【外伝】ソランジュの祈り
――ソランジュ視点――
わたくしは、祈るために生まれました。
物心ついた頃には、もう神殿におりました。
両親の顔は、覚えておりません。捨てられたのか、預けられたのか、それも存じません。
ですから、寂しいと思ったことはないのです。
最初から無いものを、恋しがることはできませんもの。
わたくしには、祈りがありました。
手をかざせば、傷が塞がる。
言葉を唱えれば、痛みが引く。
空を、光の翼で飛べる。
女神様が、わたくしにくださったもの。
それがあれば、わたくしは、誰かの役に立てるのです。
役に立てる人間は、捨てられません。
……あら。
少し、意地の悪いことを考えてしまいましたわね。
◇
第七騎士団に配属されて、三年になります。
聖騎士は、戦場では殿です。
前に出ることはありません。空から、皆さんの傷を癒し、闘気を満たし、翼が折れた方を受け止める。
ラズさんは、わたくしのことを「後ろにいてくれるから安心できる」と言ってくださいました。
カーラカレット隊長も、「お前がいると死なねえんだよ」と笑ってくださいます。
それが、わたくしの誇りでした。
誰も死なせない。
それだけが、わたくしがここにいる理由です。
◇
新しく来た方は、少し、変わった方でした。
リーザスさん。十八年、落ち続けた方。
メルナさん。我が国初の、魔法騎士。
皆さんは冷たくあしらっていましたけれど、わたくしは、そういうことはいたしません。
……立派な心がけだから、ではございません。
あの方の目が、少し、神殿にいた頃のわたくしに似ていたからです。
ここにいてもいいのか、と、うかがっている目。
そういう目をした方には、笑いかけて差し上げるのが、一番よろしいのです。
わたくしが、そうしてほしかったから。
◇
あの日のことを、書きます。
書かないと、たぶん、わたくしはずっと、あの日から動けませんから。
黒い霧が、空を覆いました。
わたくしは、いつも通り、地上の負傷者の方へ、光を放ちました。
……届きませんでした。
光が、宙で腐りました。
黒く、汚れて、ぼろぼろと崩れて、消えました。
わたくしは、もう一度、祈りました。
届きませんでした。
もう一度。
届きません。
もう一度、もう一度、もう一度。
女神様。
どうして。
わたくしは、何か、間違ったことをいたしましたでしょうか。
翼が、砕けました。
落ちていく間、わたくしが考えていたのは、自分のことではありませんでした。
下で、騎士の方が倒れています。
癒せば、立ち上がれる方です。あと十秒あれば、わたくしは、あの方を助けられた。
なのに、わたくしは、落ちていきます。
助けられないどころか、助けられる側になって。
——ああ。
わたくしは、役に立たない。
役に立たないわたくしは、
ここにいても、いいのでしょうか。
◇
ラズさんが、受け止めてくださいました。
グランスごと滑り込んで、無茶な体勢で。
あの方も、傷だらけでしたのに。
「……っと。無事か!」
わたくしは、謝りました。
すみません、と。何度も。
ラズさんは、こうおっしゃいました。
「礼はいい! 動ける聖騎士をまとめろ! 治せなくても、戦うことはできるだろ!」
……治せなくても。
その言葉が、わたくしの中に、ずっと残りました。
◇
地上に降りたわたくしは、剣を握りました。
一応、騎士ではあります。斬岩剣も飛竜剣も、習いました。
ですが、それは騎士試験を通るため。
斬岩剣は、それっきり使っておりません。
飛竜剣は、仲間に力を付与するためにしか使っておりません。
癒すための刃であり、殺すための刃ではなかったのです。
それでも、振りました。
癒せないなら、斬るしかありません。
助けられないなら、せめて、庇うしかありません。
わたくしは、聖騎士です。
でも、その前に、騎士です。
……そんな当たり前のことを、三年間、忘れておりました。
女神アリーア様と契約したとき、わたくしの闘気は、半分を捧げました。
その代わりに、神聖力を得たのです。
ですから、剣は重いのです。
同じ型を振っても、ラズさんの半分にも届きません。それは、努力では埋まりません。捧げたものは、返ってこないのですから。
そして今、その神聖力は、使えません。
わたくしの祈りは、届かない。
わたくしは、祈りがあれば、それでいいと思っていました。
祈りがあれば、役に立てる。役に立てば、捨てられない。
祈りを取り上げられた瞬間、わたくしは、何もない人間になりました。
いいえ。
最初から、そうだったのです。
わたくしは、祈りの後ろに隠れていただけでした。
◇
戦いの後、リーザスさんが、わたくしのところへ来ました。
手当てをしてくださるおつもりだったようです。
包帯の巻き方が、恐ろしく下手でした。
わたくしは、思わず笑ってしまいました。
「……悪いな。癒しの魔法は、使えねえんだ」
あの方は、少し照れくさそうに、そう言いました。
わたくしは、首を振りました。
そして、聞きました。
あなたは、怖くありませんの、と。
十八年間、何も持たずに、ずっと戦場の隅にいらしたのでしょう。
力もなく、才能もなく、誰にも認められず。
それでも、剣を置かなかったのは、なぜですか。
あの方は、少し考えて、こう言いました。
「怖えよ。今でも、怖い」
「でも、怖えから、必死になれる」
……ああ。
わたくしは、そこで、ようやくわかりました。
この方は、ずっと、何も持っていなかったのです。
祈りも、才能も、若さも、翼も。
何一つ持たないまま、十八年間、戦場に立ち続けた。
わたくしは、たった一日、翼を失っただけで、崩れました。
この方は、生まれたときから、翼などなかったのです。
◇
次の朝、わたくしは訓練場へ参りました。
リーザスさんが、剣を振っておりました。
シエルさんも、ラズさんも、いらっしゃいました。エミリアさんが、遠くでナイフを研いでおられました。
わたくしが木剣を持って立ちますと、皆さん、少し驚いた顔をなさいました。
「ソランジュ、剣なんて振るのか?」
「ええ」
わたくしは、微笑みました。
「治せない日のために」
ラズさんが、なぜか、ぐっと言葉を詰まらせました。
◇
わたくしの剣は、これから先も、皆さんの半分でしょう。
捧げた闘気は、戻りません。
それは、女神様との約束ですもの。悔いてはおりません。
ですから、わたくしは、二倍振ります。
半分しかないのなら、二倍振ればよろしいのです。
単純な話ですわ。
……ええ。
どなたかに、教わった気がいたします。
諦めなければ、夢は叶う、と。
十八年、諦めなかった方に。
◇
わたくしは、まだ祈ります。
女神様が、あの日、なぜ答えてくださらなかったのか。
それは、今もわかりません。
でも、こう思うことにいたしました。
祈りが届かない日にも、立っていられるように。
女神様は、わたくしに、この足をくださったのだと。
剣は、重いです。
半分の闘気では、三十回も振れば、腕が上がりません。
それでも、振ります。
誰も、死なせないために。
——それが、わたくしの、新しい祈りですから。




