1-17 旦那様、媚薬効果のある魔物の肉を食べてはいけません!
「エルセ、私が君を愛する事は無い」
伯爵家の令嬢・エルセは、辺境伯領の次期当主・ラーファエルと結婚したその日にそう言われた。
エルセには男癖が悪いなどの噂が流れており、ラーファエルはその噂を信じているのだ。
初夜を拒否されたエルセは、それでも笑顔を作ってやり過ごす。
翌日、使用人にも冷たくされ粗末な食事しか与えられなかったエルセは、森へと向かう。
なんとエルセは、空腹を満たす為に森に住む魔物を食べようとしたのだ。
無事魔物を狩り、森で魔物の肉を頬張るエルセ。そんな姿を偶然森に来たラーファエルに見られてしまう。
そして手違いにより、なんとラーファエルは媚薬効果のある魔物の肉を口にしてしまった。
様子のおかしくなったラーファエルは……。
魔物の肉を食べる逞しいエルセと、そんなエルセに絆されていくラーファエルのラブストーリーが幕を開ける!!
「エルセ、私が君を愛する事は無い」
結婚初夜であるはずの今、私エルセは夫となるラーファエル様にそう告げられた。ランプの灯りだけが照らす薄暗い寝室の中に沈黙が流れる。
私は、侍女達に身体を磨かれ、香油を塗りたくられ、体のラインが丸見えの薄い夜着を着ている。ここまで準備万端なのに夫にそんな事を言われれば、普通は怒るか嘆くのでしょうね。
でも私は、ベッドの縁に腰掛けたままニッコリ笑うとラーファエル様にこう答えた。
「承知致しました、旦那様。では、初夜は行わないという事でよろしいですね?」
ラーファエル様は、少し目を見開いた後、落ち着いた声で言う。
「ああ、その通りだ。君は以前、婚約者がいるにも関わらず他の男と逢瀬を重ねていたそうだな。そして、浮気がバレると開き直って婚約者の悪口を言った。そしてとうとう婚約者に愛想を尽かされたとか。そのような性格に難のある者と心を通わす事は出来ない」
「いや、それは私の妹がですね……」
「妹のせいにする気か。見下げ果てた女だな。……私は自室に戻る。君は一人でここに寝ると良い」
そう言うと、バタンとドアを閉めてラーファエル様は部屋を出て行った。
一人取り残された私は、小さく溜息を吐く。覚悟はしていたけれど、やっぱりラーファエル様も他の人と同じ。私の話など聞く気が無いんだわ。
私は、一人ベッドに横になると、今までの事を思い出していた。
今から十一年前、私が八歳の時。私のお母様が病気で亡くなった。お父様は、自分の妻が亡くなってすぐだというのに後妻を迎えた。その後妻には連れ子がいて、年齢は私より二歳年下の六歳。
妹は、始めこそしおらしく「宜しくお願い致します、お義姉様」などと言っていたけれど、段々と我儘を言うようになった。
今まで平民として母親と二人で暮らしていたのに、急に伯爵家の当主が自分の父親になったのだ。浮かれてしまうのも仕方ないのかもしれない。
妹は、私の持ち物を何でも欲しがるようになった。お菓子、ドレス、アクセサリー。私は、あらゆる物を妹に譲らされた。
お気に入りのドレスだからあげたくないと私が言っても、両親は「お前はお姉さんなんだから優しくしなさい」と言って取り合ってくれなかった。
それどころか、妹を虐めた罰として食事を抜かれたり腕を叩かれたりして、終いには私を屋根裏部屋に追いやった。
私が十二歳になり、同じ伯爵家の令息と婚約が決まると、妹はその婚約者も狙ってきた。数年かけて私の婚約者を篭絡し、私が浮気をしていると事実無根の話を吹き込んだ。
いや、確かに夜会で他の男性と笑顔で話した事はあったわよ? でも、二人きりでは無いし、その男性は大富豪の息子さんだったから、無下にするわけにはいかなかったのよ。
私が懸命に事情を説明しても、婚約者は私の事を信じてくれなかった。「お義姉様が浮気している」「お義姉様があなたの悪口を言っていた」という妹の言葉だけを信じた。
そんな事があり、私はとうとう婚約破棄された。両親は、傷物となった私をどうにか厄介払いしようとした。でも、婚約破棄された時点で私は十九歳。今から新しい縁談を見つけようとしても、悪評のある私に良い縁談などあるわけが無い。
そんな折、この国――ヴィティ王国の北方にあるヴァハラ辺境伯領の次期当主が配偶者を探しているという噂が流れるようになった。
次期当主、つまりラーファエル様は、私より二つ年上の二十一歳。サラサラの短い銀髪にスカイブルーの瞳を持つ美丈夫だ。それなのに今まで婚約一つ纏まらなかったのには訳がある。
ラーファエル様は腕の立つ魔術師で、北方に住む魔物を魔術で容赦なく屠っていく。それだけなら良いのだけれど、彼は貴族同士の付き合いに興味が無い。
王城で開かれる夜会に軍服のまま登場し、令嬢達をドン引きさせたという。いや、軍服そのものはいいのよ? 殿方の仕事着は女の子をときめかせるものだから。
問題なのは、軍服に倒したばかりの魔物の返り血が付いていた事。白い軍服に鮮やかな赤色が散っていて、卒倒する令嬢もいたとかなんとか。
そんな感じでラーファエル様には婚約者がいなかったわけだけれども、それに私の両親が食いついた。
「伯爵の位を授かっているのに後継ぎが作れないのではお困りでしょう。うちのエルセなんてどうです? 傷物ですが、持参金を沢山持たせますよ」
という旨の事をもっと丁寧な言葉で言い、縁談を纏めてしまった。ラーファエル様は断りたかったけれど、現当主である彼の父親が強引に縁談を進めた為、結局婚約が決定。
心変わりしない内にとうちの両親が正式な結婚を急かし、今に至る。
旦那様に嫌われるなんて前途多難だ。でも、今までも家族に嫌われながらなんとかやっていけたんだもの。ここでもきっと何とかなる。そう前向きに考えながら、私はゆっくりと目を閉じた。
◆ ◆ ◆
翌朝。私は目を覚ますと、ゆっくりと身体を起こした。昨日は私に与えられた自室じゃなく夫婦の寝室で寝てしまった。夫はここにいないのに。
まあいいかと思い、私は赤いガウンを着て廊下に出る。私の長い赤毛に合わせたわけでは無いと思うけれど、このガウンは気に入った。
二階にある廊下を歩いていると、この屋敷の家政婦である中年女性を見かけた。私は、ニッコリ笑って声を掛ける。
「おはよう。確か、あなたの名前はハンナマリだったわね。起きるのが遅くなってしまったけれど、ラーファエル様の妻としてどう家を取り仕切れば良いか教えてもらえると助かるわ」
ダークブラウンの髪をアップにした家政婦は、私の方をジロリと睨むと冷たく言い放った。
「して頂く事などございません。食堂に朝食を用意させますので、どうぞそちらに。……最も、奥様が起きるのが遅うございましたから、スープは冷めているかもしれませんが」
……うわあ。嫌われてるなあ。きっと、ハンナマリにも私の悪評が伝わっているんだわ。
「……そう。ありがとう、食堂に行くわ」
そう言ってハンナマリの元を通り過ぎた私だけれど、不意に金属音が聞こえた。廊下にある窓から外を覗くと、眼下には綺麗に手入れされた庭がある。
そして、その庭では、ラーファエル様と騎士らしき男性が剣の稽古をしていた。ラーファエル様程の腕前なら、剣術を習わなくても魔術で魔物を退治できるのだろうけれど、備えあれば憂いなしという事だろう。
汗をキラキラと飛び散らせ、銀色の髪を靡かせながら剣術の稽古に勤しむラーファエル様。そんな彼の真剣な様子を見て、私は思わず呟いた。
「……真面目なのね……」
すると、いつの間にか私の背後にいたハンナマリが淡々と言う。
「若旦那様は、領民の事を大切に思っていらっしゃいます。常々、『領民を魔物から守る為に出来る事はしておきたい』とおっしゃっておりました。ですから、あのように剣の稽古に励んでおられるのです。我々使用人は、若旦那様に幸せになってほしいと思っております。若旦那様の奥様には、しっかりと若旦那様を支えて頂きたいのです」
……ああ、だから、ハンナマリは私に冷たいんだ。悪評のある私が大切なラーファエル様をきちんと支えられるのかどうか、不安なんだ。
私は、フワリと笑ってハンナマリに答える。
「あなたのような家政婦がいて、ラーファエル様は幸せ者ね。いつか私もあなたに信用されるようになりたいわ」
ハンナマリは一瞬目を見開いたけれど、無言でその場を後にした。
その後私は食堂で朝食を取り、自室に戻った……のだけれど、正直お腹は満たされていない!
ハンナマリ以外のメイドや料理人も私の悪評を信じているらしく、私への扱いはぞんざいだ。
固い小さなパンに少量の萎びたサラダ。もちろんスープも冷めていて、食欲旺盛な私には物足りなさ過ぎる。
自室のベッドに寝転がりながらどうしようかと考えていたけれど、ふと思い付いてガバリと身体を起こす。
そうだ、外に出てみよう。
赤いフワフワ毛皮のコートを着て外に出ると、冷たい空気がピリリと私の肌を引き締める。鉛色の空からはチラホラと雪が降っていて、私が吐いた息はホワリと白くなっていった。
馬を自由に使う事は許されている。私は、馬小屋から黒い馬を一頭借りると、森の方へと馬を走らせた。
空気は冷たいけれど、風を切る感覚が気持ち良い。乗馬を嗜んでいて良かった。
そして森の中で馬を降りた私は、針葉樹の間をゆっくりと歩き始めた。何の変哲もない誰もいない森。でも、私の予想が正しければ……。
不意に、グルルルという唸り声が聞こえた。手綱を握ったまま私が振り返ると、そこには数匹の狼がいた。ただの狼ではない。
灰色の毛を生やした大きな狼。その瞳は鮮やかな赤だった。聞いた事がある。これは「灰色の悪魔」と呼ばれる魔物だ。
私は、こちらをジッと見る狼を見つめ返し、呟いた。
「……なんて美味しそうなの」





