第五章 襄陽にて待つ
——さて。ここで語りの筆を、少し休めた者の話をせねばなるまい。
私である。
あの村を発ったのは、福の一件よりも前のことであった。旅の医者は、一処に長居をせぬ。次の村、次の町と、病人を追って流れてゆくのが性分である。だから私は、あの晴れた日々の終わりを、この目で見ておらぬ。小梅どのの弔いにも、間に合わなんだ。
医者というものは、居合わせた病しか治せぬ。五十年経った今でも、あの村の方角に杯を向ける晩がある。……いや、湿った話はよそう。この章は、湿らせてはならぬ章なのだ。
なぜなら——襄陽である。
漢水の南岸、水陸の要衝。北から戦火を逃れてきた士人、学者、商人、職人が、来る日も来る日も渡し場に吐き出される。中原が燃えるほどに、この町は膨らんだ。乱世の皮肉というものだが、当時の襄陽は、おそらく天下でいちばん学問の熱い町であった。市を歩けば十歩ごとに書生とすれ違い、酒楼の二階からは詩論の怒鳴り合いが降ってくる。牧の劉表どのが学問を好み、学舎を建て、逃れてきた学者を厚く遇したからである。
その渡し場に、一人の若者が降り立った。
継ぎだらけの旅装。埃まみれの履。懐にはたった一巻、擦り切れた竹簡。名を、徐庶という。……つい先だってまで、福と呼ばれていた男である。
若者は、雑踏の真ん中に立ち、しばし呆けたように町を眺めた。見るものすべてが、村の物差しに合わなかった。人の数。屋根の高さ。行き交う言葉の種類。それから——紙と竹簡を抱えて歩く人間の、多さ。
村では、字が読めるだけで知恵者と呼ばれた。ここでは、書を抱えていない者を探すほうが難しい。
徐庶は、懐の竹簡を、着物の上からそっと押さえた。
(……徳。すげえ所だぞ、ここは)
胸の内で呟いてから、若者は唇を結んだ。結んで、雑踏へ一歩、踏み出した。天へ昇る階の、これが一段目であった——などと言えば聞こえは良いが、実のところ、この時の徐庶が持っていたものといえば、路銀の残り幾ばくかと、竹簡一巻と、あとは体一つ。
天下にこれほど身軽な一段目も、あるまいよ。
*
襄陽の市は、村の祭りの百倍も騒がしかった。
そして徐庶はすぐに知った。人が増えれば、諍いも増える。町の辻ごとに、小さな戦があった。
米屋の前では、北から逃れてきたらしい親子連れが、店主と揉めていた。曰く、昨日と今日で米の値が違う、と。店主は嗤った。「難民が日に千人も入ってくるんだ。明日はもっと上がるよ。買わないなら退きな」。親子の後ろでは、土地の破落戸どもが、避難民の荷を「置き場代」と称して剥いでいた。強き者が弱き者を挫く。村では滅多に見なかったものが、ここでは商いの顔をして、白昼堂々と歩いていた。
徐庶の拳が、鳴った。
一歩、踏み出しかけ——止まった。懐の竹簡が、胸に触れたのである。
(……駄目だ。ここで五人十人打ち据えて、それでどうなる。明日にはまた別の辻で、別の破落戸が同じことをやる。拳は、目の前の一人しか救えねえ。……徳、お前の言った通りだよ。世の中は、俺一人じゃ変えられねえんだ)
代わりに、徐庶は米屋の店先に歩み寄り、秤をじっと見た。見て、一言だけ言った。
「……親父さん。その分銅、底を浚ったほうがいい。蝋が詰めてある。目方が二割、嘘をつくぜ」
店先が、静まった。周りの客が秤を覗き込み、店主の顔色が変わり——あとは、騒ぎである。徐庶はもう見ていなかった。嘘の秤は、群衆が勝手に裁く。拳は一人しか救えぬが、種明かしは市場ごと救う。それが、襄陽で徐庶が覚えた最初の学問であった。
*
日が傾くと、徐庶は渡し場近くの安宿の土間で、行商人たちの車座に紛れ込んだ。
銭のない徐庶にできる仕事といえば、荷運びくらいのものである。昼のうちに担いだ荷の駄賃代わりに、隅で飯を分けてもらい、耳だけを商人たちの話に立てた。——この時代、天下の動きを知りたくば、書物ではない。行商人の車座である。彼らは足で天下を歩き、目方と値段で世を測る。学者の百の論より、塩の値一つのほうが、よほど正直に乱世を語るのだ。
「長安はひでえもんだ。董卓が殺されたと思や、今度は李傕・郭汜よ。仕える主が変わるたび、市場が一度焼ける」
「兗州の曹操って御仁は大したもんだぜ。降った黄巾を、百万丸ごと抱えこんだとよ。兵にして、田を耕させるんだと」
「北じゃ袁紹と公孫瓚がぶつかりっ放しだ。冀州の絹はしばらく入らんね」
「江東の孫堅が死んだろう。この襄陽の目と鼻の先でよ。……お陰でこの町は当分安泰だが、倅の孫策ってのが、親父に輪をかけた虎らしい」
徐庶は、椀を持ったまま、身じろぎもせず聞いていた。頭の中では、例の算盤が鳴りっ放しであった。地名が置かれ、人名が並び、兵糧の値が線で結ばれ——生まれて初めて、天下というものが、一枚の絵図になって頭の中に広がってゆく。村では、世界は噂であった。ここでは、世界は荷駄と値札で出来ていた。
と——車座の隅で、年嵩の塩商人が、ぽつりと言った。
「……そういやぁ、李傕の兵が、東へ動いとるって話だ。豫州の方さ。潁川あたりは、また踏まれるかもしれんなあ」
徐庶の椀が、止まった。
潁川。母。徳。小梅の墓。村。
「……おい、それは」思わず、声が出た。「それは、確かな話か」
塩商人は、見知らぬ若者の剣幕に目を丸くし、それから気の毒そうに首を振った。「確かも何も、噂よ。俺らの商売は噂が飯の種だが——噂ってのはな、兄さん。当たってほしくねえやつほど、よく当たる」
その夜、徐庶は眠れなかった。
土間の隅で膝を抱え、頭の中の絵図を、何度も何度も見た。李傕の軍勢は長安から幾日で潁川に届くか。村から沢までの逃げ道。徳の枕元にあった、あの精緻な絵図——(徳。お前なら、読めてるよな。とっくに、読めてるよな)——祈るように、胸の内で呼びかけた。
帰るべきか。頭の算盤は、冷たく答えを出す。帰って何ができる。書き付けの上で死んだ男が、今のこのままの男が、戻って、何が。
……強くなりに、来たのだろう。
夜明け前、徐庶は立ち上がった。懐から竹簡を出し、表の五文字を、暗がりの中で指でなぞった。
襄陽にて待つ。
——まず、この男を探す。天下の絵図の、続きを教わるのだ。
*
襄陽に着いて、十日が経った。
徐庶は、相変わらずの宿無しであった。昼は渡し場で荷を担ぎ、日銭を稼ぐ。夜は軒下、社の床下、舫った舟の胴の間——雨風の凌げる場所なら、どこでも寝所になった。司馬徽の行方は、知れぬままである。学舎を尋ねれば「そのような先生は当学におらぬ」、市で聞けば「はて」。竹簡一巻を頼りの人探しは、この大きな町では、藁山から針を拾うに等しかった。
収穫が一つだけあったとすれば——同業の人足に、妙に気の合う男を見つけたことである。
歳は徐庶より二つ三つ上。名を、石韜、字を広元といった。聞けば、潁川長社の生まれ。同郡どころか、同県の男である。戦火を避けて南へ流れ、徐庶と同じく、その日暮らしの荷担ぎに身をやつしていた。異郷の雑踏で聞く故郷の訛りほど、腹に沁みるものはない。二人はその日のうちに兄弟のように打ち解け、荷を担ぐのも寝床を探すのも、一緒になった。
「なあ、徐庶よ」荷の合間に、石韜はよく笑った。「俺もお前も、潁川じゃ字の一つも自慢できたのになあ。ここじゃ学問は、担いでる酒より安いや」
その晩の仕事が、酒担ぎであった。
町はずれ、漢水を見下ろす高楼で名士の集いがあるとかで、酒屋に雇われた二人は、酒甕を天秤に提げて夜道を運んだ。楼に着けば、下男が階下で受け取るのが常であるが、その夜は人手が足りぬとかで、二階の座敷まで上げろという。
階段を上る徐庶の耳に——議論の声が、降ってきた。
「——だからですな、龐公。国を潤すはまず大地、というのが儒の説くところ。荊州が今日あるのも、劉牧が田を安んじたればこそ……」
「ふむ。されど承彦どの、それだけかな」
その声に、徐庶の足が、止まった。
「わたくし、潁川におった時分にな。同じ説を、とある寒村で講じたことがござる。したらば——その村の若い衆に、こう返されましてなあ」
酒甕が、天秤の上で小さく揺れた。
「"肥えた田は、奪われる。実った穀は、兵を呼ぶ。大地を肥やす前に要るものがある——実りを守る力と、奪わずに済む世の仕組み"……とな。いやはや、書生を十年やった顔が、束になっても敵わなんだ」
座がどよめいた。龐徳公と呼ばれた年嵩の声が、面白げに問うた。「ほう。して徳操どの、その若い衆とやらは、今どこに」
「さて。……天下のどこかを、歩いておるはずですがな。なにせ、わたくしの文には襄陽にて待つと書いてやりましたゆえ——気の長い話、待つと書いたからには、待ちましょうよ。好、好」
——気がつけば、徐庶は座敷の敷居に立っていた。
酒甕を提げたまま。人足の汚れた身なりのまま。座の名士たちが、闖入者に眉をひそめる。石韜が背後で「おい、徐庶?!」と慌てる。構わず、徐庶は甕を置き、その場に膝をつき、絞り出すように言った。
「……その答えは、俺のじゃありません。俺と、俺の友の、二人の答えです。——遅くなりました、先生」
座敷が、静まり返った。
司馬徽は、盃を持ったまま、しばし敷居の若者を眺めていた。埃と汗と、酒の匂い。あの村の門番の面影の上に、何かひどく重いものを背負った、見知らぬ翳が乗っている。……名も、変わったのであろうな。それだけで、およそのことを察するのが、この男である。察して、何も問わず、司馬徽はただ、盃を置いて言った。
「好、好。——遅いわ、坊主」
それから、居並ぶ名士たちに向き直り、こともなげに付け足した。
「皆さま。先ほどの、寒村の若い衆にござる。……ほれ、突っ立っておらんで、座れ。酒はお前が担いできたのだ、お前が呑まんで誰が呑む。——おお、それと階下の連れも呼んでやれ。潁川の訛りが、もう一人分聞こえておったわ」
*
——その夜、宿無しの人足が二人、天下の名士の座に連なった。
襄陽が学問の町であったことの、何よりの証である。身なりでも門地でもなく、答え一つで座に招く。そういう男たちが、あの町にはいたのだ。
竹簡の五文字は、果たされた。待つと書いた男は、待っていた。
されど徐庶よ。お前がこれから学ぶ座には、まだ空いた席がある。数年ののち、その席に着く者たちの名を——臥龍と、鳳雛と、世は呼ぶことになる。




