【外伝】エミリアの距離
【外伝】エミリアの距離
――エミリア視点――
私の仕事は、見ることだ。
斥候。索敵。偵察。
敵がどこに何体いて、どの方向から来て、誰が一番危険か。それを最速で見抜いて、味方に伝える。
だから私は、人を見るときも、そうする。
強いか、弱いか。使えるか、使えないか。
役に立つか、足手まといか。
感傷は、判断を鈍らせる。
鈍った判断は、味方を殺す。
だから私は、誰とも仲良くならない。
◇
新人が二人来ると聞いたとき、私は正直、迷惑だと思った。
うちは対ゾラ最前線だ。
新人の面倒を見る余裕なんてない。守りながら戦うと、こちらの死亡率が上がる。それだけの話。
しかも、片方は十八年落ち続けたおっさんで、竜は飛べないという。
だから言った。
「飛べないなら、留守番してて。邪魔だから」
嘘は言っていない。
空を飛べない竜騎士なんて、竜騎士じゃない。ただの、竜を連れた歩兵だ。
もう片方は、もっとよく分からなかった。
我が国初の魔法騎士。
メルナ・カストラ。私と、同い年。
あの子は、私を見ても、何も言わなかった。
値踏みもしなかった。敵意も、媚びも、なかった。
ただ、あのおっさんの服の裾を、ずっと握っていた。
……気味が悪い、と思った。
◇
最初の出撃で、私の評価は崩れた。
あのグランス——マルコとかいう、片耳のない老いぼれ。
あれの動きに、無駄が一つもなかった。
斥候として言わせてもらうけど、あれは異常だ。
私が敵の位置を伝える前に、もう避けている。指示より、判断が早い。
おっさんは、そのグランスに全部任せて、剣だけを見ていた。
信頼している、というより——もう、体の一部だった。
私にはない。あんな相棒は、いない。
私は、誰も信じない。信じたら、死んだときに、動けなくなるから。
それから、あの合成死体兵。
私のナイフは、通らなかった。
ラズの飛竜剣も、届かなかった。
あの二人が、倒した。
金色の炎と、白銀の剣で。
私は、その場で訂正した。
私たちより、彼らの実力は上、と。
言うのは、悔しくなかった。
それが事実だからだ。事実を認めないのは、斥候として無能だ。
……悔しくなかった、というのは、少し嘘かもしれない。
◇
厩舎で、あの子と会うようになった。
偶然じゃない。私が、時間を合わせているからだ。
……いや、これも嘘だ。たまたま、同じ時間になっただけ。
あの子は、グランスの世話がうまい。
ルナという、まだ若い白毛の子。おどおどして、物音に怯える。
メルナは、その子に、静かに話しかける。
「怖くないです。私がいます」
そう言って、首筋を撫でる。
……その言い方、どこかで聞いた。
ああ、そうだ。
あのおっさんが、この子に言ったのと、同じだ。
この子は、言われた言葉を、そのまま誰かに渡している。
私は、それを見ながら、少しだけ、変な気持ちになった。
私は、誰かにそういうことを言われたことが、ない。
だから、誰にも言えない。
持っていないものは、渡せない。
◇
歓迎会の夜。
あの子に、礼を言おうと思った。
簡単なことだ。あなたたちがいなかったら、私は死んでいた。それだけの、事実。
事実を認めるのは、斥候の基本だ。
なのに、杯を持つ手が、少し止まった。
なんでだろう、と思った。
ただの報告のはずなのに。
結局、言った。
「……メルナ。今日は、ありがとう」
あの子は、驚いた顔をした。
その顔が、少し嬉しそうで、私は、余計に落ち着かなくなった。
あの子が、私の技を褒めた。
ナイフ術が、すごいと。
だから、つい、言ってしまった。
「エミリアでいいわ。……同い年でしょ」
言ってから、しまった、と思った。
これは、必要な言葉じゃない。
戦闘に、何の関係もない。ただの、感傷だ。
でも、あの子が「はい! エミリア!」と、笑ったとき。
私は、それを取り消せなかった。
◇
あの大きな戦いの日。
空が黒くなって、竜が墜ちて、死体が起き上がって。
私は、いつも通り、冷静に索敵していた。
右に三。後ろに二。跳んで。
左から魔道兵、二時の方向、瘴気に注意。
声が、ちゃんと出ていたと思う。
でも、あの白いローブの女が現れて、メルナの前に立ったとき。
私は、一瞬、声を出せなかった。
あの魔力量は、異常だった。
斥候として、正しい判断はこうだ。——勝てない。退避すべき。
なのに、私の口から出たのは、こうだった。
「メルナ!」
名前を、呼んでいた。
それは、指示じゃない。情報でもない。
ただの、感傷だ。
鈍った判断は、味方を殺す。
私は、ずっとそう思って生きてきた。
なのに、あの瞬間、私は確かに、あの子の名前を呼びたかった。
◇
戦のあと、私はまた厩舎に行った。
メルナは、ルナの傷を手当てしていた。
その手も、腕も、擦り傷だらけだった。
私は、黙って隣に座って、包帯を差し出した。
あの子は、少し笑って、受け取った。
何も、話さなかった。
しばらく、二人で、グランスの息づかいだけを聞いていた。
——ねえ、メルナ。
言おうとして、やめた。
私は、うまく言えないから。
友達、っていう言葉が、どうしても喉から出てこないから。
でも、たぶん。
これが、そういうものなんだと思う。
言わなくても、隣にいられる。
それだけのことが、私には、初めてだった。
◇
次の日、ラズが訓練場で千回素振りをして、ぶっ倒れていた。
シエルもいた。あの生意気な子が、なぜか黙々と剣を振っていた。
私は、それを遠くから見ていた。
……別に。私は斥候だから。剣を振る必要はない。
そう思いながら、手が、ナイフを研いでいた。
少しだけ、いつもより丁寧に。
守りたいものが増えると、人は、こうなるらしい。
……面倒くさい。
本当に、面倒くさい。
でも、悪くない。




