血の海
上層の回廊を、三人は進んでいた。
天井から光が差し込み、空気が変わっていく。湿った洞窟の匂いに、外の風が混ざり始めた。
「出口が近いぞ。この先が、山頂の広場だ」
リーザスが、足を速める。
「ようやくカビ臭い空気とお別れだな」
カモが、肩の上で伸びをする。
「ママ、外の空気です。……でも何か、変な匂いが」
メルナが、ふと顔をしかめた。
(……鉄の匂い?)
リーザスも、それに気づく。
むせ返るような、生臭い匂い。嗅ぎ慣れない、それでいて、本能が拒絶する匂いだった。
巨大な門が見えてきた。
その先の広場に、リーザスは足を踏み入れる。
——足が、止まった。
そこは、凄惨な血の海だった。
無数の受験者たちの死体が、転がっている。
若い騎士志願者たち。ついさっきまで、夢を抱いてこの山に挑んでいたはずの者たちが、物言わぬ骸となって、累々と横たわっていた。
リーザスは、その光景に、言葉を失った。
あの広場で、覚悟を示すために剣を突き立てた連中。ゼファルドに続いて、次々と地面に刃を刺していった、あの若者たち。彼らの剣もまた、いつか「墓標」になる——そう思った、あの予感が、現実になっていた。あまりにも、早く。
「ッ……!」
メルナが、口を押さえる。
そして、その奥に——巨大な飛竜たちの骸が、何体も横たわっていた。
「竜が……死んでる?」
リーザスは、信じられないという顔をした。
「受験者だけじゃなく、竜もか……!?」
(試験で人間が死ぬのは、わかる。だが竜が大量に死ぬなんて、聞いたことがない。何があった)
あれほど強大な竜たちが、傷一つ見当たらないまま、命を失っている。
異常だった。明らかに、ただの試験の光景ではない。
「……おい、おっさん。嫌な予感がする。ちょっとあの竜を調べさせろ」
カモの声が、緊張していた。
◇
カモが、リーザスの肩から飛び降りた。
最も近い飛竜の骸に駆け寄り、その胸元に、前足を当てる。
目を閉じて、集中する。
「……やっぱりだ。こいつの体内の魔力炉が、完全に壊れてやがる」
カモは、別の竜にも前足を当てた。
「こいつもだ。魔力を、根こそぎ吸い尽くされてる」
「外傷で死んだんじゃないのか……」
「外傷なんか一つもねえ。全部、体の中から蝕まれて死んでやがる」
カモの声に、ぞくりとするものが混じっていた。
同じ竜として、その死に様は、見ているだけで恐ろしいのだろう。爪も牙も、何の役にも立たずに、ただ内側から命を吸い尽くされて死ぬ。それは、戦って死ぬよりも、はるかに無惨な最期だった。
「何が、そんなことを……」
その時、メルナが、竜の骸の近くで立ち止まっていた。
その右手が、微かに震えている。
「……ママ」
「メルナ?」
「この竜たちの近くにいると……私の竜核が、ざわつきます」
「! メルナ、離れろ!」
リーザスが、メルナの腕を引いて、竜の骸から遠ざける。
「……おっさん、ただの試験の事故じゃねえぞ、こりゃ」
カモが、険しい顔でリーザスを見た。
「この山全体に、何かが仕掛けられてやがる。……竜を殺す、毒だ」
「毒……だと?」
リーザスの背筋に、冷たいものが走った。
竜を殺す毒。そんなものが、この世界に存在するのか。そして、それを撒いたのは、誰だ。
◇
「と、とにかく外に出るぞ!」
リーザスが、出口へと走る。
(これは異常事態だ。外に出て、ヴィクトール校長たちに知らせないと……!)
バアンッ!
見えない壁に、リーザスたちが弾き飛ばされた。
「な、なんだこれは!」
巨大な魔法陣の壁が、門の前にバリアのように展開されていた。
「これは魔法です。誰かが、外に出られないように結界を……!」
メルナが、青ざめる。
その時、暗がりから、よろめく影が現れた。
「リ、リーザスさん……」
「ルーカ! なんでお前がここに!? お前は外で待っていたはずだろ!」
「ゾラが、攻めてきたんです。僕は避難のために、出口から山に入りました」
ルーカが、息も絶え絶えに言う。
「そしたら、閉じ込められてしまったんです……」
「ゾラが……!」
敵国ゾラ。長きにわたり、セイラムと戦争を続けてきた、宿敵。
「ヴィクトール校長や、ダミアンはどうなったんだ!?」
「わかりません。僕も、無我夢中で……」
ルーカは、力なく俯いた。
いつもの、人懐っこい後輩の顔。寮で「頑張ってください、待ってますから」と見送ってくれた、あのルーカだ。リーザスは、混乱しながらも、彼が無事だったことに、わずかな安堵を覚えていた。
メルナが、リーザスの袖を強く掴んだ。
「ママ……この結界、普通の魔法じゃないです。竜の魔力で出来ています」
「竜の魔力だと……?」
リーザスは、改めて目の前の魔法陣を見上げた。
禍々しく脈打つ、その壁。死んだ竜たちと、同じ気配がする。
(ゾラの侵攻。竜の大量死。竜の魔法で閉じられた結界。……一体、何が起きてるんだ)
断片的な情報が、頭の中で繋がりそうで、繋がらない。
だが、一つだけ確かなことがあった。これは、偶然などではない。誰かが、明確な意図を持って、この惨劇を引き起こしたのだ。
驚愕する、リーザス、メルナ、カモ。
血の海の中に閉じ込められ、出口は塞がれた。
最悪の状況が、静かに牙を剥こうとしていた。




