XVIII.【4ー4】「零れた本音」
書庫の奥には、まだ灯りが灯っている。
父はいつものように机へ向かい、古い頁へ目を通している。入口の前で立ち止まったまま、しばらく動けなかった。来るつもりだった。聞くことも決めていた。なのに、いざ顔を見ると言葉が重い。昔なら、こんな風に迷うことなんてなかったのに。
「……まだ起きてたのか」
先に気づいたのは父だった。視線だけをこちらへ向ける。
息を飲み込み、ゆっくり口を開いた。
「聞きたいことがあるの」
「珍しいな」
「……リュミエール高等学院」
その名前を口にした瞬間、父の目がわずかに細くなる。
「前に言ってたよね。多種族が集まる場所だって」
「ああ」
「……本当に、あるの」
父はすぐに答えなかった。しばらく、こちらを見ている。やがて本を閉じ、息を吐いた。
「気になるのか」
答えない。沈黙が、そのまま答えだった。
「……強くなりたい」
気づけば声が零れていた。
「もう、何も知らないままなの嫌なの……守れないのも嫌」
声が少し掠れ、拳を握る。
「あんな風に終わるの、もう嫌……!」
そこまで言った瞬間、はっと口を閉ざした。感情を出したつもりなんてなかった。なのに、こみ上げるものだけが止まらなかった。
書庫へ静寂が落ちる。
しばらくして、父が口を開いた。
「……やっと言ったな」
その声に、責める響きはなかった。ずっとそこにあったものを、ようやく受け取ったような
——ただ、それだけの声だった。
それ以上、何も言わなかった。小さく頭を振ると、父に背を向け、書庫を後にした。
* * *
あの子が去ったあとも、部屋にはしばらく静寂が残っていた。灯りの揺れる机。開かれたままの資料。閉じられた引き戸。
父はその方向をしばらく見つめていたが、やがて小さく息を吐くと、机の脇に置かれた茶器へ手を伸ばした。
ふと、隣室へ繋がる襖へ視線を向ける。
「……聞いていたな」
その言葉に応えるように、襖の向こうで気配が揺れる。そっと開いた先から、母が姿を見せた。申し訳なさそうな顔をしている。
「ごめんなさい……途中から、聞こえてしまって」
「いや」
父は首を振った。
「むしろ、聞いていてよかった」
母はゆっくり書庫へ入ると、さっきまであの子が立っていた場所へ視線を向ける。そこにはもう誰もいない。けれど、残っている空気だけでわかる。あの子が、ようやく言葉にしたのだと。
「……強くなりたい、か」
母がぽつりと呟く。その声には痛みが滲んでいた。
「ずっと、一人で抱えてたのね」
「抱え込みすぎた」
父は低く返した。
「だからこそ、ここまで来てしまった」
机の上に広げられたままの資料へ、視線を落とす。外界史。軍用術式。種族戦争。あの子がここしばらく、書庫に居座っては読み漁っていたものだった。
「このまま里へ閉じ込めておけば、あいつはもっと極端になる」
一語ずつ、確かめるような声だった。
母は目を伏せる。
「……外へ出すの?」
「まだ決めてはいない」
そう答える父の指先が、湯呑みの縁を一度だけなぞった。
しばらく黙り込んだあと、父は口を開いた。
「数日後、時間を空けておいてくれ」
母が顔を上げる。
「大事な話をする」
その言葉に、母は何も問い返さなかった。代わりに、小さく頷くだけだった。




