ビアンカへの想い
ルーカが去った直後、門を塞いでいた赤黒い魔法陣が、パリンと音を立てて砕け散った。
「結界が……消えた。ルーカが離れたからか」
カモが、呟く。
メルナの体から溢れていた黄金の光も、静かに収束していく。
すべてを浄化した、創世竜の力。それが、嘘のように静まっていった。
動けないリーザス。
トカゲに戻ったカモを拾い上げる力も、もう残っていない。
その時、遠くから雄叫びが響いた。
『グオオオオオオッ!!』
ドゴォォォンッ!!
爆破された外壁の穴から、炎をまとった巨体が突入してくる。
『おのれ……我が同胞たちを……!』
炎竜エルニード。死んだ竜たちを悼むように、その瞳が怒りに燃えていた。
かつてリーザスを「おっさんの魂じゃ輝けない」と拒んだ、あの竜。だが今、同胞を殺された怒りに、その威容は凄まじいものになっていた。
「リーザスさーん! みんなー! 無事かぁ!?」
炎竜エルニードの背から飛び降りる、アブラナ。
「外で異変を感じて、急いで来たんだ! 結界が邪魔で入れなかったが……」
「おーせえんだよ、デブ」
力なく笑う、クレオ。
「……お前が無事で良かった」
珍しく、ゼファルドが安堵の言葉を漏らす。
「みんな、ボロボロでねえか! オラが運ぶっぺ!」
アブラナが、ボロボロのリーザスを見る。
そして、メルナを抱き上げ、リーザスの肩を支えた。
一同は、エルニードの背中に乗り込んだ。
◇
場面は、山の外。
学園の本部テント。
ヴィクトール校長とダミアンが、山から救出された生存者たちを迎える。
「……なんということだ」
広場に運ばれてきた竜の死骸の数に、ヴィクトールが絶句する。
「山の竜の半数が死んでやがる……! こんな事態、建国以来ありえねえ」
ダミアンが、呆然と呟いた。
横たわるクレオ、ゼファルド、メルナ。
神聖術師たちが、必死に治療を施している。
リーザスは、壁に背を預け、胸のホロウを握りしめたまま、動かなかった。
その目は、虚ろだった。ルーカの最後の言葉が、頭の中で、何度も繰り返されている。ビアンカは、生きている——。
信じたくない。信じたい。相反する想いが、胸の中で渦巻いていた。死んだと諦めたからこそ、ここまで生きてこられた。その諦めを、たった一言で、ぐちゃぐちゃにされてしまった。
「リーザスさん、何か食うか? オラが握り飯作ったけど」
リーザスは、答えない。
ヴィクトール校長が、リーザスの前に立つ。
「リーザス・モートン。報告を聞いた。ルーカ・ミルヴァン……まさか、あの子が」
「校長……俺は、あいつを信じていました」
リーザスの声は、掠れていた。
「気に病むな。奴は国も、騎士団も、誰もが騙された」
ヴィクトールが、静かに言う。
「セルエル団長にも、伝えなければならんな……」
痛ましい顔で、ヴィクトールが呟いた。
「俺の、ゼミ生たちが……」
ダミアンが、ゼミ生の死体の前で、ショックを受けている。
その後ろで、辛うじて生き残ったベルモットとバークレーが、無念そうに立っていた。
「……元帥閣下に、至急報告する。あれは、国家の最重要事項だ」
ヴィクトールの声に、重い決意が滲んでいた。
◇
場面は変わる。
夕暮れ。軍事大学校の訓練場。
一人、リーザスが柵に寄りかかり、茜色の空を見上げている。
肩には、トカゲの姿に戻ったカモ。
「……おっさん、ビアンカってのは誰だ」
「……俺が愛した女だ」
「その女が、ゾラにいるって?」
「まあ、八、九割は……俺を動揺させるための、嘘だろうな」
リーザスは、静かに言う。
「だが、本当かもしれない」
「……」
「お前のおかげで、一応、俺も竜騎士になれた。これで、第七騎士団で、戦場の最前線で活躍できる」
「!」
「戦況によっては、ゾラの本土に進撃する機会もあるだろう」
ドックン、ドックン。
「もしかしたら、囚われているビアンカを、救出できるかもしれねえ」
「おお!」
カモが、声を上げる。
だが、リーザスの胸中は、複雑だった。
(仮にビアンカが生きていたとして、そのままとは限らねえ)
(もしゾラの、生体実験に使われていたら……)
魔物と融合した、変わり果てたビアンカのイメージ。
最悪の想像が、頭をよぎる。あの優しかった彼女が、人ならざるものに変えられている。考えるだけで、吐き気がした。
ドクドクドクドクドク——心臓が、恐怖の想像で高鳴る。
あがり症のリーザスにとって、この心臓は、いつも恐怖を増幅させる装置だった。今も、最悪の未来を想像して、暴れ出している。
(いや……行くんだ。何があろうと)
震える手を、リーザスはぐっと握り込んだ。
怖い。本当のことを知るのが、何より怖い。だが、それでも——確かめずには、いられない。たとえどんな姿になっていても、彼女がそこにいるのなら。
(俺は、ビアンカを愛してるのだから)
決意を秘めた瞳で、リーザスは茜色の空を見つめる。
万年雑兵だった男は、もういない。竜騎士となり、相棒を得て、守るべき者のために戦う男が、ここにいる。
その胸には、ビアンカの形見が宿り、新たな決意が燃えていた。
——長い、長い戦いの、これは始まりに過ぎなかった。




