剣竜
目の前の闇から現れたのは、全身が刃物のような、鋭利な鱗で覆われた竜だった。
「剣竜……!」
リーザスは、思わず呟いた。
(こんなの、竜図鑑でしか見たことがねえ。この山には、こんな竜もいるのか!?)
体表のあらゆる場所から、無数の刃が突き出している。触れただけで、皮膚が裂けるだろう。
(だが、あんな体表じゃ、騎竜としては使えない。ここは何とかやり過ごして……)
この山に住む竜の全てが、騎竜に向いているわけではない。そもそも竜騎士が乗る騎竜の多くは、スタンダードな飛竜タイプだ。だがこの山には、翼すらない竜も、こうして生息している。乗れない竜は、敵でしかない。
剣竜が、リーザスたちを敵と認識し、低い唸り声を上げた。
「!」
「下がってください、ママ。私が雷撃で……」
メルナが右手を掲げると、バチバチと、不穏な黒い雷が走った。
——竜が騎士の実力を測る竜騎士試験において、竜との戦闘は禁じられていない。
ただし、帯刀は禁止。騎士には、己の力のみで戦うことが求められる。
(だが、魔法が使えるメルナがいるのは、圧倒的に有利!)
リーザスは、内心で胸を撫で下ろした。
(俺、メルナがいれば、余裕で生き残れるんじゃね?)
「サンダーソー——」
直後。
ドクンッ!
「ぐっ……!?」
メルナが、胸を押さえて膝をついた。
苦悶の表情。詠唱が、途中で止まる。
「しまった! やめろメルナ、魔法を使うな!」
リーザスは、ハッとした。
(そうだった! 今のメルナは……)
脳裏に、リオンの言葉が蘇る。
『いいか、先日の暴走で、竜核との癒着が進んでいる。次に理性を失って竜化すれば、二度と人には戻れないと思え』
「魔法は使うな! また暴走するぞ! ここは俺が、なんとかする!」
リーザスは、前に出た。
頼みの綱だったメルナの力が、封じられた。
——つまり、自分が、やるしかない。
剣竜が、巨大な尾を振り上げる。
その尾の先には、巨大な剣のような棘が、ずらりと生えていた。
◇
ブンッ!!
空気を切り裂く音とともに、尾が薙ぎ払われた。
「くっ!」
リーザスは、うずくまるメルナを背に庇い、咄嗟に飛び退いた。
すぐ眼前を、刃の塊が通り過ぎる。風圧だけで、頬が切れそうだった。
「こっちだ!」
リーザスは、メルナをその場に残し、竜を挑発するように駆け出した。
メルナから引き離す。彼女を、戦いに巻き込まないために。
「ママ……!」
メルナの不安げな声が、背中に届く。
剣竜が、リーザスを追う。
だが——逃げ込んだ先は、行き止まりだった。壁に追い詰められる。
逃げ場が、ない。
剣の尻尾が、頭上で振り上げられた。
(防ぐしかねえ! コーネリアさんの言葉を信じろ!)
あの言葉を、信じるしかない。あんたぐらい闘気が強ければ、竜の一撃ぐらい耐えられる——
リーザスは、両腕をクロスさせた。
全身の闘気を、その一点に、ありったけ集中させる。
「闘気硬化ッ!!」
ガギィィィン!!
激しい金属音と、火花が散った。
リーザスの腕が——剣竜の刃を、受け止めていた。
「ぐぐぐぐ……ッ!」
(お、重い……! けど、斬れてねえ! 俺、すげえええ!)
コーネリアの言葉は、本当だった。鍛え上げた闘気が、刃を防いでいる。腕は痺れ、骨が軋むが、斬られてはいない。
「!?」
剣竜が、驚いたように身を引いた。
獲物が、斬れなかった。その事実に、戸惑っている。
(今だ!)
リーザスは、好機を逃さなかった。
受け止めた尾の棘——剣のような鱗を、渾身の力で、鷲掴みにする。
「うおおおおおお!!」
バキィッ!!
「ギャオオオオオッ!!」
剣竜が、悲鳴を上げた。
◇
リーザスの手には、引き剥がされた巨大な「剣の鱗」が握られていた。
長さ一メートルほどの、天然の刃。ずっしりとした手応えがある。
「悪いな! ちょっと借りるぜ!」
リーザスは、鱗の剣を構えた——が、すぐに踵を返す。
勝てる相手ではない。戦うべきは、今ではない。
「逃げるぞメルナ! 走れるか!?」
「は、はい……!」
メルナが、胸を押さえながら立ち上がる。
リーザスは、鱗の剣を振るって、壁の鍾乳石を破壊した。
もうもうと立ちのぼる粉塵が、煙幕代わりになる。その隙に、二人は脇の通路へと駆け込んだ。
——どれほど走っただろうか。
少し開けた、鍾乳洞の空間。
ぜぇぜぇと息を切らして、二人は逃げ延びた。
「はぁ、はぁ……ここまで来れば、追ってこれないだろ……」
リーザスは、壁に手をついて息を整える。
そして、手に入れた「剣の鱗」を、しげしげと眺めた。試しに、マントの端を切ってみる。
しゅるり。
ボロ布のような作業着が、一瞬で裂けた。
「すげえ切れ味だ。一瞬で裂けた」
リーザスは、切れたマントの布を、鱗の下の部分——握る部分に、ぐるぐると巻き付けた。
即席の、柄の完成だ。
「へっへ。剣ゲット!」
苦境の中でも、武器を一つ手に入れた。それだけで、少し気が楽になる。
「……申し訳ありません、ママ。私が、足手まといに」
メルナが、しゅんと落ち込んでいた。
「気にするな。お前のその力は、ここぞという時まで、温存しておけ」
リーザスは、ポンとメルナの頭に手を置いた。
責めるつもりは、毛頭ない。むしろ、無理に魔法を使わせなくてよかった。
その時——。
「へぇ。丸腰で剣竜の攻撃を防いだ上に、素材まで剥ぎ取ってくるとはねぇ」
男の声がした。
岩陰から、ぬらりと二人の男が現れる。
バークレーと、ベルモットだった。
◇
「ダミアンゼミ……! お前ら、まだいたのか」
リーザスが、警戒の声を上げる。
バークレーが、ニタニタと笑いながら近づいてきた。
「ええ。あたしたちは『選り好み』してるのよぉ。雑魚竜と契約しても、意味ないしぃ」
ベルモットが、リーザスの持つ「鱗」を、じろりと見た。
「その鱗……いい業物になりそうだ。よこせよ、おっさん」
リーザスは、鱗の剣を構えた。
「断る。これは俺が、命がけで手に入れたんだ」
「ふん、命がけ? 笑わせる」
シュルル……。
ベルモットの袖口から、蛇のような鎖剣が、ぬるりと伸びた。
「おい、武器の持ち込みは禁止のはずだろ!」
「これは、俺の体の一部だ」
ベルモットが、冷たく言い放つ。
「……検査官の目は、節穴でね」
バークレーも、ボキボキと拳を鳴らした。
「あたしたちの狙いは、強い竜と契約すること。……そして、ライバルを減らすこと♡」
(最悪だ。野生の竜から逃げたと思ったら、今度は人間かよ)
リーザスは、奥歯を噛んだ。
メルナが、リーザスの前に出ようとする。
その瞳孔が、再び——縦に、裂け始めていた。
「……消します」
「馬鹿、やめろ! 戻れなくなるぞ!」
リーザスは、慌ててメルナを制止した。
ここで竜化すれば、メルナは二度と人に戻れない。それだけは、させられない。
「お喋りは、終わりだ」
ベルモットが、殺気を放ちながら踏み込んだ。
「……死ね!」
ヒュンッ!
蛇腹剣が、不規則な軌道で、リーザスの首を狙う。
「くっ!」
手に入れた「鱗の剣」で、弾く。
ガギンッ!
(重い! こいつ、竜より殺気が強えぞ……!)
野生の竜とは、また違う恐ろしさ。明確な殺意を持った人間の刃が、執拗にリーザスを狙ってくる。
その時。
『……おい、おっさん』
「え?」
再び、頭の中に声が響いた。
今度は、メルナの声でも、敵の声でもない。
リーザスの、足元の影。
そこから、じっとこちらを見つめる「目」が、あった。
『上だ。上を見ろ』
リーザスは、思わず天井を見上げた。
そこには——鍾乳石に擬態して張り付いている、巨大なトカゲのような竜が、いた。
『……へっ、やっと気づいたか。ノミの心臓』
その竜——カモが、ニヤリと笑った気がした。




