51,沢山の贈り物を詰め込んで
十三歳。課題や雑務に追われて、気付けば季節は過ぎ去っていた。寒さより、眠れない夜が辛かった。
「お古のペンやノートを与えれば、面倒事を肩代わりしてくれるんだって」
その噂から聞いた他の歌姫達からも、次々に押し付けられるようになってしまったのよね。
誰かの代わりに、神殿での奉仕活動と課題に取り組む日々。寒い季節、遅くまで起きていた私は、震える体でそれらをこなしていた。
朝までに完成しなければどうしようという不安と、眠れず体の疲労が蓄積していく毎日は、とても堪えた。おかげで多くを学べた気はするけれど。
「ミュシュ、少し屈んでくれるかしら?」
声をかけてきたのは、小公爵夫人――お義兄様の奥方。お義姉様だった。
膝を折ると、肩にふわりと柔らかく温かいショールがかけられた。薄いピンク色のショールは、春らしくてとても可愛らしい。
「貴女は体が強くて、滅多に風邪を引いたり熱を出したりしないと聞いているけれど……寒さを感じないわけではないのでしょう?熱心なのは貴女の長所なのでしょうけれど、休む時は休んで、体を労わってね」
それはまるで、必死に机に向かう私の背に、そっとかけてくれたみたいだった。そのお返しとばかりに、胸元に下げられた希望を呟いた。
「……はい、ザスキアお義姉様」
「まぁ!これからもそう呼んでちょうだいね」
差し出された腕に、軽く抱き締められる。本当の姉が居たら、あの頃の私もこんなふうに包んでもらえたのかしら。背中から心まで、ポカポカと温かくなっていく。
私は肩にショールをかけたまま、スティに手を取られ階段を下りた。
十四歳になる頃には、歌姫達の中でも地位の高い方々に目をかけられるようになっていた。私の歌姫としての力が強いからと、課題ではなく奉仕活動を重点的に行うよう頼まれ始めたの。
大神殿や、時には王国騎士団の宿舎へと足を運び、怪我や病の回復を願って歌う。
感謝されるたび、嬉しかった。けれど同時に、こうも言われた。
「アンタかよ」
高位貴族の歌姫を望んでいた人ほど、私を見て落胆した。
その一言に、どれだけ胸が痛んだだろう。それでも私は、歌うしかなかった。体も心もどんどん疲弊していったわ。
そんな私の前に立ったのは、カトカリナ様。瓶と箱を持っている。
「こっちは、わたくしが大好きな蜂蜜。そしてこっちは、マルスミール様がよくお飲みになる紅茶よ。頑張りすぎて無理をしてしまう貴女に、『一緒に休みましょう』ってお茶を入れてあげたかったわ。今度、またお茶しましょうね」
「……はい」
もう一人のお義姉様にも抱き締められる。ふと、私はラディムのことを思い出した。
私はラディムに、姉らしいことをほとんどしてあげられなかった。たった数年――それも、あの子にとっては四歳までという、私の存在をかろうじて覚えているくらいの頃に離れ離れになってしまったから。
(私も、ラディムにこうして抱き締めてあげたかった。次にあの子に会う時は……私から抱き締めてあげたいわ)
そうして年表は、私を旅へ追い立て始める。
十五歳になると、王都から出たがらない歌姫達の代わりに、地方への儀式へ向かわされることが増えた。
本来、先輩歌姫が指導をして回ってくれる。けれど、私にはそんな存在は居なかった。くじで決められた先輩は、同行してくれたものの常に不機嫌で。
くたびれた服装と、先輩方から譲ってもらったお下がりのバッグを手に持つ私に、「貴女みたいな人が同じ歌姫だなんて。恥ずかしいから、一緒に歩かないでちょうだい」と突き放されて。
そんな人から指導してもらえるはずもなく、必死で見て学ぶしかなかった。
「私もザスキアのように、名前を書けばよかったな。……コホン。私からはこれを。レディは荷物が多いだろう?この鞄は頑丈で沢山入るのに、とても軽いんだ。ミュシュの旅のお供に、使ってもらいたかった」
小公爵様――お義兄様が持っていたのは、お洒落な黒のトランクケースだった。白いベルトにグレーのステッチ、外に付けられた金のプレートには楽譜の高音部記号が掘られている。
受け取ると、確かに大きな見た目のわりにとても軽い。こんなバッグを持って旅が出来たなら、少しは心を強く持てたのかしら。
「これから、大切に使わせてもらいますね。ヘルムートお義兄様」
「……!あぁ。そうしてくれ」
名前を呼ぶと、嬉しそうにヘルムートお義兄様は笑ってくれた。
鞄が大きすぎてどうしよう、と迷う間もなく。ヘルムートお義兄様は鞄を開いて、みんなの贈り物を次々に詰めていく。
(あぁ……なんて……)
幸せに満ちた旅路なのか。
けれど、もう随分と重そうなそれを持つスティが心配で、私は顔を覗き込んだ。すると、
「ミュシュの貰うべきものは、こんなにも沢山あったんだね。それを持たせてもらえるなんて嬉しいな」
と微笑んでくれて。
その重みを、幸せを、分けてほしい。そんな思いから、私も持ち手に手を伸ばした。
「私も、一緒に運ばせて。今の私に辿り着くまで」
「そうだね。一緒に行こうか」
十六歳になれば、何処へ行くにも一人で向かわされた。面倒を押し付けられる、都合のいい歌姫。私はそうして立場を築き上げられていった。
高位貴族の歌姫達が貴族対応を行い、私のような下位貴族の歌姫は、平民対応や地方対応ばかりを任されていた。
けれどどうしてか、その方が息がしやすかった。私が弱い立場だと知らない彼らは、まっすぐに「ありがとう」と言ってくれたから。
「兄上が鞄だったから、俺からは楽譜フォルダーを。ミュシュのことだから、楽譜を大切にしたいだろうと思ってな。あと、こっちは俺の婚約者から、手袋だって。まだ結婚していないから、こういう席には呼べなくてな。『アルばかりずるいわ!』って言われたよ」
そう口にしながら苦笑する二番目のお義兄様は、表に美しい刺繍の施された楽譜フォルダーと、ショールよりも少し濃いピンク色の手袋を渡してくれた。
当時の私は、楽譜フォルダーなんて持っていなかった。楽譜が折れないよう、お古でもらって使い切ったノートの紐を解いて紙を取り出し、表紙と裏表紙の間に楽譜を挟んで持ち歩いていた。
手袋も、とても温かい。かじかむ手に息を吐きかけながら奉仕活動をしていたあの頃、これがあったならと思わずにはいられない。
婚約者の方とは、確か祝賀パーティーでお会いしただけ。とても歌を褒めてくださって、いつか屋敷に来てほしいと伝えてくれていた。
「嬉しい……。アルミンお義兄様、コローナ様にはお礼のお手紙を書くので、お渡しいただけますか?」
「そうしてやってくれ。あいつもきっと喜ぶよ」
義兄義姉達との触れ合いに、私の心はふわふわと跳ねるようだった。足取り軽く、次のお立ち台へと向かう。
十七歳までの日々は、もう大して変わらない。
毎日欠かさず歌の訓練をして、奉仕活動や儀式へと向かう。ただそれだけ。――何も変わらないまま、心だけが擦り減り続けた。
東西南北、あらゆる街や村を訪れた。王都とは違った、素朴ながらも温かみのある景色や人達。
しかし――そこに私の居場所はない。
歓迎はされても、その一員になれはしない。温かいのに寂しくて、親しみは向けられるのになんだか遠くて……。いつしか、そんなちぐはぐさにも、私が歌姫でしかないからだと、そう納得していた。
けれどそれは、私の方が無意識に線を引き、気遣いや優しさに手を伸ばせていなかったせいだった。それに気付けたのは、つい最近のこと。
そんな私に、胸に抱けるくらいの大きさの額縁が差し出された。そこには、私の見てきた王国の様々な景色が描かれていた。
「ユン……」
「ミュシュ様が、これまでどれだけ多くの人々を救ってきたのか、私はほんの一部しか知りません。でもその道のりは、ミュシュ様が望んで向かった道ではなかったのですよね」
ユンは明るい声のまま、まっすぐ言う。
「ミュシュ様のことですから、嫌々お役目に向かわれるようなことはなかったのでしょうけれど……。それが自分の責務だからと、足を向けられたのではないですか?」
ユンの言う通り、嫌々お役目を果たしていたわけではない。誰かの力になれればと、そう望んではいた。けれど――心からその道を望んだのかと聞かれれば、きっとそうではなかったのでしょうね。
「それでも沢山の感謝で溢れていたのは、ミュシュ様の人柄あってこそです!真摯で、誰にでもお優しいミュシュ様が、この景色を守ってこられたんですよ。どうかその日々を誇ってくださいね」
「…………っ」
優しい色使いで描かれた、見覚えのある景色。紅葉の美しい山々に、澄んだ小川の流れる村、人との距離が近い街に、地域のお祭り。
ユンの言葉に、また私の瞳が潤みはじめる。そんな私の手を、スティがそっと引いた。
そうして――十八歳。
王妃殿下に声をかけてもらうことが増え、悪夢が始まった。
筆頭歌姫、そして、レヴィン殿下の婚約者の座。そんなものが転がり込んできて。
王太子の婚約者だというのに、誕生日パーティーなんて存在を忘れてしまうほど冷遇されていた。婚約者からも祝ってもらえず、厳しい王太子妃教育と奉仕活動に明け暮れていた。
そこに更に追い討ちをかけるように、歌姫達からは嫌がらせや悪口を、殿下からは蔑みと嫌悪を向けられて。
降って湧いた重責。望んでもいない肩書きと立場。どうすれば認めてもらえるのか、まるで分からなくて。
「ミュシュ様」
「……ラダ……」
ラダが目の前に立つだけで、じわりと涙が滲んでいく。だって……ラダがあんなにも柔らかく微笑んでいるんだもの。
「私からはこちらを」
「……ペアの、ティーカップ……」
「ミュシュ様が喉を傷められるのは、更にこの後のことと存じております。ですが、その前から……じわじわと毒を飲まされているような、辛い日々だったのではないですか?」
「…………」
私は少し悩んだ末、静かに頷いた。
辛くない。悲しくない。そう言い聞かせて、筆頭歌姫として振舞わねばと思っていたけれど。
(本当は、とても苦しかった……)
「理不尽に傷付けられる日々は、どれほどの恐怖だったか……私には分かり兼ねます。きっと想像を絶する恐ろしさだったことでしょう。けれど、もう二度と、ミュシュ様にそんな思いはさせません」
いつも通り落ち着いた、ラダの静かな声。それなのに、とても心強く安心出来る。
「ラダ……っ」
「私が、殿下とミュシュ様の御身をお守りします。お二人の安全を、私が必ず作ってみせます。ですから、どうか。お二人で、ゆっくりお寛ぎください」
頬も唇も、ふるふると震える。
王宮に与えられたあの寂しい部屋に、もしラダが居てくれたなら。どれだけ安心して過ごせただろうと、その揃いのティーカップが収められた箱を胸に抱く。
「片方は私のってことだよね?これは……ラダに何かお返しをしなくちゃいけないなぁ」
苦笑しながらも、スティも嬉しそうだった。このティーカップに、ラダの淹れたお茶を飲む――そんな日を思い描きながら。
私は、最後の場所へと向かった。




