1-16 女童ちゃんはみていた!
すずめは、個性豊かな四人のお姫様に仕える掛け持ち女童。いつもあっちへこっちへ御用聞きでおおわらわ。ぷくぷくほっぺもげっそりしそう。世間を見てきなさい、と保護者の言いつけどおりにがんばっていたのだけれど……見なくていいのに「見てしまった」。
取り柄は「真心」。女童すずめが困って困ってくらくら〜としつつ走りまわる平安王朝風絵巻。
真っ白な月が落ちてしまいそうなほど大きく見える夜でした。
すずめは裸足でペタペタと廊を歩いていました。ねむくてねむくて、目元をこすりながら寝所に向かっていました。
――と。
ガサッ、と茂みが動く音を聞き、立ち止まります。
廊の外側は広々とした庭園でした。月明かりがぼんやりと木立を照らしています。奥の池は月を砕いたような不気味な光を宿しています。
すずめのふくよかでちいさな体が、ぶるる、と震えました。
すずめはただの女童です。あやかしに出逢ってしまったらひとたまりもありません。
ああ、でも……もしも盗人が近くにいて、この邸の者を――姫さまを狙ったらどうしよう。
すずめはごくりと唾を飲みました。もちもちほっぺも固まります。
トン、トン、トン……。様子を見ようと近くの階を一段ずつ、慎重に降りていきますと。
「ぎゃっ!!!!」
「たす、たすけてくれ……!」
なんと、すずめの足首を掴む人影がありました。すずめの体はずるんと滑り、背中から階の角にぶつかります。痛い。声も震えます。
「だ、だれですか! 忍び込んだのですか! ここはすずめがお仕えする方のお邸です、わ、悪いことはすずめが許しませんっ!」
「あ、だ、だめ、だめだ。大きい声は困るっ」
慌てる相手はあやかし――ではなく、すずめより大きな体をした男でした。彼は地べたを這いずりながら己を指差しました。
「ぼ、僕だ! この顔を見て、思い出せないか」
言われてすずめは薄闇の中、目を凝らします。
女好きしそうな優男で、少し気弱な眉毛がありました。狩衣は土埃で汚れていますが、上等なものです。
たしかにすずめは、その男に見覚えがありました。
しかし、こんな夜に、彼がこの邸にいる理由がわからなかったのです。
「どうか、頼む……! 君なら事情もわかるだろう……!」
男は立ち上がると土に塗れた両手ですずめのちいさな肩を揺さぶってきます。
「あの四人の姫たちをなんとかしてくれないか……!」
すずめは、まんまるに目を見開いた後――くらくら〜とめまいを感じたのでした。
事件を語るには、時を少しばかりさかのぼる必要があります。
ある日のこと――すずめは皆姫さまのお邸にやってきました。
皆姫さまは、すずめがお仕えする姫君のひとりです。
顔を見せると、自室で愛猫を撫でていた皆姫さまが、すずめちゃんね、とふわふわとしたほほえみを浮かべます。
「ちょうどいいところに来たわ。すずめちゃんの意見も聞きましょう」
皆姫さまの前には色とりどりのたくさんの反物が広がっていました。
皆姫さまがすずめを手招きするので、すずめも近くに寄ります。皆姫さまが目配せすれば、さっと近くにいた女房たちが後ろに下がりました。
皆姫さまが見ているのは、金糸や銀糸で刺繍された濃い色の反物ばかりでした。
「きれいです」
すずめは素直に感嘆しますが、淡くほほ笑む皆姫さまと見比べると疑問が湧いてきました。
――いつも着ている衣とちがう……。
皆姫さまにはもっと優しい色が似合うのに。
「……これは、皆姫さまが着られるのですか?」
「もちろん。そのために取り寄せたのですから。ねぇ、どれがよさそうかしら?」
すずめは反物たちを丹念に眺めるも……観念して、伝えます。
「すずめは……もっと皆姫さまにお似合いのものがほかにあるように思いました」
「それはどうして?」
皆姫さまの、膝の上の愛猫を撫でる手が止まります。責める様子もなく、尋ねられました。
「衣は人を引き立てるものだとおばから教わりました。皆姫さまのやわらかな人柄を、強い色で固めてしまうのはもったいないと……いえ、これはすずめの好みではあるのですが」
皆姫さまがほほえみながら、さらに言います。
「あなたにはそう見えるの? よく泣いてる優柔不断な男狂いではなくて?」
――そういう評判があることも、すずめは知っています。
実際に、皆姫さまは恋多き方でした。
「……正直、皆姫さまが男性に入れ込んでしまう心情はいささかはかりかねる部分があるのですが」
「あら、すずめちゃんも言うわね」
やわらかな目に、すっとよぎったかなしみの色。言いすぎたとすずめは思います。
「ですが……皆姫さまは目下の者にもお優しく、情の深さがございます」
「……お菓子もくれるし?」
「……それも否定しません」
嘘をつけないすずめはうろうろと視線をさまよわせます。皆姫さまがくださるお菓子はとてもおいしいので。
皆姫さまは、ころころと笑いました。
「素直でよろしい。……ふふ、恋しているとね、生きている甲斐が出てくるの。いつか、すずめちゃんにもわかるわ」
――皆姫さまには、新しい恋人がいるんだ。
ふとすずめの勘が働きます。きっと、その相手は派手な衣が好きなのでしょう。
皆姫さまの膝にいた猫が、いつのまにかすずめの膝のあたりで茶色い頭をこすりつけていました。すずめが撫でてやると、ごろごろと甘えたように啼き、尻尾をくねらせます。
皆姫さまの目が細くなりました。
「……別の反物を持ってきてもらいましょうか」
控えていた女房たちがざわつきました。彼女たちにとっても皆姫さまの発言は予想外だったのでしょう。
「よく考えたら好みではないような気がしてきたの。また一から考えましょう。……ね?」
最後の一言は、女房たちへ聞こえるように。女主人の宣言に抗う者はいるはずもなく、彼女たちは同意するように頷きました。
「……さぁ、小丸。こちらへいらっしゃい」
皆姫さまは腰を上げると、すずめの傍にいた愛猫をひょいと抱え上げようとして。
「あっ」
短い悲鳴は皆姫さまのものでした。つぶらな瞳の茶猫が、何を思ったか、皆姫さまの手をするりと避けたのです。とっとっと、と軽快な足取りで御簾をくぐり抜けていきました。あっという間に外へ抜け、見えなくなります。
「あらぁ……」
皆姫の反応はのんびりしたものです。
「……探して参りましょうか」
すずめが尋ねると、ええ、お願い、と皆姫は答えました。
「いつものように少し遊びに行っているだけだと思うから……気が向いた時でいいわ。そうね……今日のお菓子を、食べた後にでも」
皆姫が言うのと同時に、女房のひとりが朱塗りの高杯をしずしずと持ってきました。その上に、香ばしい色をした揚げ菓子がありました。
すずめの口元が緩みます。その揚げ菓子が、ほっぺたが落ちそうなぐらいにおいしいことを知っていたからです。
「さあ、すずめちゃん。お食べなさいな?」
皆姫さまに促されたら、その甘美な誘惑に抗えるはずもないのです――。
皆姫さまは、すずめがお仕えする姫君の中で、一番「甘い」お方です。
次にすずめは、皆姫さまの猫を探しつつ、桐姫さまのお邸に行くことにしました。桐姫さまは尊い血が流れるお姫様です。すずめはこまめに顔を出すようにしていました。
桐姫さまは、古いお邸で、数少ない家人とひっそり住んでいらっしゃいます。
「ばあやっ! わたくしは返事なんてしませんから! いまさらのことです!」
くたびれた門をくぐってすぐに桐姫さまのとがった声が飛んできました。
いつものだ。今回の理由はわからないが、怒っていらっしゃる。
すずめは慌てて母屋へ走ります。
その間にもどたん、ばたん、とたくさん物が落ちる音が聞こえます。老女のくぐもった声もします。
「姫さま、よくお考えください……。縁がふたたびつながれば、この家にとってまたとない……」
「いや! いやいやいやっ!!」
桐姫さまの室は、案の定、物が散乱しています。その中心に、黒髪を振り乱して怒り狂う桐姫さまがいました。
桐姫さまは筆を掴んで投げます。老女のいない方向を狙ったであろうそれが、たまたますずめの近くに落ちました。そこでやっと、桐姫さまはすずめが来ていたことに気づいたようでした。
あ、と口がちいさく開いて、一瞬の罪悪感が表情に浮かびました。けれどすぐに不機嫌の仮面に覆われます。
すずめはその場で膝をつき、ひれ伏しました。
「すずめが参りました。御用がありましたらうけたまわります」
「……お前、来たのね。用なんて、ないわ……」
すずめがそっと顔をあげますと、つんと顎をあげる桐姫さまがいました。
周囲は嵐の通り過ぎた後のようです。老女ひとりでも片付けるのは難儀でしょう。
「でしたらすずめはお掃除します。ほかに御用ができたらおっしゃってください」
桐姫さまは何も言いません。
桐姫さまの無言は「それでいい」ということなのです。
すずめはそろそろと立ち上がり、老女とふたりでせっせと物を元の場所に片付けはじめました。
桐姫さまは御簾が張られた外を眺めて、ずっと厳しい顔をされています。
途中、老女が腰が痛いと言い出したので、すずめは老女を休める場所に連れていき、また桐姫さまの元に戻ってきました。
「お前……戻ってくるのが、遅いわ。……しばらくは、ここにいるのでしょう?」
「はい」
また片付けに戻りながらすずめは答えます。桐姫さまは膝の上で拳を強く握っておりました。
「なら……書を、やるわ。準備をしてちょうだい」
「……はい!」
すずめは張り切りました。桐姫さまの書く文字はとてもうつくしく、すずめは真剣な面持ちで紙に向かう桐姫さまが大好きなのです。
「お前がよろこぶの。……変な子ね」
桐姫さまの表情もやっと、少しほぐれていったようでした。
桐姫さまは、気性が激しく……でも、とてもさびしがり屋なお方です。





