魔眼の開眼
魔法陣の結界の前に、リーザスたちは佇んでいた。
紫の魔法陣が、脈打つように明滅している。
「僕の神聖魔法で、結界を中和してみます。背中を守ってください」
「ああ、頼む」
ルーカが結界に手をかざし、リーザスが背後を警戒する。
(……待てよ?)
ふと、リーザスの中に、引っかかりが生まれた。
「なあ、ルーカ。一つ、おかしくないか?」
「何がですか?」
「ゾラが麓の砦を襲ったなら、普通は学園側に逃げるはずだ」
リーザスは、ゆっくりと言葉を続ける。
「なんでわざわざ険しい山を登って、行き止まりの山頂の出口から、逃げ込んだんだ?」
ピタリと、結界に手をかざしていたルーカの動きが、止まった。
「……なるほど」
ルーカが、ゆっくりと振り返る。
いつもの、温厚な笑顔のままだった。
「咄嗟の言い訳にしては、少し無理がありましたね」
その声色は、変わらない。
優しいまま。だからこそ、ぞっとした。
いつもの後輩の顔で、いつもの口調で、しかしその目の奥には、見たこともない冷たさが宿っていた。
「さすがですね、リーザスさん」
ルーカが、手の甲を見せた。
◇
メリメリッ……!
ルーカの手の甲から、魔眼が開いた。
皮膚を裂いて現れた、それは——眼球だった。人間のものではない。縦に裂けた瞳孔を持つ、異形の目。
その目から、禍々しい紫色の瘴気が、ドクドクと噴き出し、広場を包み込んでいく。
空気が、淀む。視界が、紫に染まる。呼吸をするだけで、肺の奥が灼けるようだった。
「ゲホッ……! な、なんだこの瘴気は……!」
カモが、苦しげにむせる。
「あ、頭が……痛い……!」
メルナも、頭を抱えてうずくまった。
竜であるカモと、竜核を持つメルナが、激しく苦しみ、倒れ込む。
リーザスが闘気を練ろうとするが——胸の石、ホロウが黒く濁り、沈黙した。
「ダメだ……おっさんの石も、竜の化石だ……! 毒にあてられて、エネルギーが……」
力が、抜けていく。
あれほど漲っていた竜闘気が、嘘のように引いていった。ベルモットたちを退けた、あの力。それが、今は一片も湧いてこない。立っているのが、やっとだった。
「ふざけるな……ルーカ、お前一体何をした!」
「どうせここから生きては出られませんから、教えてあげますよ」
ルーカは、穏やかに語り出す。
「この毒は、竜にだけ効く『ドラゴサイド』。ゾラの新兵器です」
いつもの優しい笑顔のまま、恐ろしい事実を口にする。
「こちらの竜にも、効果は抜群でしたね。かなりの竜を殺せました」
あの竜たちの死は、こいつの仕業だったのか。
リーザスの中で、点が線へと繋がっていく。
「僕の任務は、セイラムの空の戦力をここで削ることですから」
リーザスが、戦慄する。
空の戦力——つまり、竜だ。竜騎士試験という、国中の有望な竜と騎士が一箇所に集まる、この機会。それを狙って、ルーカは紛れ込んでいた。何年も前から、この一日のために。
「任務だと……!」
◇
「お前……ゾラの人間だったのか……!」
「ええ、この学校に入る、ずっと前から」
「バカな! お前はだって、騎士団長セルエルの幼馴染じゃないか」
「ええ。だから、セルエルには本当に申し訳ないと思っていますよ」
ルーカは、寂しげに微笑んだ。
「僕は彼が大好きですしね。本当のことを言えないのは、辛かったなあ」
「何言ってんだ! 奴らは俺たちの仲間を、たくさん殺してるんだぞ」
「でも、いつか彼もわかってくれると思いますよ。ゾラの理念の、正しさを」
その口ぶりに、迷いはなかった。
罪悪感を口にしながら、まるで矛盾を感じていない。仲間を愛していると言いながら、その仲間を平然と裏切り、殺す。ルーカという男の、底知れない異質さが、リーザスの背筋を凍らせた。
「本当なのかよ……だってお前は……」
かつての優しかったルーカとの日々が、リーザスの脳裏をよぎる。
一緒に訓練した日。寮で笑い合った夜。応援に駆けつけてくれた、あの朝。
あれは、全部、嘘だったのか。
いや——嘘ではなかったのかもしれない。だからこそ、余計に救いがない。本心から慕いながら、本心から裏切る。そんな人間が、目の前にいる。
「ああ、リーザスさんの彼女さんも、この戦争で亡くなったんですよね」
「!」
ビアンカ。
その名を、こいつの口から出されたくはなかった。
「でも、それが戦争です。仕方がないじゃないですか?」
むかつくほど、平然とした顔。
リーザスの拳が、震える。
歯を食いしばっても、言葉が出ない。怒りが、喉の奥で渦巻いている。
「ああ、そうだ。一応、聞きます」
ルーカが、首を傾げた。
「僕と一緒に、ゾラに入りませんか」
「は?」
「歳は関係ない。ゾラの技術があれば、リーザスさんは、無敵の戦士になれますよ?」
その誘いは、甘く、そして——どこまでも、冒涜的だった。
ビアンカを奪った国。仲間を殺した国。今まさに、目の前で竜の死骸を量産した国。そこへ来い、と。よりにもよって、その彼女の名を口にした直後に。
リーザスの中で、何かが、静かに燃え始めていた。




