2-11 イカサマ女道士は皇帝陛下の運命の鳳凰
異能を理由に故郷を焼かれた茜華は、今は力を使わずイカサマ女道士として稼いでいる。
彼女の話術と詐術に目をつけたのは、龍翔国の若き皇帝、景辰。信心深過ぎる先帝の影響で、後宮には怪しげな迷信の噂が渦巻いている。それを、茜華の「それっぽい」演出で一掃したいのだという。
「断れば、民心を惑わす偽道士の咎で罰するが」
「これだから権力者って嫌……!」
最初は渋々ながら後宮に入った茜華だが、人為的な「呪いや祟りや神罰」に怯える妃たちを放っておけず、景辰と共に後宮を恐怖で支配する「黒幕」と対峙することを決意する。後宮の各所に潜んだ悪意の謎を紐解くうちに、茜華は彼女の故郷が滅ぼされた本当の理由も知ることになる。
話術とトリックで迷信を暴く、中華謎解きファンタジー!
龍翔国の都、常京の街は賑わっていた。
緑の香りをはらんだ初夏の風が運ぶのは、市に並ぶ香辛料や果実、屋台で炙られる肉の脂の匂い。それに、甘く蠱惑的な香の香りも。
それらを売る商人の声は高く、品定めする客の声は絶え間なく寄せては返す波のよう。諸国から集まる細工物や陶磁器も色鮮やかで、道行く者の目を楽しませる。
そんな、都の賑わいを圧縮したかのように繁盛する、とある酒楼にて。
妓女の奏でる嫋やかな胡弓の調べを聞きながら、茜華は茶器を傾けていた。
上質の青磁に、淡い色の茶はよく映える。茶請けの梨の砂糖漬けも、品の良い甘さが凝縮されて実に美味しい。
(当たりの店で、当たりの品だったわ)
茶の香りを堪能する茜華は、周囲の客からちらちらと視線が送られるのを感じていた。
彼女が、見目麗しい美少女だから――では、ないだろう。
顔かたちは割と可愛らしいほうだと自負しているけれど、詩に謳われるような名妓たちには及ばない。
山査子を思わせる赤い瞳も、紅毛碧眼の異国人もいる都ではさほど珍しいものではない。
茜華について何よりも目立つのは、服装だ。
ゆったりとした袖の、黒い袍。襟や袖口には赤を配し、金銀を交えた刺繍で紋様を入れている。髪も、流行りの髪型に結い上げるのではなく、小さく纏めて巾で包み、さらに独特な帽を被っている。
道服、つまりは道術を修める道士の装いだ。若い娘がまとうには仰々しくて、見る者の好奇心を掻き立てるだろう。
(上客を捕まえられると良いなあ)
もちろん、茜華のほうからがっついたりしない。色々な人が集まる酒楼には、色々な騒動も集まるものだ。悠然と構えて待てば良い。
彼女の予感では、そろそろ何かが起きるころ合いなのだ。
案の定――胡弓の演奏が一段落したのを見計らったかのように、酒楼の広い大庁を揺るがす大声が響いた。
「何と不吉な店構えだ! これほどの凶宅は見たことがない!」
八割がた埋まった店の奥で、男がひとり、立ち上がっている。
眼光鋭い、骨ばった頬。胸まで届く顎髭に、茜華と似た道服。ただし、彼女のそれよりも、生地や刺繍の質は数段落ちる。世俗を離れていて身なりに構わないのか、それとも役作りが甘いのか、どちらだろう。
その「道士」は、酒楼の主らしい恰幅の良い男に詰め寄った。役者さながらの張りのある声は、茜華の席にまでよく届く。
「通りの突き当りに位置する上に、玄関が北を向いておる。都中から吸い上げた邪気の流れを受け止める、大凶の家相だ!」
縁起の悪い言葉をちりばめた「道士」の訴えに、客席に不穏なざわめきが広がった。
不安に驚き、少しの好奇心――様々な感情を面に浮かべた客たちの中、茜華だけが満面の笑顔を浮かべていた。彼女の赤い目は、極上の紅玉のように煌めいていたことだろう。
(展開も、当たり……!)
彼女には分かる。道士姿の男は、見た目だけ取り繕った素人だ。
確かに、突き当りや北向きの玄関は凶相とされる。だからこそ、茜華も狙いをつけてこの酒楼で待っていたのだ。
とはいえ、都の繁華街で良い相の土地を求めるのは難しい。制約の中でも運気を呼び込む設計にするのが玄人なのであって、理論を振りかざして脅すなんて、質の悪い詐欺師に違いない。
「そう仰られましても。長年ここで商って、こうして繁盛しているのに」
困惑顔の楼主が述べたもっともな反論に、「道士」はすかさず切り返す。
「それは見た目だけのことだ。客が持ち込んだ邪気や悪運は、この大庁に溜まっている。今も息苦しいほどだ……いつ何時、凶事が起きるか知れたものではないぞ!」
わざとらしく咳き込んでみせた後、「道士」は道服の袂に手を突っ込んだ。
「このわしが――霊雲宮の薛真人が居合わせて良かった。この水晶玉さえあれば――」
お手本のような詐欺の手口が見えたところで、茜華はしなやかに立ち上がり、薛真人とやらの間近に歩み寄った。
「おかしなことを仰いますね」
茜華の涼やかな声は、偽道士――真人の称号を究めた者が、そうそう都の繁華街にいるはずがない――の声に負けず劣らず凛と響いた。
「家主の生年も知らぬのに、どうして家相見ができますか。ああ、もしかして仙術でお分かりになった? そうですよねえ、でなければ吉方も凶方も読めませんものねえ。さすがは真人を名乗るだけのことはある――ならば後学のためにも教えてくださいませ。楼主殿の生年は何の年ですか?」
楼主ではなく薛真人に向けて、茜華は首を傾げてみせた。答えなければ言いがかり扱いしてやる、と――存分に伝わったことだろう。
「ろ、楼主の生年は――丙申だ!」
怒りだか焦りだかで顔を赤くしたり青くしたりした後――薛真人は、叫んだ。
十干十二支を組み合わせた六十通りの中から、あてずっぽうでの一点張りだ。度胸は良くても、分が悪い賭けなのは言うまでもない。
「戊子ですね……」
ほら、目で問うた茜華に、楼主は気まずそうに答えた。やり取りに注視していた客たちも、一斉に失笑を漏らす。
百人に届こうという人数に呆れと蔑みの目で見られて、薛真人はますます顔色を失った。
「な、何がおかしい! 生年などささいなこと、この水晶玉の力があれば! 邪気を吸い取って、あらゆる不幸や凶事を退けるのだ!」
「まあ、すごい。少し、見せていただいても?」
「な、小娘、何を――」
薛真人が掲げ上げた水晶玉を、茜華はすばやく奪い取った。彼女の手のひらにようやく収まるほどの、大きく透明な逸品だ。いったいいくらで売りつけるつもりだったのだろう。
「確かに、曇りひとつない見事な輝きですが――」
淀みなく語りながら、茜華は水晶玉を吟味した。その美しすぎる輝きと、指先に伝わる微妙な感覚を。
(やっぱりね。油を塗ってる)
玉に油を浸潤させると、傷やヒビに染み込んで見た目上は滑らかになる。内部の話だからあからさまに濡れているわけではないけれど、見る者が――例えば茜華が――見れば、分かる。
軽く袖を一閃させてから、茜華は薛真人に水晶玉を返した。
「邪気は、思いのほかに近くにあったようで。見事に浄化の役を終えたようですね?」
「な――」
相手が絶句したのも道理、ほんの一瞬の間に、水晶玉の輝きは見る影もなく失せていた。雨模様の空のように、灰色にくすんで雲っている。
「な、なぜ……どうやって……」
「だから、邪気を吸い取ったのですよ。これで、この酒楼も安泰ですね。……貴方の邪心も収まったことでしょうし、ね」
水晶玉は、薛真人の悪巧みに反応して曇ったのだ、と――茜華はそういうことにした。
実のところ、彼女も薛真人と同じく偽道士、水晶玉の変化だって、ごく単純な仕掛けを使っただけなのだけれど。
彼女の道服のゆったりとした袖には、様々な仕事道具が隠れている。そのひとつが、細かな石灰の粉末だ。
石灰粉は湿気をよく吸う。水晶玉が邪気を吸うよりもよほど確実に。水晶を輝かせるための油分にもよく吸着して、その輝きを曇らせてくれる。
「邪気や悪霊が水晶玉が曇らせる」演出のためのものだ。今日は薛真人から言い出してくれたから、信憑性も増しただろう。
「その水晶玉は、今後の戒めとして持ち帰られると良いでしょう」
彼女の不可思議な力を信じて震えている偽道士に、水晶玉の弁償を求める勇気はないだろう。そう判じて、茜華はにこやかに駄目押しした。
「お、覚えてろよ……!」
ほら、思った通り。「薛真人」は、ありふれた捨て台詞を吐いて退散していった。
「すごい!」
「若くて可愛いのに――」
「いや、何百年も生きてる仙女では!?」
偽道士が姿を消した後――恥ずかしくなるような賞賛の言葉と喝采に、茜華は慎ましく目を伏せるだけで答えた。こういう時は、控えめにしておくに限る。
「金子を包まねば、あの手の輩は引き下がらぬかとも思っておりました。いや、お陰様で助かりました」
「そのような――半端な知識を悪用する者を、見過ごせなかったまで、です」
安堵の表情で揉み手する楼主にも、色気を見せてはならない。客に気持ち好く金子を出させることも含めて、腕の見せどころというものだ。
「ご謙遜を……助けていただいた御礼をさせてくださらねば」
「どうしてもと仰るなら。でも、本当にお気持ちだけで」
ほどなくして楼主が用意してくれた、なかなかの重みの包みを懐に、茜華は悠然とした足取りで酒楼の入り口を目指した。去り際に、肩越しに艶やかに笑って、宣伝するのも忘れない。
「私はしばらく都におります。助けを求める方と、ご縁があるようにと願っております」
この場で、困りごとや悩みごとを募っても良かったのだけれど――大庁の隅に陣どって茜華を見つめる若者の姿が気になっていた。
椅子に座っていても分かる、長身と姿勢の良さ。身のこなしの隙のなさ。遠目にも眉目秀麗で、所作も洗練されている。
(偉い人だったら嫌だなあ)
若者の鋭い視線が背中に刺さるのをひしひしと感じながら、茜華は酒楼を後にした。
権力者というものは、祟りだの悪霊だのより、もっとずっと恐ろしい。彼女はそれを、身をもってよく知っている。
何しろ、彼女の故郷を焼き滅ぼしたのは、龍翔国の正規軍だったのだから。





