声
ズン……。
ダミアンの背後から、巨大な影が現れた。
地響きのような足音とともに、のっそりと姿を見せたのは、見上げるほどの巨漢である。
「ダミアン様ぁ。あんまり彼ら様を怖がらせちゃ、いけませんよぉ」
ねっとりとしたオネエ口調が、その厳つい外見と奇妙な対比を成していた。男の名は、バークレー。
「ふっ、バークレーか。貴様、随分仕上がっているな」
ダミアンが、満足げに笑う。
「むっふう。竜騎士になれると思うと、滾って滾って♡」
バークレーが、筋肉を強調するポーズをとった。盛り上がった筋肉が、シャツを押し上げている。
クレオが、呆気にとられて見上げた。
「な、なんて巨漢だ。どこにいたんだ、あんなの?」
今まで気づかなかったのが、不思議なほどの存在感だ。
「ふっふっふっ、このバークレーはすごいぞ」
ダミアンが、ニヤリと笑う。
「その闘気量は——おっさん、お前どころか、そこのアブラナにも匹敵する」
リーザスを見て、ダミアンが言った。
「!」
アブラナが、ぴくりと反応する。
いつものとぼけた顔から一転、真剣な眼差しでバークレーを見据えた。あのアブラナが、警戒している。それだけで、バークレーの実力が本物だと知れた。
「いやぁん、全部ダミアンさんのおかげですおぉ♡」
バークレーが、しなを作る。
その時——ドンッ!
横から歩いてきた男が、巨体のバークレーに、思い切り肩をぶつけた。
「ちっ、人の目の前に立つんじゃねーよ、バークレー」
小柄だが、全身から鋭い殺気を放つ男。ベルモットだ。
「あ……ごめん、兄ちゃん」
あれほどの巨体が、なぜか小さくなって謝る。
その光景に、リーザスは奇妙な違和感を覚えた。あの巨漢を、こうも萎縮させる男。一体、何者だ。
「さらに、その兄ベルモットは——今回の格技、最優秀生徒だ」
ダミアンが、誇らしげに告げた。
そして両手を広げ、背後の集団を示す。
「他にも選りすぐりの志望者達が、この『ダミアンゼミ』から試験に臨んでいる」
「ダミアン……ゼミ?」
リーザスが、首を傾げた。
眼鏡をクイッと上げながら、一人の男が一歩前に出る。モーリスだ。
「エリートコンプレックスのダミアン様が、自己肯定感を満たすために、選りすぐりの贔屓メンバーを集めて作った——我々チームのことでございます」
「い、いつのまに……」
クレオが、唖然とする。
(ていうか、本人の前でその説明でいいのか……?)
リーザスは、思わず心の中でツッコんだ。
だが、ダミアンは特に気を悪くした様子もない。むしろ、自慢の手駒だとばかりに、ふんぞり返っている。
他のメンバー——サーキス、ドナルドと呼ばれた男たちも、鋭い目でこちらを睨んでいた。
明らかな、敵意だった。
◇
高台から、ヴィクトールが声を張り上げた。
「さあ、生徒諸君! 試練に挑み、見事竜騎士となって帰ってみせよ!」
その手が、高々と掲げられる。
「試練、開始ッ!!」
ドォォォン!
合図の銅鑼が、山々に轟いた。
「行けえ! お前たち! 優秀な竜を独占するのだ!」
ダミアンが、号令をかける。
「はぁーい♡」
ダミアンゼミの面々が、我先にと洞窟へと走り出した。
砂埃を上げて、競うように闇へ消えていく。
「おいおい! なんでこんな感じでスタートなんだよ」
リーザスは、人の波に押されながらツッコんだ。
「選ぶのは竜であって、ダミアンじゃねえだろ!」
「行きましょう、リーザスさん。はぐれないように」
メルナが、冷静に促す。
「あ、ああ……」
二人は、流れに乗って洞窟へと足を踏み入れた。
グレートロックマウンテンの内部は、薄暗く、湿った空気が漂う広大な空間だった。
無数の鍾乳石が天井から垂れ下がり、どこからか、ぴちょん、ぴちょんと水滴の落ちる音が響いてくる。松明の明かりだけを頼りに、リーザスたちは進んでいく。周囲には、まだ他の受験者たちの姿もちらほら見えた。
リーザスは、キョロキョロと周囲を警戒しながら歩いた。
(暗い……それに、広い。迷ったら一発アウトだな、これ)
松明の炎が、岩肌に揺らめく影を投げかける。
その影の一つ一つが、何かが潜んでいるように見えて、心臓が縮こまった。
(それに俺は、記念受験だ。別に受からなくてもいい。生きて帰れれば、それで……)
そう思おうとして、できなかった。
本当は、受かりたい。誰よりも。だが、それを認めてしまうと、落ちた時に立ち直れなくなる気がして、リーザスはいつも、心に蓋をするのだった。
ふと、ヴィクトールの言葉を思い出す。
『君たちと絆を結びたいと思った竜は、頭の中に直接、語りかけてくるはずである』
(そういえば……自分を気に入った竜がいたら、頭の中に話しかけてくる、んだっけ?)
リーザスは、少し立ち止まり、耳を澄ませた。
いや、耳ではない。自分の内面に、意識を向ける。
シーン……。
「……」
◇
(……何も、聞こえない)
リーザスは、スンとした顔になった。
(やはり。俺みたいなおっさんに興味を持つ、物好きな竜はいなそうだ)
半ば予想していたことだ。だが、いざ静寂を突きつけられると、胸の奥がちくりと痛む。
「メルナ、お前はどうだ?」
「一切、何も感じないです」
「……」
その時。
前方を歩いていたゼファルドが、ピタリと足を止めた。
「……そこで見ているのか?」
「え?」
ゼファルドが、誰もいない虚空に向かって、話しかけている。
「……ほう。俺を試したいと言うのか。いいだろう」
「ゼ、ゼファルド? 誰と喋ってるんだ?」
リーザスが、戸惑いの声を上げる。
ゼファルドは、ニヤリと笑って振り返った。
「先に行くぞ。……『案内役』ができた」
シュバッ!
迷いなく、闇の奥へと駆け出していく。
「お、おい!?」
直後、今度は近くにいたモブ生徒が、頭を抱えて叫んだ。
「う、うるさい! 頭の中に、ガンガン響く声で喋るな!」
そして——クレオの目が、カッと見開かれた。
「——来た! 聞こえたぞ!」
その顔が、ぱあっと輝く。
「こっちだ! 俺を呼んでる! ヒャッハー、待ってろよ相棒ォ!」
「ク、クレオ!?」
「わりぃリーザス、先に行くぜ! お前も早く呼ばれるといいなァ!」
言うが早いか、クレオは脇目も振らず、闇の奥へと全力で駆け出していった。
まるで、宝の在り処を見つけた子供のように。一瞬の迷いもない。竜に呼ばれる——それは、ここにいる全員が、喉から手が出るほど望んでいることなのだ。
「……っ」
次々と「声」を聞き、何かに引き寄せられるように、受験者たちが散り散りになっていく。
あちらでも、こちらでも。歓喜の声を上げながら、皆が闇の奥へと消えていく。竜たちの勧誘が、始まっていた。
その光景に、リーザスは圧倒された。
そして、気づけば——その場に残されたのは、リーザスと、メルナの二人だけだった。
(マジかよ……。これが、竜の干渉……)
クレオの、あの満面の笑みが、目に焼き付いて離れない。
みんな、呼ばれている。みんな、選ばれている。
自分以外は。
リーザスは、再び恐る恐る、自分の頭の中に意識を向けた。
(俺は……やっぱり、シーンとしてる)
「ま、まあいいさ。俺は記念受験だからな」
リーザスは、わざと声に出して、おどけてみせた。
「危険な竜に目をつけられてない、ってことだろ? むしろラッキーだ。誰も俺を呼ばないでくれ。このまま適当に散歩して、時間切れを待つ……ってな」
「……」
メルナは、何も言わなかった。
——強がりだ。
リーザス自身が、誰よりもそれをわかっていた。
記念受験。生きて帰れればいい。そう何度も自分に言い聞かせてきた。だが、それは全部、傷つかないための予防線だ。心の奥を覗けば、本当の願いは、ずっと前から決まっている。
(……竜騎士に、なりたい)
空を翔ける夢を見た。あの銀色の竜の背に乗って、雲海の上を飛ぶ自分を。
正騎士にすらなれなかった万年雑兵が、竜騎士になる。父ちゃんと母ちゃんを、王都に呼ぶ。そのために、ここまで来たんじゃないか。
(頼む……一頭でいい。誰か、俺を呼んでくれ……!)
口では「呼ばないでくれ」と言いながら、心は必死に、声を待っていた。
意識を、内側へ。耳ではなく、魂を澄ませる。どんなにかすかな囁きでも、聞き逃さないように。
だが——。
頭の中は、どこまでも静かだった。
何百頭という竜がいるこの山で、自分を呼ぶ声は、ただの一つもない。
「……」
リーザスは、ぐっと唇を噛んだ。
まだだ。まだ序盤だ。これから呼ばれるかもしれない。そう思い込もうとした、その時——。
遠く、坑道の奥のほうから、かすかに何かが響いてきた。
悲鳴のような、それでいて、くぐもった音。
リーザスの耳には、はっきりとは届かない。だが、本能が告げていた。何か、よくないことが起きている、と。
「……今の、聞こえたか?」
リーザスは、隣のメルナに尋ねた。
メルナは、じっと闇の奥を見つめたまま、答えない。
その横顔が、わずかに強張っていた。
竜の試練は、もう始まっている。
そしてそれは、決して、契約だけの試練ではなかった。




