嵐の前
数日後。
砦の訓練場、朝。
朝日が、石畳を白く照らしている。
木剣を構える、ラズとリーザス。
「約束通り、稽古つけてもらうぜ。……竜爪剣を、俺にも教えろ」
「お前も竜騎士志望ってことか」
「そりゃそうだ。騎士になった以上、目指さねえやつはいねえ」
ラズが、木剣を握り直す。
「ってあんたも、一応竜騎士だもんな」
「一応、ってのはいらねえな」
言うが早いか、リーザスが木剣を振った。
ガッ。
ラズが、慌てて受ける。
「お前は飛竜剣を使える。ならば、可能性はある」
ラズの攻撃を捌きながら、リーザスは続けた。
「まあ、俺が出来たのは、三十をとっくに超えてからだけどな」
「……そんなに待てねえよ」
ラズの声が、真剣になる。
「……俺は、カーラカレットさんが目標なんだ。早く辿り着きてえ」
その言葉には、若者らしい焦りがあった。
「それでいい。諦めなければ、夢は叶う」
リーザスは、静かに言う。
「俺は、十八年間諦めなかった」
それは、慰めではなかった。
誰よりも遠回りをした男の、実感のこもった言葉だった。何度落ちても、何度笑われても、剣を置かなかった。だから、今ここにいる。
「だから、そんなに待てねえっつーの!」
ラズが、木剣を振り下ろす。
その若さが、リーザスには少し眩しかった。
見物に来ていたシエルが、柵に頬杖をついた。
「ふーん……おじさん、教えるのうまいじゃん」
「おうシエル、見学料は銀貨一枚だぜ」
「あら、トカゲちゃん」
「トカゲじゃねーよ。俺は金剛竜・カスティリオ・モルガナイトだっつーの」
シエルの動きが、ぴたりと止まった。
(モルガナイト……聞いたことあるような……)
その和やかな空気の上を——一羽の伝令鳥が、南から横切っていった。
誰も、それに気づかない。平穏が終わる合図が、すでに空を渡っていたことに。
◇
昼。リーザスの自室。
届いた手紙の封を切る。
差出人の名は、ない。
だが、その簡潔すぎる筆跡でわかる。
(ゼファルド……!)
手紙には、こう記されていた。
『例の件、記録は存在する。ただし閲覧は大元帥府級の最高機密。時間をくれ』
「……生きてるとも、死んでるとも、書いてねえ」
リーザスは、手紙を握りしめた。
記録は、存在する。それだけでも、大きな前進だ。ビアンカという名が、ゾラに関わる書類のどこかに、確かに残っている。
だが、その中身は闇の中。生きているのか。死んでいるのか。あるいは——それ以上に、恐ろしい何かなのか。
南の空を、見つめる。
(ビアンカ。……もう少しだけ、待っててくれ)
——一方、団長室。
地図を挟んで立つ、コーネリアとシルヴィア。
「大元帥府から届いた対毒装具『竜面』——全竜への装着訓練、完了しました」
「グレートロックマウンテンの借りだ。同じ毒は、二度と食わないよ」
コーネリアの目が、鋭く光る。
「それと……国境の監視哨が、三つ沈黙しました。来ますね」
「ああ。狙いも分かってる」
(メルナ。リオンはあの子を“餌”に使う気だ。……狙いは、大物ね)
コーネリアの胸中は、複雑だった。
守るべき部下を、囮として差し出す。それが、上からの命令だった。
だが、それを部下に悟らせるわけにはいかない。団長とは、そういうものだ。
「コー。なんだか嬉しそうね」
シルヴィアが、訝しげに言う。
「……こっちは戦力が増えたんだ。次の戦いが楽しみなだけよ」
夕方。
厩舎で、マルコとルナに餌をやるメルナとエミリア。
言葉は少ない。だが、その並んだ横顔には、確かな親しみがあった。同い年の友。メルナが初めて手に入れた、当たり前の関係。
ささやかな、日常。
その時——南門の方から、悲鳴のようなざわめきが起こった。
◇
砦の南門。
ボロボロのグランスが、倒れ込むように駆け込んでくる。
鞍の上の斥候騎士は、矢を三本受けたまま、気を失いかけていた。
「すぐに治癒を!」
ソランジュが叫び、騎士たちが駆け寄る。
「……ほう……こく……」
斥候が、掠れた声を絞り出す。
「敵……ゾラの大軍……死体兵と、魔道兵……数千……!」
ざわ、と砦が凍りついた。
「死体兵の海の中に……黒い、馬車……そして……」
斥候の目が、恐怖に見開かれる。
「大将軍セリウスの……軍旗が……!」
その名に、砦中の騎士が息を呑んだ。
ゾラ第一の剣。魔道大王に次ぐ最強の男。その男が、自ら軍を率いて来る。
報告を受けるコーネリア。
その片目が、すっと細くなった。
「……セリウス。第一の剣か。大物にも程があるな」
リーザスの胸が、ドクンと鳴る。
(数千の軍勢。……この前の戦いとは、規模が違う)
隣で、メルナがリーザスの袖をそっと掴んだ。
その指先が、わずかに震えている。この少女もまた、恐れているのだ。
「……大丈夫だ。俺がいる」
リーザスは、その手に自分の手を重ねる。
怖いのは、自分も同じだ。だが、この子の前でだけは、震えるわけにいかない。
コーネリアが、城壁の上に立ち、全軍を見下ろした。
「第七騎士団、全軍——戦闘配置ッ!!」
夕焼けの向こう、地平線が黒く染まり始めていた。




