吉夢
「竜騎士試験を受ける!?」
校舎裏の人気のない通路で、リーザスは思わず声を上げた。
その声が、石造りの廊下に反響する。誰もいないとはいえ、内容が内容だ。リーザスは慌てて声を潜めた。
「俺はわかったんですけど、メルナもですか?」
「そうだ」
コーネリアが、即答する。
あっさりとした口調だが、その言葉の重さを、リーザスは知っていた。
「また、メルナの竜核が暴走したりしませんかね」
脳裏に蘇るのは、あのグランスとの一件だ。
メルナの魔力に反応して、グランスが恐竜のように変貌した。あの光景は、まだ目に焼き付いている。竜の前にメルナを立たせて、また同じことが起きないとも限らない。
「グランスは魔力感受性が高いからな……あれはリオンも想定外の事故だろう」
コーネリアは、腕を組みながら静かに言った。
「だが竜は違うぞ。そもそも竜は、この世界の理の外にいるものだ。人間の力でどうこうなるものではない」
その言葉には、奇妙な確信があった。
竜。物語の中でしか知らないような存在。それが、この世界には実在する。しかも、人智を超えた存在として。
「人間の力でどうこうなるものではない……ですか」
「でもメルナには、その竜の心臓が移植されてるんですよね」
リーザスは、慎重に尋ねた。
竜の心臓——竜核。それを体内に宿したメルナを、本物の竜は、どう見るのか。
「それを竜たちがどう判断するかは——わからんが」
そこまで言って、コーネリアはニヤリと笑った。
その顔が、いつもの悪い顔になる。何か、企んでいる時の顔だ。
「もし気に入られたら、我が第七騎士団は、有望な騎士二人に加え——」
指を二本、立ててみせる。
「竜を二体も、入団させることができる」
バシバシ、と親父のような手つきで、リーザスの背中を叩く。
遠慮のない力に、リーザスはむせ返った。
「これは戦力増強の機会なんだよキミぃ!」
「痛い痛い! おっさんくさいですよ団長!」
「誰がおっさんだ。私はまだ若いわ」
「いや今のは完全におっさんの仕草——」
軽口を叩きつつも、リーザスの胸には、ひとつの不安が引っかかっていた。
「てか、俺が受かるの前提なのも気になります。俺、エルニードに否定されてるんですよ?」
あの巨大な竜の、冷たい眼差しを思い出す。
お前には資格がない。そう言わんばかりの、見下すような目。あれを向けられた自分が、竜騎士になれるとは、到底思えなかった。
「気にするな。老け専の竜もいるかもしれん」
「はあ!?」
あまりに適当な励ましに、リーザスは素っ頓狂な声を上げた。
だが、コーネリアはすでに背を向けている。
「さて、私は帰る。健闘を祈るわ」
ひらりと手を振って、騎士団長は去っていった。
その後ろ姿は、相変わらず飄々としている。
残されたリーザスとメルナは、しばらく無言で立ち尽くしていた。
竜騎士試験。また、人生を懸けた挑戦が、やってくる。
◇
夜の男子寮。
「へええ、リーザスさん結局受けるんですよね」
ルーカが、感心したように言った。
まだあどけなさの残る後輩は、興味津々といった様子だ。
リーザスはベッドに寝転がって、本を読んでいる。
ページに目を落としたまま、気怠そうに答えた。
「まーな、ダメもとだよ」
「いいじゃないですか。ゼファルドとクレオも受けるみたいですよ」
「げっ、あいつらもか」
リーザスは、本から顔を上げた。
あの二人も受けるとなると、競争率はぐっと上がる。実力者揃いだ。
「倍率高そうだな……」
「僕は竜騎士にはならないし、アブラナさんはもう竜騎士だから、今回は見学です」
「へー、高みの見物ってやつか」
軽口を返しながら、リーザスは本を閉じた。
ぱたん、という小さな音が、静かな部屋に響く。
消灯。
ルーカがランプを落とすと、部屋がすっと暗くなった。
窓から差し込む月明かりだけが、淡く床を照らしている。
(まあ、落ちてもいいって言われたら案外気楽だぜ)
枕に頭を沈める。
不思議だった。いつもなら、試験前夜は心臓がうるさくて眠れない。明日のことを考えると、胸が締め付けられて、何度も寝返りを打つ。あがり症の自分にとって、試験前の夜は、最大の敵だった。
でも今夜は、不思議と落ち着いていた。
(そう。不合格を意識するから緊張するんだ)
目を閉じる。
暗闇の中で、自分に言い聞かせるように、心の中で呟いた。
(どっちでもいいんだ。受かっても、落ちても)
(しょせん、記念受験……)
肩の力が、すっと抜けていく。
期待しなければ、緊張もしない。失うものがなければ、恐れもない。
スピー、スピー。
すぐに、寝息が立ち始めた。
その寝顔は、子供のように穏やかだった。
◇
夢の中。
見渡す限りの、青い空が広がっていた。
どこまでも、どこまでも青い。雲ひとつ——いや、眼下には白い雲海が、絨毯のように広がっている。
その雲海の上を、巨大な何かが滑空していた。
雄大な、銀色の竜。
陽光を浴びて、その鱗が眩く輝いている。翼を広げ、ゆったりと風を捉えて飛ぶ、王者の姿。
そして——その背に、リーザスは乗っていた。
「最高だ……」
思わず、声が漏れる。
頬を撫でていく風。眼下に広がる、神々しいまでの絶景。地上では決して味わえない、自由。
「これが、竜騎士の景色か……!」
胸が、震えた。
ずっと夢見ていた。騎士になり、いつか空を翔ける。その夢が、今、確かにここにある。
竜が、空に向かって咆哮を上げた。
大気が震える。雲が割れる。世界そのものが、この一頭の竜に応えるように。
「行けー! 俺の竜よ!!」
リーザスは、拳を空に突き上げた。
風の中で、彼は確かに、竜騎士だった。
◇
ガバッ!!
現実の朝。
リーザスは、勢いよくベッドから跳ね起きた。
全身が、汗だくだった。
寝間着が、肌に張り付いている。
ハァ、ハァ、ハァ——肩で息をする。
心臓が、激しく鼓動していた。だが、それは緊張の鼓動ではない。
その目は、ギンギンに輝いていた。
「……見た」
ぽつりと、呟いた。
夢の余韻が、まだ全身に残っている。あの風。あの絶景。あの高揚。
「吉夢——!」
布団を、勢いよく跳ね除けて立ち上がる。
「よい。すこぶる、良い」
ぐっ、と拳を握りしめた。
あの夢は、お告げに違いない。銀色の竜に乗る夢。それはつまり——今日、自分が竜騎士になるということだ。
「騎士を目指した我が人生、今日はその頂点……」
声が、震えた。
十年。いや、それ以上。剣に捧げ、夢に捧げてきた歳月。その全てが、今日この日のためにあったのだ。
「竜騎士になる日だ!」
洗面台の前に立ち、勢いよく顔を洗う。
冷たい水が、眠気の最後のひとかけらを洗い流していく。
水滴を払い、顔を上げた。
鏡に映った男の表情は、真剣そのものだった。
いつものおどおどした雑兵の顔ではない。一人の戦士の、覚悟を決めた顔だった。
——竜騎士試験当日の朝、リーザスはしっかり合格を意識していた。
いつもなら、合格を意識した途端に緊張で潰れる。それが、彼の宿痾だった。
だが、今日は違う。吉夢という後ろ盾が、彼を不思議なほど強気にさせていた。
制服に着替え、腰に剣を帯びる。
馴染んだ重みが、今日はやけに頼もしく感じられた。
深く、息を吐く。
ガチャ、と扉を開けた。
通路に踏み出す足取りは、重く、そして熱い。
一歩、また一歩。その足音が、決意のように廊下に響く。
舞台は再び——グレートロックマウンテンへ。




