【外伝】クレオと、名もなき竜
――クレオ視点――
――卒業式のあと、第四騎士団へ発つ前の夜――
俺は、顔がいい。
これは自惚れじゃない。事実だ。
鏡を見りゃわかる。鼻筋は通ってるし、目つきも悪くない。鬣みてえな髪も、自分じゃ気に入ってる。
……ただ一つ、顎が割れてる。
ダミアンのクソ教官は、それをネタに俺を「アゴ」だの「アゴワレ」だのと呼びやがった。
最初は腹が立った。だが、途中で気づいた。
あいつは、俺を見てる。
見てるから、いじる。
俺は、見られる男でいたい。
……だから、目立つ場所にしか、立ちたくなかった。
◇
だから、あのおっさんが来たとき、正直、目障りだった。
三十五。十八年落ち続けた男。
なのに、竜騎士志望だと言う。
ふざけんな、と思った。
竜の数は、限られてる。
枠は少ない。俺は第八騎士団の内定を取って、ここまで来た。譲る気なんてない。
だから、走りながら言ってやった。
夜中に急に走ると、中年には心臓に負担がかかるんじゃないのか、って。
あんたみたいなおっさんには、辞退してもらいたい、って。
……我ながら、みっともねえ。
あれは要するに、怖かったんだ。
枠を、取られるのが。
◇
格技で、負けた。
完敗だった。
俺の裂爪旋風拳は捌かれた。極穿螺旋掌は、岩をも貫くはずの俺の切り札は、あのおっさんの胸板で止まった。
そんで、名前も知らねえ技を食らって、意識が飛んだ。
目を覚ましたら、あのおっさんが立ってた。
俺を、見下ろして。
……ああ、終わったな、と思った。
どうせ「おっさんに負けた気分はどうだ」とでも言われるんだろう。
なのに、あの人は、手を差し出して、こう言った。
「俺の名前はリーザスだ」
……それだけだ。
勝ち誇りもしねえ。俺を笑いもしねえ。
俺が「おっさん」と呼び続けたことを、たった一言で、返してきた。
俺は、その手を取った。
悔しかったけど。
……ちょっとだけ、かっこいいと思っちまった。
◇
竜騎士試験の日。
声が、聞こえた。
頭の中に、まっすぐ響いた。
『こっちだ』
俺は、走った。
仲間なんて、目に入らなかった。
あの時の俺は、たぶん、生まれて初めて、本気で嬉しかった。
選ばれた。
この俺が、竜に、選ばれた。
洞窟の奥。
そこにいたのは——きれいな竜だった。
翠色の鱗。長い鬣。
俺と、ちょっと似てた。
俺は、笑った。
なるほど。趣味がいい。
こいつは、俺を選ぶだけの目を持ってる。
俺は、手を伸ばした。
◇
竜が、言った。
『我が名は——』
そこまでだった。
急に、その体が、ぐらついた。
俺は、意味がわからなかった。
鱗の色が、抜けていく。
瞳の光が、濁っていく。
息が、荒くなる。
俺は、叫んだ。おい、どうした、と。
竜は、答えなかった。
ただ、俺を見て——最後まで、俺を見て。
崩れ落ちた。
名前を、言い終わる前に。
◇
俺は、あの場に、どれくらいいたのか、覚えてねえ。
冷たくなっていく巨体に、手を当てて。
何度も、名前を呼ぼうとして。
……呼べなかった。
知らねえんだ。
俺は、俺の相棒になるはずだった竜の、名前すら、知らねえ。
外傷は、一つもなかった。
あとで知った。
毒だ。ルーカが撒いた、竜を殺す毒。
俺の竜は、俺に名乗ってる最中に、内側から蝕まれて死んだ。
◇
屍の山に、埋もれていた。
起き上がる気力もなかった。
俺は、竜騎士になれなかった。
選ばれたはずなのに、契約できなかった。
こんな半端な男が、生きてる意味なんてあるか。
そう思ってたところに、声が聞こえた。
あのおっさんの声だ。
……あいつが、殺されかけてた。
気がついたら、俺は立ってた。
骨の刃を、素手で弾いてた。
「勝手に殺してんじゃねえぞ、クソ野郎」
自分でも驚くくらい、腹の底から声が出た。
◇
ルーカが、笑いながら言った。
「未契約という挫折が、皮肉にも貴方を救ったわけですか」
毒は、竜と、その契約者にしか効かない。
俺は、契約できなかった。
だから、動けた。
……その意味に気づいた時、俺は、膝から崩れそうになった。
あいつが。
俺の名もなき竜が。
名前を言い終わっていたら。
俺も、あの毒で、死んでた。
あいつは、名乗れなかったんじゃない。
——名乗らなかったんだ。
いや、そんなわけねえ。ただの偶然だ。
わかってる。わかってるけど。
俺は、そう思うことにした。
でなきゃ、あの死に、意味がなさすぎる。
◇
だから、俺は戦った。
ボロボロになりながら、あの化け物を殴り続けた。
全視の目とやらは、一度に一人しか追えねえ。それを見抜いて、隙をついた。
寝技も使った。
おっさんに負けてから、死ぬほど練習した技だ。
……効かなかった。
結局、あいつを倒したのは、おっさんとメルナだった。
俺は、また、届かなかった。
いつも、そうだ。
格技でも、竜でも、あの戦いでも。
俺は、いつも、あと一歩のところにいる。
◇
卒業式。
「クレオ! 竜との契約はならず」
わかってた。
わかってたけど、声に出して言われると、こたえる。
「特例として、第四騎士団・重装騎士として配属する」
第八じゃなく、第四。
竜騎士じゃなく、重装騎士。
拾われたんだ。
実力を評価された、とは言われた。
でも俺は、知ってる。
これは、選ばれたんじゃない。余ったから、拾われたんだ。
◇
……でも、まあ。
俺は、腐らねえ。
だって、あいつが、俺を選んだんだ。
あの翠色の竜が。
名前も告げられずに死んだ、俺の、相棒が。
あいつの目は、確かだった。
この俺を選んだんだから。
◇
だから、おっさんと拳をぶつけた時、俺は言った。
次に会う時は、俺は竜騎士になってる、と。
あの人は、何も言わなかった。
ただ、拳を返してきた。
それでいい。
あの人は、十八年、諦めなかった男だ。
俺が「諦めねえ」と言った意味を、たぶん、誰よりもわかってる。
◇
明日、俺は第四騎士団に行く。
鬼騎士セルゲオの下だ。
厳しいらしい。竜も飛ばねえ。地面を這いずり回る、重装騎士だ。
上等だ。
地べたで力をつけて、必ず空に上がってやる。
……そんで、いつか竜と契約したら。
真っ先に、聞くんだ。
お前の名前は、なんだ、って。
あの日、聞けなかった名前を、今度こそ。
◇
鏡を見る。
顎の割れた、いい男が映ってる。
……ちょっと、痩せたな。
まあいい。
俺は、まだ、あいつの名前を知らねえ。
だから、死ねねえんだ。




