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1-22 絶筆宣言

 高校の文芸部員の氷見凛は、「AIを超える小説が書けない」と突如筆を折り退部した。投稿サイトとSNSのアカウントを削除するほどの徹底ぶりに後輩の春山紬は驚いていたが、どうすることもできなかった。


 氷見と疎遠になってから一年以上過ぎたある春の日、春山は彼女のワンルームマンションを訪ねた。そこで春山はある小説を氷見に見せる。それは氷見の過去作をAIが盗作・改変したと思われる作品だった。


 不快感をあらわにする氷見に対して、春山は彼の姉がその作品に長文感想を書いた後から行方不明になっていることを話す。


 春山は氷見に姉を捜索する協力を依頼する。渋る彼女だったが、最終的には承諾する。そして、二人は氷見の小説を盗作・改変した人物に近づいていく。

「AIを超える小説を書けないことが分かった」


 氷見(ひみ)(りん)は合理的な女性だった。そう言い残すと、小説を書くことを止めて高校の文芸部を退部した。そして、それまで狂ったように投稿していた小説のサイトとSNSのアカウントを削除した。


 自分が小説を投稿していたという痕跡をこれほども簡単に消すことができる人間がいるのか。文芸部の一年後輩である春山(はるやま)(つむぎ)はそのことに驚いた。アカウントを削除すればネットだけで繋がっていた人たちとは切れてしまう。それまで比較的仲が良さそうにネット上で交流していた人たちのことを、もう興味が無いと言わんばかりにスパっと関係を断ち切ってしまった彼女の考え方を春山は理解しかねていた。


 春山が知っている限り、少なくとも五人はそのことを悲しんでいたが、数カ月も経つと誰も話題にしなくなった。春山はみんなが氷見のことを忘れてしまったように見えて少し寂しく感じたが、ネタも無いのに彼女のことを話題にしているわけにもいかないだろうと自分に言い聞かせていた。


 リアルな彼女のことを知っている春山に問い合わせが来たことがある。信用ができる人であっても彼女の個人情報を漏らすわけにはいかない。高校三年生になり学業が忙しくなったこともあり、春山も気がついたら小説サイトからもSNSからも距離を取るようになっていた。


 そんな春山が氷見に会いに行ったのは、彼女と疎遠になってから一年以上過ぎた四月の休日だった。揺蕩う昼下がりにワンルームマンションの自室に通された春山は、部屋の中心に置かれた小さなテーブルに視線を落としていた。出されたコーヒーを口にすると、いつも飲んでいるインスタントコーヒーとは別物であることがわかるほどの香りと味わいがあった。


「春山君は、カリキュラムに不安でもあったの?」


 氷見の言葉に春山は眉間を寄せる。コーヒーカップをテーブルの上に置くと、ゴクリと唾を飲み込む。


 春山はここに来た理由を説明していなかった。文芸部の時は、年次も性別も異なっているのにとても懇意にしてもらっていた。だが、ここ一年ほどは忙しくて連絡が取れていなかった。それなのに相談したいことがある。それだけの理由で、部屋にまで入れてくれた氷見の視線を受け止めることができない。コーヒーカップの縁をなぞるように視線を落としながら話し出すタイミングを図っていると、氷見が話を繋げた。


「学部も後輩になるんだよね」

「はい。基幹理工学部です。やはり、大変ですか?」

「通学が、ね。高校の時は歩いて通ってたから、電車通学には慣れなくて」

「勉強の方ですよ」

「首席を狙うなら厳しそうだけど、留年しない程度なら余裕かな。そんなに大学の不安があったの?」


 春山が顔を上げると、氷見はニコリと笑みを見せた。どう反応すればよいかわからずに、再び意味もなくコーヒーカップを持ち上げ口をつけて半分ほど飲む。心臓音が高鳴るのを感じながら、コーヒーカップをテーブルに置いて用意していた言葉を口にする。


「先輩は、もう、小説は書かないんですか?」

「書かない。もう、私の書く小説に意味はないから」

「それは新規性が無いからですか? でも、ミステリなら、新規性を出せるって昔言っていたじゃないですか。そのために、基幹理工に進学されたんじゃないんですか?」

「新しいテクノロジーを使ったギミックなら過去にはない作品が書けるって話ね。そうかもしれないけど、それだけじゃないんだよね。私が書くのを止めたのは」


 氷見は、ふぅ。と溜息をつくと、初めて春山から視線を逸らした。少しだけ柑橘類の匂いが漂う部屋は、全てが整理されていて片付けられている。春山の背丈ほどある書棚には、びっしりと書籍が並べられている。大学で使う教科書もあるが、二列ほどは小説の新刊だ。今すぐネット配信してもおかしくなさそうなほど整理整頓されていて、それが逆に生活感を消している。


「これを見ていただけますか?」


 春山はポケットからスマホを取り出す。ある小説サイトをブラウザで開いてから氷見に渡すと、受け取った氷見は一目見て眉を歪める。指先で何回かスマホをタップすると、彼女の表情がわずかに凍りつく。十分以上、春山の存在を忘れたかのように読み耽った後、わざとらしい溜息をつく。顔を上げると春山に今までとは違った厳しい視線を向けてくる。


「これは誰が?」

「先輩ではないのですか?」

「違う、私じゃない」

「以前に先輩が書かれた作品にとても似ているようです」

「それが、私が筆を置いた一番の理由だよ。読んでみた? この作品」

「はい。面白かったです」

「そうだろうね」


 氷見は唇を強く噤む。ギリギリと歯軋りの音が聞こえそうな頬の動きに、春山は固まってしまう。怒っているのかはわからない。ただ、不機嫌になっているのは間違いない。


「やはり先輩の作品のパクリですか」

「私の作品をAIを使って書き直した。証拠はないけどそうとしか思えない。それだけでも許せないのに、改変した作品の方が私が書いた作品より読者には面白いって思われるんだろうね。それが私が書くのを止めた本当の理由。AIより詰まらない作品しか書けない自分自身に我慢できなくなったのよ」


 氷見の声には苛立ちが混じっていた。AIにはこだわりがない。氷見のこだわりや内心で描きたかったものは排除され、面白さに取り替えられている。彼女が書いたのならば、絶対にこの作品のようにはならない。


「削除申請するんですか?」

「どうして?」

「でも、パクリですよね。先輩の作品の」

「それを証明する方法はない。それに、もう、私は書くことに興味はない」


 春山がわかりました。と頷くと氷見は以前より強い視線で春山のことを見つめてくる。


「まさか、このサイトを見せるためにここに来たわけではないよね」


 言われて春山は氷見のことを見つめ返す。そのままの状態で一呼吸してから本題を話し始める。


「実は、姉が先輩の作品のファンで、このサイトを見つけたのも姉なんです」

「私のファン? このAIで書かれたサイトのファンじゃなくて?」

「はい。少し前に知ったんですが、先輩が消す前の小説も読んでいたようです。『アヌビスは猫』ってハンドルネームで感想を書いていたようですが記憶にありますか?」

「済まない。もう、全部削除しているし覚えていない」

「気にしないでください。お話させていただきたいのは、こちらのサイトに書いている姉の感想のことです」


 アヌビスは猫が書いていた感想はかなりの長文だった。この作品が好きであること。以前に似たような作品を読んだことがあり、そちらはもっと好きだったこと。突如、アカウントが削除され悲しかったこと。が、つらつらと書かれており、もしかして、投稿者は同じ人物ではないか? との質問で感想は終わっていた。


「どういうこと?!」


 氷見はあからさまに不快感を示す。それもそのはず、その投稿者はアヌビスは猫の感想に対して、氷見のペンネームを騙って、「そうだ」と答えていたからだ。


「わかりません。ですから、ここに相談しに来たのです」

「なるほどね。非常に気分が悪い話だ」

「でも、それだけじゃないんです。姉が行方不明になっているんです。この感想の投稿を最後に。連絡が取れなくなってから二週間ほど経ちます」

「えっ?! それは大変だな。心中察するよ。それで、警察には行ったのかい?」

「はい。ですが、大学生なら春休みなんだろ。海外旅行にでも行っているんじゃないか。って相手にしてもらえなかったんです。ですから協力してもらいたいんです。先輩に。この投稿サイトの先輩を名乗っている人物を捕まえるために」

「どうして私が? もし誘拐事件だとするならば犯罪だよ。しかも、かなり重い。一般小市民が首を突っ込むような話じゃない。やはり警察に任せるべきだよ。何としても」

「ですが、警察は動いてくれませんでした。新学期が始まって、それこそ行方不明になってから一カ月もすれば真剣に聞いてもらえるようになるかもしれませんが、それでは遅すぎます。それに先輩は、俺のお願いを断りませんよね」

 

 春山は視線を本棚の方に移した。そこに何冊も並べられている新刊はミステリー作品がメインだ。もう、書かないと言っていた氷見は、物語を読むことは止めていない。


「……やれやれ。ずるい言い方をするよね。君は」


 春山は足を組みなおして正座をする。真摯な眼差しで氷見のことを見つめ続けていると、氷見は面倒くさそうに手に持っていたコーヒーカップをテーブルの上に置く。立ち上がると、彼女は春山に背を向けて小窓を開けて空気を入れ替える。すると、遠くから近くの建物で反響した救急車のサイレンが聞こえてきた。


「計画を教えてくれるかな。君のお姉さんを見つけるための」


 クルリと振り返った氷見の言葉に合わせて春のそよ風が部屋の中に吹き込んできた。カーテンがそよそよと揺れると、淡い光がテーブルの上まで伸びてくる。春山は立ち上がった。彼は再び柑橘類の匂いを感じながら、氷見に見せるために持ってきたスマートフォンの画面を開いていた。

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