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これからの、たくさんの出会いへ(終)

「有馬冴」

「ふあ?」


 呼びかける声に、まどろんでいた意識を引き戻される。ぼんやりと歪む視界には見慣れた店内。どうやらカウンターで舟を漕いでいたらしい。

 あー、そうか。昨日、病院から家に戻って……今日またお見舞いに行って、そのまま店に直行したんだった。昨日も一昨日もよく眠れなかったし、寝不足なのだろう。眠れなかった理由は、一昨日は不安から。昨日は嬉しすぎて。だからなのか、体は疲れていても自分でも驚くくらい疲弊を感じない。


「就業中に居眠りとはいい度胸だ。眠気覚ましのわさびを目薬代わりに注してやろうか」

「起きます! 今起きました!」


 私は文字通り飛び起きた。店長のことだから摩り下ろす前のわさびを用意しそうだ。冗談ではなく本気だったとしても驚かない。うわわわ、ちょー怖い。


「それで、何か御用ですか」

「ああ。キミに見せておきたいものがある。こっちを向いて」


 言われるがままに椅子をずらし、店長と向かい合う。相変わらず表情筋を使うエネルギーが惜しいとでも言うような無表情。かといって怒っていたり不機嫌だったりするのかというとそうでもなく、これが自然体。いつもと同じ。憎らしいくらいに、変化がない。

 変わったのは私の方。昨日以来、店長を前にすると不自然に緊張する。それまでは普通に目を見て話せていたのに、顔もまともに見られない。今だってかちこちに固まっている。

 店長はこんな私を変な奴だと思っていないだろうか。そればかりが心配だ。私の変化に気付いているのかいないのか、店長の態度はいつもと全く変わらない。それどころか、なんの躊躇いもなく掌を額に押し付けてきた。


「ぬあっ!?」

「動くな。集中が途切れる」


 離れようとする私の肩をもう片方の手で押さえつける。

 ち、力つよっ。腕がもげる!


「ぼっ、暴力はんた、うぐっ」


 肩を掴まれていた手で口を押さえられ、私は余計に混乱した。パワハラ! だめ絶対!

 けれど、抵抗する力はあっという間に削がれていった。店長が目の前にいることも忘れて、驚愕のため目を瞠る。

 額に当てられた手から流れ込んできたのは、イメージだった。まるで何枚ものモノクロ写真のようなそれは、全て春樹に関するもの。いや、春樹の記憶だ。

 小さな瞼の向こうに、顔のない女がいた。女は愛おしそうな手つきで春樹の頬を撫でていた。おそらくは、生まれたばかりの記憶。公園で一人泣いている彼を慰めるように、陽気に踊ってみせるもぐらのような生き物もいた。気の上から声をかける鳥。池から顔を出して、こちらに手を振る人のようなもの。もっと多くの、多すぎるほどの鬼神の影。


「……大丈夫か、有馬冴」


 店長の優しい声音に、私はいつの間にか瞑っていた目を薄っすらと開いた。

 こくん、と頷く。無意識に頬を涙が伝っていた。


「あの子は、一人ぼっちだったんですね」

「……キミがいた」


 私はゆるゆると首を振る。


「私は、どこか義務のようなところがありました。姉だから病弱な弟を助けなければならないって。親にもそう言われてたし」


 感覚の鋭い春樹がそのことに気付かなかったはずがない。確かに私は弟を可愛がっていたけれど、よくよく思い返してみれば、どこかお互い遠慮してはなかったか。体が弱い春樹のことを、自分でも気付かないうちに腫れ物のように扱っていたような気がする。一方で春樹は、そんな私に心を開くことができなかった。

 そういえば、春樹は小鬼のことを口にしても友達の話はしたことがない。人間の友達がいなかったのかもしれない。だとしたら、私はそんなことにも気付かなかったということになる。


「春樹にとって、小鬼が唯一心を開ける存在だったんですね」


 自身を蝕む存在だとも知らず。優しい鬼たちに自ら近付いていったのだ。


「それだけじゃない。鬼神たちも、弟君に関心を寄せていた。あれほどの数と関わりを持った人間を俺は知らない。おそらく、それほどまでに鬼神にとって魅力的な何かが彼にはあるのだろう」

「でも、それが春樹を」


 苦しめていた。

 分かっている、という風に店長は頷いた。


「だが、気付かなかったか、有馬冴。僅かな例を除いて、鬼神たちは二度と弟君の前に姿を現わさなかった。自分たちの存在が彼を傷つけてしまうことに気付いたんだ。だが、それが彼を余計に苦しめることになった。確かに鬼神の気は毒だが、そればかりが彼の具合を悪くした原因ではないと俺は思う」

「春樹が、自分で自分を苦しめていたと……?」


 店長は無言で肯定した。

 彼の言いたいことはよく分かった。春樹は、良くも悪くも自分の感情を内側に向けるところがある。私もそうだから、よく分かる。友だと思っていた人たちが次々と自分の前から消えていくのを見て、どう思っただろう。きっと自分のせいだと思い込んだに違いない。理由が分からずに苦しんだだろうと思うと、私は胸が張り裂けそうだった。


「春樹、今日、指が動いたんです。意識は戻らなかったけど」

「きっと明日目覚める」


 そうですよね、と小さく呟いて、私は店長に微笑んだ。彼は微笑み返す代わりに私の額をこつんと小突くと、


「じゃあ、調薬に戻る」


 と言って奥へと戻っていった。春樹の傷を癒す薬を作ってくれているのだ。それだけでなく、体質を改善することも考えているらしい。出来るかどうかは五分五分だと言っていたが。だけど、全力を尽くすとも言ってくれた店長を私は信じたい。

 それにしても、意地でも笑わないなんて照れ屋さんめ。まあ、そんなところも、かわ――


「ぐあああああ!!?」


 自分のものとは思えない雄叫びを発して、わたしは勢いよく立ち上がった。その拍子に椅子が後ろに倒れるが、気にしない。というか、気にならない。

 私、今何考えてた……?

 よく分からないが、途轍もなく恐ろしいことのように思える。

 私は自分のこめかみを押さえ、ふるふると頭を振りながら蹲った。


「考えない……考えない……考えちゃダメだ、うん」

「何の話かな~?」

「うひゃっ」


 頭上から漂ってくる冷気に悲鳴を上げると、愉快そうな笑い声が降ってきた。


「何やってんの、冴ちゃん? 面白い子だねぇ」

「は、八萬さん。ここは立ち入り禁止区域ですよっ!?」


 不意打ちされたことの驚きとマズイところを見られた恥ずかしさとで、つい怒鳴ってしまう。けれど彼は怒鳴り声一つで萎縮するような人ではなかった。


「大丈夫。お店はせぇふ。それよりさ、問い詰めたら面白いことになる? なりそうだねぇ。そんな予感。楽しそう」

「なりません。お願いですから、詮索しないで下さい」

「土下座したら考えてあげるよ~」


 この人、間違いなく店長の先祖だ。

 面白がって追及しようとする八萬さんと、なんとかその手から逃れようとする私の攻防は、あまりの煩さに店長が怒鳴り込んでくるまで続いたのだった。




 そして、約一週間後の日曜日の夜。

 退院した春樹と私は、二人並んで掃きだし窓に腰掛け、見慣れた我が家の庭を眺めていた。


「本当に大丈夫? また当てられたりしない?」

「ほんの一、二時間程度だから大丈夫だって、瀬戸川さんが言ってたよ。ねーちゃんだって聞いてたじゃん」


 そう言って春樹は呑気に笑う。

 こんな風に笑顔を見せてくれるようになったのは嬉しいけれど、まだ心配している私は素直に喜べない。だって、春樹の病気の原因がまだこの庭にいるかもしれないのだ。また意識を失って倒れてしまうんじゃないかと不安になるのも仕方ないというものだ。


「ねーちゃんは心配性だなぁ。俺、久しぶりに家に帰ってきたんだよ? もうちょっと歓迎してよ」

「ううーん。そりゃそうだけどさ」


 確かに、家に春樹がいるのは嬉しい。退院して初めての帰宅だ。彼は予定通り店長の家にお世話になっている。ほぼ毎日店に通っている私とは、顔を合わせない日はない。だから寂しいわけじゃないけど、ただいまと言っても返事が返ってこないのはちょっと虚しい。

 だけど、そんな毎日ももうすぐ終わり。

 叔母がウチに引っ越してくることが決まったのだ。急ぎの仕事が入ったとかで今は無理だけど、それが一段落したら荷物をまとめてこっちへ来ることになっている。引越しの計画自体は随分前から考えていたみたいだけど、今回のことで決心が着いたらしい。

 店長が出張の日は、叔母と二人で瀬戸川家に押しかけることも決まった。これで、私も春樹も一人じゃなくなる。


「それに、瀬戸川さんが言ったんだよ。ねーちゃんと一緒だったら大丈夫だって」

「……本当に?」


 春樹はにこにこと頷く。


「ねーちゃんは、鬼神? の影響を全く寄せ付けない体質なんだってさ。だから、俺みたいにぶっ倒れる心配がないの。ねーちゃんの傍にいれば、俺も短い時間なら大丈夫なんだって」

「ふーん……」


 そういうことは本人にちゃんと説明してほしいですねぇ。そういう意味で納得行かない感じがしてしまい相槌も曖昧になる。

 だが会話が叔母の引越しの件に及ぶと、私はもう気にならなくなっていた。


「きっとさー、掃除が大変になるよ。叔母さんの部屋見たことある? めっちゃ汚いの。脱いだら脱ぎっぱなしだし、床にもテーブルにも本とか雑誌が散らばってるし、カップラーメンの容器は洗ってそのまんまだし」

「洗ってるだけマシじゃん」

「そういう問題じゃないの。叔母さんがウチに来たら、全部私が片付けなきゃならないってのが重要なの」

「でも、ねーちゃん嬉しそうに見えるよ」

「そこはまあ、認める」


 なんだか叔母との距離が近くなったように思う。本当の家族みたいに想ってくれるのが嬉しい。叔母への文句も、楽しみの裏返しだ。

 そして、春樹が目を覚まして以来、彼とのわだかまりも前より小さくなった、ように感じられた。完全になくなったわけじゃない。だけど、壁を作るのは私も春樹も望んでなんかいないし、生垣程度も残さないようにしようって努力も始めた。

 だから、有馬家の未来は明るい――と思う。

 あれから、私は春樹とたくさん会話した。何でもないことも、そうじゃないことも。両親が死んだ日のことも、辛いけど話した。

 事故の原因を作ったと謝る私に、春樹は「そうじゃないんだ」と泣きそうな顔で言った。

 私が春樹を無理矢理連れ出した夜、春樹はこっそり置手紙を書いたそうだ。「河川敷の花火大会に行ってきます」と。それを見た両親は、まっすぐ会場へと向かってきた。もし置手紙を読まなければ、両親は別のルートを行って無事だったかもしれない。そう言うのだ。

 その話を聞いたとき、私は初めてこの三年間の春樹の気持ちが分かったような気がした。気のせいかもしれないけれど、そこに意味があることと思う。

 家族だろうが何だろうが、話さなければ分からないことがたくさんある。この三年間、お互いが考えていたことを言葉にすると、モヤモヤしたものが晴れていくような爽快感があった。逆に、余計に考えてしまうこともあった。


『きっと、全部いい思い出になるね』


 ぎこちないながらも、そう言えるようになったのは、春樹が自分の身に起こったことをちゃんと知ることができたからに他ならない。小鬼たちが春樹の前から消えていったのは、彼らの優しさだったのだと。


「ねーちゃん、花火、もうすぐ始まるよ」


 ぼんやりとしていた私は、その声に顔をあげる。

 それが合図だったみたいに、ばん、と第一発が打ちあがった。続いて、パラパラと歓迎するみたいに流れる光。

 夜空の大輪が二人の顔を照らす。女性のアナウンスの声が、花火の鳴らす笛の音や発射音の合間に聞こえてくる。声が幾重にも重なって、何て言っているのかは断片的にしか聞き取れなかった。


「線香花火。買えばよかったね」

「うん」


 聞き返すこともなく頷く春樹に、私は喜びで胸が震えた。

 ――覚えていたんだ、あのときのこと。

 打ち上げ花火と線香花火。大きさを比べあった夏の夜。泣きたいくらい懐かしい、もう戻らない幼い日々。

 もっとよく花火を見ようと、私は立ち上がった。けれど本当は、込み上げた涙を隠すためだった。

 悲しいのか何なのか、自分でも分からない。ただ、無性にサヨナラを言いたくなった。


(さよなら。――さよなら)


 何かとお別れをして、また新しい気分で出会いを迎える。当たり前にも思える日常を、夜空に描く。無意識に頭に浮かんだのは、《やすらひ堂》のカウンターで頬杖をつく自分の姿だ。きっと一年後も、来るかどうか分からない鬼神を待ち続けるのだろう。その日々が愛おしい。


「あっ、ねーちゃん!」


 突然、春樹が叫び声を上げて一点を指差した。

 何かと思って見やれば、例の小鬼が水を運んでいたという植木だ。それほど高くない木の中ほどに、真っ赤な実が出来ていた。草木に詳しくない自分だけど、植えているものと全く関係のない実だということは分かる。さっきまでそんなものは無かったし、不自然なほど大きい。しかも光って見える。見間違いかと思ったが、春樹の反応を窺うにどうやら違う。

 もしかして、これが店長の言っていた「家に巣食っている鬼神」? どうして私にも見えるんだろう。

 心の中の問いかけに、思わぬ方向から答えが返ってきた。


「それはね、是非お嬢さんにも見届けてもらいたかったからじゃよ」


 私と春樹は揃って玄関の方を振り向いた。

 そこに立っていたのは一人のおじいさん。春樹は初めて見る顔だったようで問いかけるような視線を私に送り、私は意外な人物との再会に驚いて声も出なかった。


「ほっほっ。びっくりしとるね、お嬢さん。お久しぶり。私のこと、覚えてる?」

「お……お久しぶり、です。覚えてます」


 なんとか喉から声を紡ぎ出すと、大正紳士は見覚えのあるステッキで地面を突きながらまた笑った。

 その姿、忘れるはずがない。

 私が本当の《やすらひ堂》を知ることになったきっかけの鬼神だからだ。まさか、また会うことになるなんて思わなかったが。


「本当はね、もう少しお話したいんじゃけど。生憎、時間があんまりないのよ」


 そう言っておじいさんは春樹に向かってニコッと笑った。春樹は戸惑ったようにこちらを見る。そんな目で見られても、私だって困る。


「お嬢さんが見せてくれた、懐かしい夢。あれ、物凄く感謝しとるんよ。私ら鬼神は夢を見ることがないから、夏江に会えて――声を聞けて、本当に嬉しかった。ありがとうね」


 皺くちゃの頬に、ほろり、と透明な雫が零れた。涙は夜空の光色に輝き、それがあまりに綺麗だったので、私は思わず見蕩れた。

 夏江という人が、おじいさんの大切な人だったことは分かる。あのとき、おじいさんは「もうすぐお前の願いが叶う」とも言っていた。もうそれは終わったのだろうか。


「じゃからね、お嬢さんには見届けてもらいたくて」

「それ、さっきも仰いましたけど、何をですか?」

「それはね……ほれ」


 おじいさんはステッキを翳した。確か、あの神器のスキルは「木の実をつける」だ。

 木の実……。

 あっ、と小さく叫んだ私が振り向くよりも早く、庭は白い輝きに包まれて何も見えなくなってしまう。不思議と痛みは感じなかった。


「ねーちゃん、空……!」


 私は薄く開いた瞼の隙間から空を見上げた。

 自宅の庭から空中に広がるその光景に、感嘆の声が漏れる。

 そこにあったのはまさに神秘的な光景。

 赤い実から立ち上る白い光が、天の川のような流れとなって空高く昇っていく。

 よく見れば、光は無数の球の集まりだった。その一つ一つがゆったりと明滅し、天へ還っていく。

 生きているみたいだ、と思った。緩急つけて輝いたり暗くなったりする様子が、呼吸をする姿に似ていた。


「あの一つ一つが、私と夏江の子供なんじゃよ。ずーっと昔に死んだ、死んでも天に還ることを許されなかった、小さな魂。私は、あの子らを天国へ送るためにどうしてもこのステッキが必要だった。じゃからね、感謝しとるんじゃよ。《やすらひ堂》のお嬢さん。これで……さよならじゃね」


 おじいさんの言葉にはっとして振り返る。だけど、そこにもうおじいさんの姿はなかった。どこかへ行ってしまったのか、それとも私にだけ見えなくなってしまったのか。寂しさと悲しさがない交ぜになって、胸がつかえた。おそらく、彼とはもう一生会うことはないのだろう。おじいさんの目的は達せられたのだ。


「ねーちゃん……」

「うん」


 心配するように触れてくる手を握り返して、私は微笑む。

 もう会うことはないかもしれない。

 ――それでも、いつかまた会えたらと思う。おじいさんだけじゃない。アリシアさんにも、春樹の友達になってくれた鬼神たちにも。まだ見ぬ大勢のお客様にも。

 だから、私はあのカウンターに座って、私を縛る出会いを待ち続ける。そして、いずれは店長にも認めてもらいたい。もっとたくさんの仕事を任されるように。


 《やすらひ堂》のお嬢さん。


 私は心の中で呟くと、くすぐったそうに笑った。

本作品はこれで完結となります。

拙い文章でしたが、最後まで読んでくださって本当にありがとうございました。

またお会いする機会があればいいなと思います。それでは~。

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