女神の駒
場面は、ゾラの赤黒い空間から一転。
目が痛くなるほど純白で、無機質な空間。
セイラム王国、王都の中心にそびえる軍司令部。
セイラム王国軍の頂点。
全ての騎士団を統括する最高司令官——大元帥リオン・ベイレン。
最上階の執務室。
ガラス張りの窓から、リオンが王都を見下ろしている。
その美しすぎる瞳には、一切の感情も、光すらも宿っていなかった。
絶世の美貌。だが、その完璧さが、かえって人形のような不気味さを生んでいた。喜びも、怒りも、慈悲も——人間が当たり前に持つはずの何かが、この女には決定的に欠けている。ただ、勝利という一点だけを見据える、冷徹な機械のような存在。
壁一面の地図。
ゾラとの戦線、各騎士団の配置が、緻密に描き込まれている。
その盤面の上では、一人一人の騎士が、ただの駒として配置されていた。
扉が開き、軍服姿の女性が入室した。
「閣下。ご報告に参りました」
大元帥府主席副官、ザイラ・ヴェイン中将。
「軍事大学校卒業生の各騎士団への配属、本日付で完了いたしました」
リオンは振り向かず、窓の外を見たまま。
「ご苦労」
ザイラが一礼する。
だが、立ち去ろうとはしなかった。
「……何か、言いたいことがあるようね、ザイラ」
「……はい」
ザイラが、意を決したように口を開く。
「閣下のご判断について、一つだけ伺ってもよろしいでしょうか」
「言いなさい」
◇
「創世竜の少女メルナと、ホロウを持つリーザス・モートン」
ザイラが、言葉を選びながら続ける。
「この二人を、対ゾラの最前線『第七騎士団』に、同時配属されました」
「……」
「あの娘の竜核の正体は、最高機密。最も安全な後方に置くべきだったのでは」
「逆です」
リオンが、即座に否定した。
「……?」
「『理外の力』の存在を知れば、ゾラは必ず奪いに来ます」
リオンの声は、氷のように冷たい。
「あれは、敵の本軍を釣り出す、極上の餌です」
「……!」
ザイラが、息を呑む。
餌。実の娘とも言える創世竜の少女を、そしてようやく夢を叶えた騎士を、リオンは平然と「餌」と呼んだ。味方であるはずの最高司令官が、自国の兵を、敵をおびき寄せるための撒き餌として配置する。その冷酷さに、歴戦のザイラですら、背筋が凍った。
「では、リーザスも……」
「ええ。極限の戦場こそが、彼らの力を研ぎ澄ませる、最大の砥石となります」
リオンは、淡々と続ける。
「コーネリアに任せれば良い。第七騎士団は、もとより消耗の激しい部隊です」
「閣下……」
ザイラの拳が、わずかに震えた。
「わかりません。ホロウを持つとはいえ、リーザスは十八年も騎士試験に挑み続け、ようやく合格した男です」
ザイラの声に、抑えきれない感情が滲む。
ようやく夢を掴んだ男を、餌として使い捨てる。それが、許せなかった。
リオンが、ゆっくりと振り向く。
「だから何です?」
その問いには、一切の温度がなかった。
リオンが、窓に手を触れる。
「全ては、女神の絶対的な勝利のために」
◇
場面は、ゾラ。玉座の間。
幹部たちが片膝をついて控えている。
ルーカは、既に部屋を下がっていた。
「……ヴェルモア」
「はっ」
「セイラム軍の采配、どう見る」
アズラドールが、問う。
「創世竜の少女を最前線に配属……明らかに、罠です」
ヴェルモアが、答える。
「あの大元帥リオンは、自国の駒を平気で囮として使う女ですから」
「……いや」
アズラドールの声が、わずかに変わる。
「あの女は、人間ではないのかもしれぬ」
幹部たちが、顔を上げた。
「女神エーリアが、この世界に遺した何か……我が長年の敵にして、最も理解し難き存在よ」
その言葉には、百年生きた魔王の、底知れぬ警戒が滲んでいた。
あらゆる謀略を見抜き、あらゆる戦場を制してきた魔道大王。その彼をして、リオンという存在は、いまだ正体を掴めぬ脅威だった。創世竜を巡るこの戦いは、単なる国家間の戦争ではない。二つの「人ならざるもの」の、宿命の激突なのかもしれなかった。
◇
場面は、セイラム王国。軍事大学校の中庭。
夕暮れ。
荷造りを終えたリーザスとメルナが、空を見上げている。
肩には、トカゲの姿に戻ったカモ。
「ママ。明日からは、戦場ですね」
「ああ。……怖えよ、正直」
リーザスは、素直に言った。
「だが、行く」
その横顔には、確かな覚悟があった。
ビアンカを探すため。メルナを守るため。そして、自分がようやく掴んだ夢を、全うするため。リーザスは、まっすぐに明日を見据えていた。
——だが、リーザスは知らない。
自分たちが、敵をおびき寄せるための「餌」として、最前線に配置されたことを。味方の頂点に立つリオンが、自分たちを使い捨ての駒としか見ていないことを。
全く異なる狂気を抱えた、二人の支配者。
メルナの「理外の力」を渇望する魔王アズラドール。そして、勝利のためなら味方すら餌にする大元帥リオン。
その二人の盤上に立たされているとは露知らず——リーザスとメルナは、明日へと歩き始めた。
夕陽が、二人の影を長く伸ばしていた。




