1-14 特区零九の電設士
「それは奇跡じゃない。ただのバグだ」
都市の最下層、特別区分『零九』。そこには失ったものと再会できるという『伝説』が眠る。
かつて一度死に、都市の電力で心臓を動かす『生き治し』の電設士・ニシ。戸籍を奪われ、都市の「消耗品」として生きる彼のもとに、死んだ愛犬に会いたいという能天気な青年・コウキが訪れる。
導くのは、かつて師匠サコと共に都市の膿を逃がすために縫合した、呪わしいバイパス回路。
人々の想念が漏れ出した「伝説」を、職人の「電設」が切り裂くとき、ニシは師匠すら教えなかった禁忌の結線へと指をかける。
偽りの再会が崩壊し、都市が断末魔を上げた瞬間、ニシの止まっていたはずの心臓が、ノイズと共に再び激しく拍動し始める――。
都市の最下層、特別区分『零九』。ここにある回路を繋ぎ直せば、死んだものに会えるという。螺旋の階段に響く二人分の足音が、底なしの暗がりに飲み込まれた。ヘッドライトの揺らぐ輪の先に、徐々に密を増す配線が浮かび上がる。背後を歩く青年がだしぬけに話しかけてきた。
「なぁおっさん。ほんとに道、合ってんの?」
疑念を感じさせる声音であった。振り向きもせず私は答える。
「おっさんじゃない。ニシだ」
それをどう受け取ったか、青年が声を弾ませた。
「はーい! おれはぁ、コウキって云いまーす!」
軽い口調だ。返事はせず歩みを進める。響く足音はやがて気泡コンクリートの壁面に吸い込まれ、ライトが配電盤の群れを照らし始めた。コウキの息を呑む気配が空気を震わす。
「……おっさんさ、電設士になろうと思った切っ掛けは?」
「ニシだ」
私は足を止めコウキを振り向いた。ライトに浮かんだ、眩しさに目を細める顔には幼さが残る。電設士になった頃の自分を、少しだけ思い出した。
「で、ニシさんはどして電設士になったん?」
「……覚えちゃいない。一度死んだ人間は、物覚えが悪くなるらしい」
冗談のつもりはなかったが、コウキは引きつった笑いを浮かべ沈黙した。
私は自分の左胸に軽く手を当てる。そこにあるのは鼓動ではない。三十年前に師匠に叩き込まれた、都市の電圧と同調して刻まれる不自然な規則性だ。無言でコウキを促し先を進む。目指す場所はもう間もなく。密度を増した配電盤を横目に、私は更に下層を目指した。壁の向こうから聞こえるノイズ。処理しきれないデータの奔流が引き起こす共鳴音が耳鳴りのように鼓膜にまとわりつく。
コウキの軽口も止まり小一時間。その配電盤は、まるで巨大なかさぶたのように壁にへばりついていた。
湿った地下の空気がオゾンの匂いと混ざり合い、肺の奥をちりちりと焼く。私の右手には、絶縁被覆の剥げた古い圧着ペンチが握られていた。使い込まれた真鍮の柄は、私の体温を吸い取ってぬらりと光る。
「ここにある回路を繋ぎ直せば、もう一度アポロに会えるんだって!」
私の背後でコウキが声を上げる。その首筋で流行の発光タトゥーが躍る。
私は無言で、ペンチの先を複雑に絡み合った配線の束へと差し向けた。指先に伝わるのはあの頃と同じ、拒絶するような微かな振動だ。
「アポロはさ、おれがガキの頃から一緒に暮らしてたんだ」
――今だって充分ガキじゃねぇか。
私は心の中で吐き捨てる。コウキが懐から取り出した携帯端末、そこから浮かび上がる雑種犬のホログラムが青白い光を投げかけていた。市議の息子という太い客でなければ、こんな仕事を引き受けるはずもなかった。
まるで無理な縫合を繰り返した傷跡のような配線を手繰る。かつて私と師匠がこの都市の『膿』を逃がすために無理矢理バイパスさせた呪わしい電設の成れの果てを、いま私はどんな思いで触れればよいのだろう。
深く差し込んだ指先の感触が記憶の蓋をこじ開ける。三十年前、師匠の隣で初めてこの回路に触れたときにも――
「危ねぇ! もってかれるぞ!」
重なり合う配線に手首まで絡め取られ、感電に肩を震わす私を師匠が横蹴りにした。絶縁ブーツの靴底が鳩尾に食い込み思わず身体をくの字に折る。真新しい圧着ペンチを握る手が強張り小刻みに痙攣した。
「迂闊に触んな!」
蹲る私に師匠、『サコ』の怒声が降る。電設士として働き始めたばかりの私が見上げた先、そこでは壁一面を埋めた光ファイバーが生き物のように脈動していた。高電圧が空気を震わせる。このとき既に、都市のシステムは肥大化しあちこちで想念のノイズ、処理できない余剰データが熱を持ってショートを起こしていた。サコが配電盤を撫でる。その指先は絶え間ない微弱の感電の結果、常に微かに震えていた。
絶縁体となった私が感電死する可能性は限りなくゼロであったにも関わらず、蹴り倒されたことに対する幾ばくかの恨みを込めてサコを睨む。
「テメェの心臓は都市の贅肉を食っちまう。これ以上は生き治せねぇぞ!」
私は一度死んでいる。心臓は止まったまま、都市の電気で動いている。私のようなものは『生き治し』と呼ばれ、唯一残されるのは『ニシ』という名前のみ。それが私がかつて人間であったことの証明だった。市民IDは剥奪され、居住権は『倉庫の使用許可』として発行される。私はもはや人間ですらなく、都市を維持する『消耗品』というカテゴリーに分類されていた。
そんな私に手を差し出しつつ、サコが言葉を続ける。
「これはな、ただの配線じゃねぇ。この街が深呼吸するための毛細血管だ」
サコは、都市そのものをまるで我が子のように慈しんでいたのだと思う。
頭上のケーブルが重苦しく垂れ下がる狭いダクトの中で、背中を熱せられながら私はひたすらに這い回った。指先の爪の間に、グローブを突き抜けた導線の破片が刺さる。そうやって設計図には残されない複雑な結線を、私はサコに手伝わされた。
「電気をただのエネルギーと思うか? こいつはな、人の想いが漏れ出したノイズの集積なんだ。放っておきゃ膿みてぇに腐っちまう。儂らの仕事は、これをうまいこと放電させてやることよ」
いつかの休憩時、ミートサンドを頬張りながらサコはそう云っていた。
「テメェはまだガキだし生き治しだ。儂が老いぼれた後もこいつの面倒をみてやってくれ」
私の都合など聞きもしない。
生き治しの寿命がどんなものなのか、生き治した後に死んだものがまだ存在しないため、わからなかった。完全に停止した心臓が都市から放出される電気を拾い再び動き始める。そうして生き治したものは戸籍上は死亡抹消済みとなる。私の仕事の対価は給与ではなく『都市設備の維持費』。私たちは、この都市に備え付けられた単なる設備なのだ。
都市から離れて生きることの出来ない私は、都市機能を維持するため電設士となった。これはいわば自分のためだ。サコに云われるまでもなく、私は私を生かすために、ダクトを這い回り配電盤に張り付くしか道がないのだ。
都市の全データを循環させるだけの、終わりのないループ回路。そこから漏れ出る微弱な電磁波が人々の脳に直接『幻覚』を見せ始め、時を経てそれがいつしか『伝説』として一人歩きを始めた。
「……何が伝説だ。こいつは単なる漏電だ」
ひとりごち、私はペンチに力を込める。ぱちりと導線の切れる手応え。それを正しい方向へと繋ぎ直す。背後の青年に急かされ、私は忙しなくペンチを動かした。伝説とやらの通りに繋げば、彼は一時的な多幸感を得てアポロに会えるだろう。ふと、私は手を止めた。
「……なぜアポロに会いたいんだ?」
その問いに、私の手元を真剣に見つめていたコウキがパッと表情を明るくした。
「聞いてくれる? アポロとおれのメモリー」
コウキが堰を切ったかのように話し始めるのを聞き流し、私は手元を確認した。
一箇所だけ結線されていない端子がある。これは教えられていない。サコが私にも秘密で仕込んで置いたのだろうか。
「アポロがリニアに驚いて逃亡したことあってさ。ひっどい雨降りだったんだよなぁ。見つけた時にはぞうきんみたいな臭いしてさ」
コウキがうっとりと宙を見つめ話し続ける隙に、私は結線を仕上げた。ビリビリと空間を震わせ配電盤が発光する。頭の中でパチリとスイッチが切り替わり、視界が急激に冴える感覚。空気中の粒子がぎゅっと密度を増し、次に瞬きをした後には尻尾を振り回した雑種犬が姿を現した。
「アポロ! マジかよアポロ!」
愛犬を抱きしめ涙を流す青年を見下ろし、私は呟く。
「それは奇跡じゃない。ただのバグだ」
配線に右手を差し込む。たった今、繋いだばかりの配線を撫でた。サコに託されたのは伝説を全うすることではないのだろう。都市そのものを放電させることだったのではないか。
ペンチを差し込み放電のための逃げ道を塞ぐ。サコも教えてはくれなかった禁忌の結線。生き治しの私にはそれがわかる。摘まんだ導線を捻じ切るとパッと火花が散り、回路が私の体温を吸い取っていく。それは願いを叶える伝説ではなく、都市そのものが断末魔のように悲鳴を上げた瞬間だった。ぐにゃぐにゃに歪んだ雑種犬の輪郭が、コウキの腕の中で形を保てず崩れ落ちた。
「え?」
コウキの間の抜けた声が響く。私の指先が師匠と同じように微かに震えていた。
都市が、私の心臓を叩いている。





