XIV. 【3-5】「白い花の行き先」
迷いの森へ続く細い道を、ひとりで歩いていた。
踏み固められた土の感触も、木々の揺れる音も、昔と何も変わらないはずなのに、歩くほどに足が重くなる。
風花ノ郷の境界。
子どもの頃は、何度もここへ来ていた。
森の向こうに何があるのか気になって仕方なくて、ルルを引っ張っては怒られていたのを覚えている。
『また外のこと考えてるでしょ』
『だって気になるじゃん』
『私は怖いよぉ……』
そんなやり取りをして、結局いつも途中で引き返していた。
あの頃は、それでよかった。
けれど今は違う。
立ち止まり、木々の隙間から覗く暗い森をじっと見つめる。
その向こうには、人間がいる。あの夜、ルルを奪った存在が。
……行きたくない。触れたくもない。
なのに、目を逸らせなかった。
風が吹き抜ける。花弁が足元を転がっていく。
目を閉じた。
昔みたいな憧れは、もうない。
それでも。
それでも足だけは、自然と前へ向いてしまう。
息を吐き、境界から視線を外した。
そのまま、里の奥へ続く坂道を歩き出す。
* * *
白い花が咲き乱れる小さな丘から、風花ノ郷を見下ろしていた。
昔はルルとよく来ていた場所。風が気持ちよくて、昼寝をしたり、魔法の練習をしたり、くだらない話を延々として笑い合ったりしていた。
けれど今は、人の気配がない。
しゃがみ込み、一本、また一本と花を摘み取っていく。
何も考えないようにしながら。
ただ黙って。
指先へ柔らかな感触が残る。
昔、ルルが『この花好き』と笑っていたのを思い出した。
『なんかふわふわしてるから』
そう言って、嬉しそうに花を抱えていた。
その横顔が、不意に脳裏へ浮かぶ。
手が、一瞬だけ止まった。
けれどすぐにまた花へ手を伸ばす。
白い花弁が指先へ重なっていく。
空は青く、風は優しい。
あの日と同じくらい穏やかな景色なのに、隣にはもう誰もいない。
花を抱えたまま、丘を下りていった。
何枚か腕の中から零れ落ち、足元を転がっていく。
けれど拾おうとはしなかった。
* * *
昼間だというのに、森の入口近くは薄暗く沈んでいた。
そこは、人間たちと遭遇したあの場所。足が自然と、引き寄せられていた。
少し離れた場所で立ち止まる。
息が浅くなる。
脳裏へ、勝手にあの夜が蘇ってくる。
血の匂い。銀色の刃。ルルの叫び。腕の中で冷たくなっていった身体。
喉の奥がきゅっと詰まり、思わず目を閉じた。
来なければよかった。
そう思うのに、足だけは逃げてくれない。
しばらくその場で立ち尽くしたあと、歩き出す。
草を踏む音だけが小さく響く。
やがて、その場所へ辿り着いた。
今はもう血の跡なんて残っていない。
荒れた地面も、折れた枝も、時間が全部呑み込んでしまっていた。
何もない。
何も残っていない。
なのにそこに、ルルが倒れている姿が見えてしまった。
『……よかった……無事、だね……』
最後の声が、耳の奥で微かに響いた。
指先から、花が一輪落ちた。
抱えていた残りの花をそっと地面へ置いていく。
一輪。また一輪。
丁寧に。まるで壊れ物へ触れるみたいに。
全部置き終わったあと、その場へ座り込んだ。
何も言わない。何もできない。
木々が揺れ、花弁が空へ舞い上がっていく。
ただ、その景色をぼんやり見つめ続けていた。
* * *
その日からだった。
毎日そこへ通うようになったのは。
朝になると丘へ行って花を摘み、あの場所へ向かってそっと置いていく。そうして座り込んだまま、ただ日が傾くのを待った。
気づけば時間だけが少しずつ伸びていった。昼を越えても、夕闇が迫っても、そのまま動けなくなる日が増えていった。
誰とも話さない。泣きもしない。ただ、そこに居続けた。
次第に、誰も近づかなくなった。
地面に手向けた白い花が、夕焼けに赤く染まっていく。
それを見つめたまま、そっと目を伏せた。ここへ来ても、何も変わらない。
何日繰り返しても、ルルは戻らない。声も聞こえない。笑ってくれない。隣へ並んでもくれない。
残っているのは、自分の中の記憶だった。
膝の上で、そっと拳を握る。
もし。
もしあの時、自分にもっと力があったなら。もっと業を扱えていたなら。もっと何かを知っていたなら。
あの結末は変わっていたのかな。
風が吹き抜ける。
白い花弁が舞い上がり、夕焼けへ溶けるように消えていった。
その光景を見つめながら、立ち上がる。
拳を握り直して、そのまま歩き始めた。




