メルナVSゼファルド
潮風の匂いが鼻を突いた。
暗い雲が垂れ込める空の下、海に突き出た断崖が広がっている。
荒波の向こうには、白い神殿――竜を祀る古の祭壇があった。
幼きメルナは、その崖の端に立たされていた。
司祭が祈りを捧げ、信徒たちが膝をつく。
村人たちのざわめきが、波音と一緒に耳へと押し寄せる。
「やめてっ……! いやぁぁぁ!」
泣き叫ぶ声が、風にかき消された。
粗末な法衣を着た司祭が、メルナの首根っこを掴んだ。
「荒ぶる竜の神よ――この幼き生贄の魂をお受け取りください!」
群衆の中、母と思しき女が祈りを続けている。
顔を上げようともしないその姿に、メルナの幼い心が砕けた。
「お母さんっ! 助けてっ!」
その叫びも、海鳴りに飲み込まれた。
そして、少女の小さな体が宙に放り出される。
世界が回転し、風が悲鳴を上げる。
冷たい海が口を開き、すべてを呑み込んだ――。
◇
――あれ以来、何も信じられなかった。
あの日を境に、誰も、何も。
「……私は、もう奪われない」
メルナの瞳が光を宿す。
稲光のような青い魔力が全身を走り抜け、彼女の剣が電撃を纏った。
対峙するゼファルドが、低く息を吐いた。
「随分、ガスを吸ったようだな」
地を踏みしめるたび、砂が震える。
メルナの足元には、グランスの影が重なっていた。
その脚はもはや人間のものではない。皮膚が鱗のように変質し、竜の四肢と融合している。
「その脚……まさかグランスと同化しているのか?」
メルナの答えは沈黙。
代わりに、雷鳴が轟いた。
次の瞬間、剣と剣が激突する。
閃光と爆音が荒野に弾け、砂塵が吹き飛ぶ。
「電撃を帯びた剣……魔法剣か」
ゼファルドの冷たい声が響く。
「だが、その程度の魔法、俺には通じん!」
影が揺れた。
ゼファルドの姿が消える。
「――ッ!?」
メルナの視界の端。
瞬間移動のように、ゼファルドが背後に現れた。
動く間もなく、腕が喉に回る。
剣を握ったままのスリーパー・ホールド。
冷たい腕が彼女の首を締め上げた。
「眠ってもらうぞ」
息が詰まり、視界が暗くなっていく。
けれど――その瞬間。
メルナの手が閃いた。
電撃がほとばしり、ゼファルドの腕を掴む。
「は……な、して……!」
「無駄だ」
ゼファルドは締める力を強めた。
だが、その構図は、彼女の脳裏に焼きついた光景と重なる。
幼い日の司祭。
首を掴まれ、海に落とされる瞬間。
脳裏に、あの日の冷たい海風が吹いた。
「……いやだ……!」
メルナの瞳に黒雲が映る。
荒野の上空に、いつの間にか雷雲が集まっていた。
彼女は心の中で呟く。
(――雷撃剣〈サンダーソード〉)
轟音。
天から稲妻が落ちた。
ゼファルドもメルナも、同時に白目を剥き、電撃に包まれる。
「ぐっ……!」
「かはっ……!」
二人の体が爆風に吹き飛ばされ、砂塵が舞い上がった。
◇
ゼファルドは地面に叩きつけられた。
砂を吐きながら、呻く。
「……まさか……自分ごと雷を落とすとは……」
指先が震える。
全身の神経が焼けつくような痛み。
それでも、彼は必死に身を起こした。
目の前には――グランスに跨がったメルナがいた。
彼女は意識を失い、ぐったりと身体を預けている。
代わりに、グランスの瞳が禍々しい光を宿していた。
「……まさか、グランスが……メルナを……」
ゼファルドの言葉を嘲笑うように、空を飛ぶオーガフライたちが群がる。
「メルナ生贄ィ……!」
「竜の巫女ォ……!」
呪詛のような声が荒野を満たした。
ゼファルドは剣を抜く。
体中の筋肉が悲鳴を上げても、構えは崩さない。
瞳に宿るのは哀しみと決意。
「……残念だが、そのグランスは始末させてもらう」
彼の体から、黒い闘気が噴き上がった。
剣に纏うそれは、まるで影の炎。
荒野の砂を巻き上げ、空気が震える。
「今、救ってやる……」
ゼファルドの剣が唸る。
闘気がうねり、刃が巨大な黒い斬撃を形成する。
遠くから雷鳴が応えた。
黒と青、闇と雷。
荒野の空で、二つの力が再び激突しようとしていた。
そして――その瞬間、メルナの唇がかすかに動いた。
「……ゼファルド……離れて……」
声は風にかき消えたが、彼の心には確かに届いた。
次の瞬間、荒野の地平線に、再び稲光が落ちた。
世界が白く染まり、竜の咆哮が轟いた。




