表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/16

XIV. 【3-5】「白い花の行き先」

 迷いの森へ続く細い道を、ひとりで歩いていた。

 踏み固められた土の感触も、木々の揺れる音も、昔と何も変わらないはずなのに、歩くほどに足が重くなる。

 風花ノ郷の境界。

 子どもの頃は、何度もここへ来ていた。


 森の向こうに何があるのか気になって仕方なくて、ルルを引っ張っては怒られていたのを覚えている。

『また外のこと考えてるでしょ』

『だって気になるじゃん』

『私は怖いよぉ……』


 そんなやり取りをして、結局いつも途中で引き返していた。

 あの頃は、それでよかった。

 けれど今は違う。


 立ち止まり、木々の隙間から覗く暗い森をじっと見つめる。

 その向こうには、人間がいる。あの夜、ルルを奪った存在が。


……行きたくない。触れたくもない。


 なのに、目を逸らせなかった。

 風が吹き抜ける。花弁が足元を転がっていく。


 目を閉じた。

 昔みたいな憧れは、もうない。


 それでも。

 それでも足だけは、自然と前へ向いてしまう。

 息を吐き、境界から視線を外した。

 そのまま、里の奥へ続く坂道を歩き出す。


* * *


 白い花が咲き乱れる小さな丘から、風花ノ郷を見下ろしていた。

 昔はルルとよく来ていた場所。風が気持ちよくて、昼寝をしたり、魔法の練習をしたり、くだらない話を延々として笑い合ったりしていた。

 けれど今は、人の気配がない。


 しゃがみ込み、一本、また一本と花を摘み取っていく。

 何も考えないようにしながら。

 ただ黙って。


 指先へ柔らかな感触が残る。

 昔、ルルが『この花好き』と笑っていたのを思い出した。

『なんかふわふわしてるから』

 そう言って、嬉しそうに花を抱えていた。


 その横顔が、不意に脳裏へ浮かぶ。

 手が、一瞬だけ止まった。


 けれどすぐにまた花へ手を伸ばす。

 白い花弁が指先へ重なっていく。


 空は青く、風は優しい。

 あの日と同じくらい穏やかな景色なのに、隣にはもう誰もいない。


 花を抱えたまま、丘を下りていった。

 何枚か腕の中から零れ落ち、足元を転がっていく。

 けれど拾おうとはしなかった。


* * *


 昼間だというのに、森の入口近くは薄暗く沈んでいた。

 そこは、人間たちと遭遇したあの場所。足が自然と、引き寄せられていた。

 少し離れた場所で立ち止まる。


 息が浅くなる。

 脳裏へ、勝手にあの夜が蘇ってくる。

 血の匂い。銀色の刃。ルルの叫び。腕の中で冷たくなっていった身体。

 喉の奥がきゅっと詰まり、思わず目を閉じた。


 来なければよかった。

 そう思うのに、足だけは逃げてくれない。

 しばらくその場で立ち尽くしたあと、歩き出す。


 草を踏む音だけが小さく響く。

 やがて、その場所へ辿り着いた。


 今はもう血の跡なんて残っていない。

 荒れた地面も、折れた枝も、時間が全部呑み込んでしまっていた。


 何もない。

 何も残っていない。


 なのにそこに、ルルが倒れている姿が見えてしまった。

『……よかった……無事、だね……』

 最後の声が、耳の奥で微かに響いた。


 指先から、花が一輪落ちた。

 抱えていた残りの花をそっと地面へ置いていく。

 一輪。また一輪。

 丁寧に。まるで壊れ物へ触れるみたいに。

 全部置き終わったあと、その場へ座り込んだ。


 何も言わない。何もできない。

 木々が揺れ、花弁が空へ舞い上がっていく。


 ただ、その景色をぼんやり見つめ続けていた。


* * *


 その日からだった。


 毎日そこへ通うようになったのは。

 朝になると丘へ行って花を摘み、あの場所へ向かってそっと置いていく。そうして座り込んだまま、ただ日が傾くのを待った。


 気づけば時間だけが少しずつ伸びていった。昼を越えても、夕闇が迫っても、そのまま動けなくなる日が増えていった。

 誰とも話さない。泣きもしない。ただ、そこに居続けた。

 次第に、誰も近づかなくなった。



 地面に手向けた白い花が、夕焼けに赤く染まっていく。

 それを見つめたまま、そっと目を伏せた。ここへ来ても、何も変わらない。

 何日繰り返しても、ルルは戻らない。声も聞こえない。笑ってくれない。隣へ並んでもくれない。

 残っているのは、自分の中の記憶だった。

 膝の上で、そっと拳を握る。


 もし。

 もしあの時、自分にもっと力があったなら。もっと業を扱えていたなら。もっと何かを知っていたなら。

 あの結末は変わっていたのかな。


 風が吹き抜ける。

 白い花弁が舞い上がり、夕焼けへ溶けるように消えていった。


 その光景を見つめながら、立ち上がる。

 拳を握り直して、そのまま歩き始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ