【外伝】アイリスの採点基準
――アイリス視点――
言葉は、遅い。
口を開いて、音にして、相手の耳に届いて、意味になる。
その間に、人は死ぬ。
だから私は、数字にした。
数字は速い。
六十一。それだけで、必要なことは全部伝わる。
誰も、その中身を聞かない。
聞かれても、答えない。説明は、もっと遅いから。
◇
私の採点は、強さではない。
みんな、そう思っている。
シエルは、自分の点が低いと泣く。整備班のおじさんと同じだ、と。
違う。
私が見ているのは、その人が「どこまで戦えるか」ではない。
その人が「どこで死ぬか」だ。
二十点。三日以内に死ぬ。
四十点。前線に出さなければ、生きる。
六十点。生きて帰ってくる可能性が、ある。
八十点。この人がいれば、周りも生きる。
私が採点を始めたのは、十四のときだ。
同期が二十七人いた。
三年で、四人になった。
私は、彼らが死ぬ順番を、全部当てていた。
当てていたのに、何も言わなかった。
言えば、変わったのだろうか。
わからない。
でも、それから私は、数字を口に出すことにした。
誰も、意味を聞いてくれないけれど。
◇
あの男が来た日。
三十八。
嘘ではない。
十八年、雑兵。実戦経験、皆無に等しい。装備、旧式。相棒の竜、飛べない。グランス、老齢。
前線に出せば、三日。
出さなければ、生きる。
三十八。
シエルが笑った。私は、笑わなかった。
三十八の人間が前線に来るのは、笑い事ではない。
その日のうちに、六十一になった。
隊長の拳を、片手で止めたからだ。
私が見たのは、拳を止めた事実ではない。
止める前に、彼が「メルナを見た」ことだ。
拳が来る、その瞬間。
あの男は、自分の顔ではなく、後ろにいる少女の位置を確認した。
自分の生死より、他人の位置。
六十一。
この男は、簡単には死なない。
自分のために動く人間は、死ぬ。
誰かのために動く人間は、なぜか、生き延びる。
理屈は、説明できない。
でも、私は三年見てきた。そういうものだ。
◇
村での戦い。
私は上空にいた。命令は、万が一まで手を出すな。
合成死体兵が出たとき、六十五。
シエルが「もうダメじゃん」と叫んだ。
私は、そう思わなかった。
あの男の呼吸が、乱れていなかったからだ。
剣が届かない。竜の燃料が切れる。腕が再生する。
絶望的な状況で、あの男は、ただ「次の手」を探していた。
諦めていない人間の呼吸は、上から見てもわかる。
そして、あの少女が前に出た。
あそこで、数字が壊れた。
金色の炎。
男の胸が、少女の魔力を吸い上げる。
竜が、剣になる。
三つが、一つになった。
……採点できない。
私の基準は、個人の生存率だ。
一人の人間を、一つの数字にする。それが私のやり方だった。
あの三人は、一人ではなかった。
だから、こう出した。
魔法騎士、八十二。
男、七十七。
二人分。
シエルが「二人分!?」と叫んだ。
違う。
本当は、一つの数字を出すべきだった。
でも私は、二人が「一つ」だと認めることが、少し怖かった。
あの三人は、どれか一つが欠けたら、たぶん、全部が死ぬ。
そういう数字は、私は出したくなかった。
◇
訓練場に、人が増えている。
シエル。
あの子は、剣を振っている。三年間、あの子は「才能」で戦ってきた。
振らない子だった。振る必要がなかったから。
六十三。
三年ぶりに、上がった。
あの子は、剣を落とした。
落とすほど、驚いたらしい。
説明は、しなかった。
あの子が上がったのは、剣がうまくなったからではない。
誰かの背中を追い始めたからだ。
追う者は、簡単には死なない。
届くまで、死ねないから。
◇
ラズが、その隣に並んだ。
千回振って、倒れた。
六十九。
あの子は、ずっと「早く」と言っていた。
早く強くなりたい、早く追いつきたい、早く、早く。
急ぐ人間は、死ぬ。
三年で二十三人、そうやって死んだ。
だから、あの子はずっと五十点台だった。
「早く」と言わなくなった日から、上がり始めた。
言っていない。教えていない。
聞かれていないから。
◇
エミリアが、遠くから見ていた。
ナイフを研いでいた。いつもより、丁寧に。
あの子の点は、七十一。ずっと変わらない。
優秀な斥候だ。判断が速く、正確で、感情に流されない。
でも、私は知っている。
あの子は、七十一から上がらない。
なぜなら、誰も守ろうとしないから。
自分のためだけに生きる人間は、七十が限界だ。
……先日、その子が、戦場で誰かの名前を叫んだ。
メルナ、と。
私は、少し、笑いそうになった。
七十四。
まだ言っていない。
言うのは、あの子が自分で気づいてからでいい。
◇
私は、あまり喋らない。
言葉は遅いし、説明は面倒だし、聞かれてもいない。
でも、たまに思う。
もし私が、十四のときに、
「あなたは三日で死ぬ」と、ちゃんと言葉にしていたら。
四人ではなく、五人になっていただろうか。
わからない。
わからないから、私は今日も、数字だけを置いていく。
誰かが、それに気づいて、
少しでも長く、生きてくれるように。
◇
訓練場を、通りかかる。
男が、剣を振っている。
シエルがいる。ラズがいる。エミリアが、遠くで研いでいる。
私は、立ち止まって、少しだけ見た。
あの男は、三十八から始まった。
今は。
「…………八十一」
振り返らずに、置いていく。
背後で、シエルが叫んでいる声がした。
「また上がってる!? なんで!? 教えてよアイリスさん!!」
教えない。
でも、理由は簡単だ。
あの男の周りで、みんなの点数が上がっているから。
周りを生かす人間は、八十点を超える。
——それだけの、話だ。




