお拭きください」
リンダが白いタオルを華奢な手に渡した。
「ありがとう」
エキゾチックなダークアンバーの肌。長いまつ毛の下に蒼いオパールのような印象的な瞳を持つ娘は受け取った熱いタオルに顔を埋める。
しばらくして顔を上げた彼女は粉末コーヒーをかき混ぜる体格の良い看護師長をじっと見つめた。
「それにしてもよく信じてくれましたね。自分の名前さえわからない、記憶のほとんどを失っている私が脳外科医だってこと」
「ドクター用の術衣を着ておられましたから。でも、決め手は先生の指ですよ」
振り返ったリンダはにやりと微笑みながら視線を彼女の指に落とす。
特殊な形状のペン型脳神経用メディカルツールを一日何時間も持ち続けた、一握りの者にしかできない特殊なタコが彼女の指にあった。
「以前、私がオペ看でよく器械出しをしていた脳外の先生も同じところに全く同じような形のタコを作っていました。腕のいい先生でしたけどね」
小皺のある目じりを細めてリンダは小さくため息をついた。
「だから、あなたの言葉を信じたんです。手術が決まってからの指示も的確でしたから。それにあの青年はあと十分も遅れていたら命はなかった」
つい数時間前。
この船に運ばれてきた一番の重症患者は、後頭部を血だらけにした黒髪の青年だった。彼のベッドの横に下がったディスプレイには脳幹損傷の画像が写っていた、検査中に急変したのかすでに息が無く若い救急医がトリアージの札を黒に付け替えようとしている。
「待って」
その時、治療後の待機列から頭部を白いネットで包んだ娘が飛び出してきた。
「その人は助かります。私に手術をさせてください」
救急医が怪訝そうに彼女をふりかえる。
「彼は人種が違います。彼らは低酸素に強いんです、私は脳幹手術の経験が豊富です」
「君、彼を知っているのか? 名前は?」
彼女は今回の救助地点の一つである被弾した病院から救出された中の一人なのだろう。手術前であったのか医師用のオペ着を着ている。だが、他人と共用することの多いオペ着にはネームカードが付いていなかった。
「頭部を打撲して、記憶が……一部無くて……」
「冗談じゃない。そんな人に治療を任せるわけにいかない。ネットもつながらないから本当に医師かどうかもわからないし。彼は残念だが天命だ。僕は他にも診ないといけなんだ、さあどいてくれ」
「待ってください、自信があります。頭はもうはっきりしています」
取りすがる彼女を振り払うようにして、救急医が立ち去ろうとしたときに間に入ってきたのはリンダだった。
「先生、彼女は間違いなく脳外科医です。助かる可能性があるなら一か八か治療してもらいましょう。責任は私が取ります。幸い使う予定のないオペ室がありますから、私が手術介助につきます」
看護部のトップ、ラッキー・クローバーの陰の主と言われるリンダにそう言われては救急医も返す言葉がない。
「では、お任せします。僕は責任をとりませんから」
関知しないとばかりに彼はそそくさと立ち去って行った。
「先生の腕は確かですね。私が一緒に仕事をした先生の中でもトップクラスです」
リンダが紙コップに入ったコーヒーを渡す。
娘はコーヒーに映った自分の顔を不思議そうに眺めながら、長いまつ毛を何度かしばたたかせた。
「招聘されたあの病院で次の手術を行うために準備をして待っていました。そうしたら、急に轟音とともに天井が割れて……。それしか覚えていないのです」
「手術をした男の方とは面識がおありなのですか? 私たちとは人種が違う、と言われましたが」
「なんとなく、そう思っただけなんです。それしか……」
一息ついて、リンダがゆっくりと口を開いた。
「先生のおっしゃったことは当たっていました。頭部の消毒をしたときに、黒く染まった髪の下に紫の髪が……」
リンダは戸惑いを隠せない娘の顔をじっと見た。
「あの星を統治する王族は他星からの移住者で、彼らの特徴は鮮やかな紫の髪――だそうです」
彼ら王族はこの星間戦争の原因であった。
「それにしても、なんであいつらこの艦を攻撃したんでしょうか」
亜空間ジャンプが軌道に乗ったところで、路涛が貧乏ゆすりをしながらつぶやく。
「前みたいに戦闘の憂さ晴らしのために試し撃ちをしたかったんでしょうかねえ」
「その件だが、今リンダから報告が上がってきた」
艦長は白髭をしごきなから艦橋の面々を見回した。
「この船には、政治亡命に失敗したヴェーダ三世が乗っているようだ」
その言葉だけで事の重大さを理解したのか、艦橋が静まり返る。
「そうだ。よりにもよってこの星間戦争の主原因、相手が一番殺めたい奴を乗せてしまったようだ。だが、たとえ悪人だとしても治療が必要な病人をみすみす死地に放り出したりすれば、腹のよつ葉が泣きやがる、なあ春野」
「はい、中立地帯まで全力でかっ飛びます」
チーフパイロットはまるでルーチンワークを指示されたかのように、何食わぬ顔で返事をした。





