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XVII.【4-3】「歪む記録」

 夜更けの書庫は静まり返っている。

 外で木々を揺らしている風の音。けれどその音は分厚い壁に遮られ、ここまではほとんど届かない。(ページ)をめくる音だけが、ひっそりと闇へ溶けていく。


 黙々と読み進める。外界の歴史。人間の国家。過去の戦争記録。奪われた土地、焼かれた集落。知らなかったものが次々と目へ流れ込んでくる。


 最初は、ただ答えが欲しかっただけだった。なぜルルは死ななければならなかったのか、と。けれど今は違う。知れば知るほど、何かが内側で冷たく研ぎ澄まされていく。


 人間は争う。(おか)す。奪う。自分たちが正しいと信じたまま踏み込んでくる。並ぶ文字が、まるであの夜の続きを語っているみたいだった。


 頁を(めく)る指へ、知らないうちに力が入る。

「……やっぱり」

 小さく漏れた声は、怒鳴るでもなく泣くでもなく、底の方からじわじわ染み出してくるような、冷えた声だった。


 あの時、間違っていたのは自分じゃない。弱かったのが悪かったわけじゃない。最初から、人間が来なければよかったんだ。その考えが頭へ根を張り始めた瞬間、胸の中で何かがゆっくり噛み合っていく。守れなかった。だから強くなる。強くなって、人間を止める。

 もう二度と――

 そう考えた時だった。


 頭の奥で、板戸が軋む。ぎしり、と。

 まただ。最近、時々こうして向こう側が騒ぐ。風に触れた時。誰かを助けた時。ルルを思い出した時。閉じ込めたはずのあの自分が、まだそこにいる。笑っていた、泣いていた、ただ守りたかっただけだったあの頃の――


「……黙って」


 低く吐き捨てる。板戸の向こうから返事はない。それでも確かに、そこには何かがいた。

 目を閉じると、脳裏へ一瞬だけあの丘の景色が浮かんだ。風。白い花。笑うルル。

 机へ爪を立てた。

「もう戻れないんだよ……!」


 押し殺した声だった。震えているのか怒っているのか、自分でももうわからない。あんな自分じゃ守れない。笑っているだけじゃ、何も救えない。だから消えろ。もう出てくるな。そう吐き捨てて、再び視線を落とした。

 そこには、人間の身体構造や文化、魔力適性についての記述が並んでいた。やがて目が、ある一文の上で止まる。


『人間種は基本的に魔力器官を持たず、外界魔術の行使は不可能』


「……え?」

 思わず声が漏れた。もう一度読む。見間違いじゃない。

 人間は、生まれつき魔法を扱えない。風も、水も、火も。この里で子どもですら操るような術を、彼らは使えないのだと書かれていた。

 しばらく、無言でそれを見下ろしていた。


 頭の中で、あの夜の光景がゆっくり蘇る。振り下ろされた刃。血。倒れたルル。

 その相手が、魔法すら使えない存在だった。


「そんな……弱い生き物が……?」

 掠れた声が、闇へ落ちる。

 ずっと怖れていた。人間という存在そのものを、得体の知れない怪物みたいに感じていた。なのに記述を見る限り、人間はむしろ脆い側だった。


 なのにどうして。どうしてルルは死んだ。どうして自分は守れなかった。

 その答えへ辿り着いた瞬間、喉から乾いた笑い声が漏れた。

「……そっか」

 違った。人間が恐ろしかったんじゃない。自分が弱かっただけだ。

 こんな相手に。魔法すら使えない生き物に。ルルは奪われた。自分は届かなかった。

 頁の端が、くしゃりと歪む。

「……次は」

 静かな声だった。けれど、その目からもう迷いは消え始めていた。


――次は、私が殺す側になる。

 

 次の記録へ手を伸ばした。外界史――古代共同都市群に関する記録。

 開いた瞬間、目が止まる。


『古代外界都市の一部では、人間種と獣人種が共同で生活圏を形成していた記録が確認されている』


 読み進めると、種族間の技術共有、相互不可侵条約の締結。さらに記録には、奪い合うでも殺し合うでもない、人間と獣人が並んで生きていた都市の記述が続いていた。


 理解できなかった。

 人間と、共に?そんなものが、本当に存在したのか。

 眉が寄る。否定したかった。人間は危険で、愚かで、奪う存在でなければならない。そうじゃなければ、自分の憎しみの置き場がなくなる。


 それでも記録は妙に具体的で、複数の史料に跨って裏付けが重なっていた。

 その中に、ひとつの学院の名前があった。かつての理想を継いだ場所だという。


『リュミエール高等学院』


 指先が、ぴくりと止まった。

 知っている名前だった。前に見たあの古い冊子。大きな校舎の絵。見たこともない種族の生徒たち。

 あの場所が、こんな記録と繋がっていたなんて。


 それでも。

 記された言葉は、静かに問いかけてくるみたいだった。


――本当に、それだけなのかと。


 その瞬間、頭の奥で板戸が小さく軋んだ。

 さっきと同じ、丘の光景が一瞬だけ脳裏を掠める。

 反射的に頁を閉じる。


「違う」


 何を否定したかったのか、自分でもわからなかった。

 ただ、心のどこかがその記録へ惹かれてしまったことだけは、嫌なほどはっきりとわかっていた。

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