1-12 王太子が偽物と入れ替わっていることに、俺だけが気付いている
王太子リチャードが何者かと入れ替わっていることに気付いたのは、従者のジョセフただ一人だった。
十年来仕えてきた彼だからこそ見抜けた、僅かな癖の違い。
しかしジョセフの正体は、王国に滅ぼされた亡国の末裔であり、戴冠式で王太子を暗殺する復讐者でもある。計画を進める中、偽の王太子は晩餐会で反逆者狩りの“ゲーム”を始める。
冷酷かつ聡明に貴族たちを追い詰めるその姿に、ジョセフは混乱する。
殺すべき相手は本物か、偽物か。
復讐と真実の狭間で、彼の選択が王国の未来を左右する。
従者が朝一番に行うことと言えば、主人の起床の支度の補助及び、体調の把握である。
「おはようございます、リチャードさま」
「おはよう、ジョセフ」
窓から朝日が差し込む寄宿舎の一室にて。
目覚めたばかりの主人リチャードと、従者ジョセフは朝の挨拶を交わした。
「本日は夜の十九時から晩餐会があります。お忘れなきように」
性別、男性。年齢、十七歳。身長百八十センチ。座高九十三センチ。足長三十センチ。体重七十一キロ。
「私が主催した晩餐会だぞ? 忘れる訳ないだろう」
リチャードは寝起きとは思えないほど爽やかな笑顔を浮かべ、ベッドから降りた。
肌色、良好。金髪、艶やか。碧眼、クリア。気品、高い。作法、完璧。
「そうだ、今日の香油はベルガモットにしよう。あの子爵の三男坊が貢いできたやつだ」
「献上、とおっしゃった方がよろしいかと」
ジョセフはリチャードが脱いだ寝巻きを受け取り片すと、戸棚を開き指定の香油瓶を手に取る。
口調、尊大。機嫌、良し。記憶、齟齬なし。
「賄賂と言った方が一番しっくり来るだろう。香油一つで私に何を融通して欲しいのやら」
「ただ親しくなりたかっただけ、とも考えられますが?」
「ハンッ! ないな。私という厄ネタに近寄ってくるのは下心があるやつか、常識外れな変人だけだ!」
そう豪語する彼のフルネームは、リチャード・レイヴンズクロフト。ここランテレス王国王太子だ。
王立学園最上級生(※三年生)。学年首席。生徒会長。現在、寄宿舎入寮中。同室相手は同い年の従者ジョセフ。
(……脈拍、変化なし)
ジョセフは香油をリチャードの手首に塗りながら、密かに――心拍数を図っていた。
◯
「リチャード殿下、おはようございます!」
「おはよう、三男坊」
朝八時。
リチャードは学園の廊下でクラスメイトと顔を合わせていた。今朝使用した香油を贈った、子爵家の三男坊だ。
ジョセフはリチャードの斜め後ろでじっと三男坊を観察する。
(子爵は近年、王国へ伝来した『新種の煙草』で得た財で購入した地位。歴史は水溜まりよりも浅い。その子息の教育もさもありなん。王立学園への入学も金に物を言わせたという噂があるが、果たして……)
三男坊の社交性は、はっきり言って皆無だ。
しかし最高学年にあがっても人脈を得られていないことに焦ったのか、親にせっつかれたのか、こうして度々リチャードへ接触してきていた。
「殿下っ! 来月は野営訓練がございますが、チームメンバーはお決まりでしょうか!? その、まだでしたら是非、僕がお供を……っ!」
「それより、何か気が付かないか?」
「……はい?」
野営を介し露骨に擦り寄ろうとしている三男坊の発言を無視し、リチャードは腰に手を当て語気を強めて問いかける。
「何か、気付かないか?」
だが三男坊は戸惑うばかりで何も答えない。
リチャードは失望を孕んだ溜め息を吐いた。
「もういい。ジョセフ、行くぞ」
「はい」
「待っ、待ってください殿下! 至らないことがありましたら、僕は……っ!!」
「鼻が悪いのか勘が悪いのか知らないが、どちらにせよ駄目だな。それとも賄賂の選択は他者に任せているのか? だとすれば、最悪だ」
突き放すような冷たい指摘に三男坊が硬直した。
図星だったようだ。
「二度と私に話しかけるなよ」
故に、容赦なく切り捨てた。媚びるばかりで中身を伴わない人間など、目障りなだけだと。
「っ、リチャード殿下……!」
しかし三男坊は諦めきれないのか、必死の形相で腕を伸ばしてきた。リチャードの学園服を掴もうとしたのだろう。だがそれが叶うことはない。
ジョセフが三男坊の腕を捻りあげ、廊下の床に押さえ付けたから。
ジョセフはリチャードの従者。護衛もまた、務めの一環であった。
「リチャードさま」
「ほっとけ。構う価値もない」
「はっ」
一瞥もせずに告げたリチャードの意向に従い、ジョセフは三男坊を解放し離れる。三男坊は目にも止まらぬ速さで押さえ付けられたのが堪えたのか、床にうつ伏せになったまま震えていた。
その無様な姿を横目で見た後、ジョセフはリチャードの背を追う。
時に冷徹な判断も下せる彼は、国を見据える王子として完璧な姿をしていた。学生の身ながら既に国政に関わっているのが関係しているだろう。父である国王が急逝した為に、関わらざるを得なかったのだ。
玉座には現在、退位していた祖父が座っている。王太子リチャードが正式に即位するのは、学園卒業後だ。
つまり戴冠式まであと、一年。
それが終われば、リチャードは名君になる。
誰も彼も信じて疑わない。
クラスメイトも婚約者も祖父も大臣も、見抜けない。
(こいつは、誰だ)
リチャードが瓜二つの誰かと、入れ替わっていることに。
――ことの発端は一週間前、学園の始業日。
リチャードはリチャードではなくなった。そのことに、ジョセフだけが気が付いた。
偽物は頭の上から爪の先までリチャードそのもの。しかし、十年前から同級生兼従者として仕えてきたジョセフの目は誤魔化せなかった。
(歌唱した聖歌の拍数が、百二十八分音符分ずれていた)
その違和感がきっかけだった。
それから食事の速度、剣の納め方、視線の動かし方など、様々な不自然の積み重ねを見て、別人と確信する。
ジョセフはリチャードの口癖も手癖も趣味趣向も全て把握していた。
(このままではいけない。このままでは……)
何故ならば、
(戴冠式で、リチャードを暗殺できない)
ジョセフはリチャード暗殺を目論む、暗殺者だからだ。
(俺の役目はリチャード暗殺を発端とするランテレス王国の混乱。戦争の引き金。そして滅亡。全ては亡き祖国の為に)
暗殺が成功した時、ジョセフの命も潰えるだろう。それでも構わなかった。
――祖国へ侵攻し滅ぼしたランテレス王国に、復讐できるのならば。
ジョセフは亡国の末裔だ。だが幼くして故郷も家族も失ってしまった。
残ったのはポッカリと空いた心の穴と、それを埋め尽くす勢いで溢れ出す憎悪のみ。
それからは血を吐くほど修練に励み暗殺者の技術を身に付け、出自も身分も名も偽り、王家レイヴンズクロフトへ接近。
見事、リチャードの従者に抜擢された。
(反逆者の手引きも着々と進められているというのに、ここにきて不測の事態が起きるとは)
ジョセフは頭を悩ませる。
偽物を暗殺するのは簡単だ。しかし偽物は不穏分子を炙り出す為の捨て駒だったとしたら? ジョセフはまんまと罠にかかってしまうことになる。
だからとこのまま放置して偽物が戴冠式を受けてしまえば、ランテレス王国を滅ぼす計画を実行できない。計画通り殺したところで、本物のリチャードが現れ混乱を収めてしまえば何もかも徒労に終わってしまうからだ。
(偽物の目的はなんだ。成り変わりか? 代行か? それとも俺の力量を測っている? 仮に単なる影武者だとして、俺に話を通していないのは何故だ? そもそもリチャード本人は今どこにいる? 生きている? 死んでいる? 偽物の陰に隠れて諜報している? 何もわからない)
偽物だと告発するのも難しい。確固たる証拠がない。癖の違いを指摘しても首を傾げられるのは目に見えている。加えてなぜ事細かに癖を把握しているのかと訊かれたら、困るのはこちらだ。
そも立場も権力も発言力も、リチャードの姿をした偽物の方が遥かに上。下手に騒げば牢に入れられることもあり得る。
(戴冠式までに突破口を見付けなくては。ひとまず偽物が偽物と誰が見てもわかる証拠を探し出す。そして次に、本物を探す)
暗殺を完遂する為にも。
◇
夜十九時。
晩餐会の時間がやってきた。
場所は学園の大食堂。そこにリチャードはゲストを招き、貸し切りにした。要人もいる故、警備は王家直属の近衛兵が務めている。
普段は学生が無秩序に行き交い、雑多な談笑が入り混じるここも、上流階級の大人が集うと厳格な宮殿内に見えるから不思議なものだ。
そんなことを考えながら、ジョセフはリチャードの座る席の斜め後ろに立ち、いつでも動けるよう待機をした。
「本日は私の晩餐会に来て頂き、誠にありがとうございます。私お抱えの宮廷料理人自慢の料理に舌鼓を打ってください」
真っ白なテーブルクロスがかけられた長机に並ぶゲストを前に、リチャードはワイングラスを掲げる。
――乾杯。
その掛け声と同時に、グラスとグラスが鳴る涼やかな音が大食堂に響く。
「皆さんをお招きしたのは他でもない。知恵者たちとゲームをしたかったのです」
しかし乾杯後もグラスに口をつけないまま、リチャードは言葉を続けた。
「この中に、ランテレス王国に反乱を企てる不届き者がいます」
ジョセフの心臓が早鐘を打つ。だが決して顔色には出さない。
そして食堂の空気が凍りつく中で、濁流のように思考を巡らせた。
(計画が露見したか……!? いや、証拠は何一つ残していない! 俺のことを言っているのではないはず……! ではこの場でゲストを摘発すると!? なぜ!? 意味不明で非合理的だ!!)
出自、不明。目的、不明。動機、不明。本名、不明。
正体、不明。
わからないことが多過ぎる。
彼は、誰だ。
「メインディッシュは斬首です。古風で素敵でしょう?」
リチャードは笑う。くすくすと、無邪気な子供のように。
「では知恵を出し合って、探しましょうか」
ゲームスタート。
そしてリチャードの皮を被った誰かは、楽しげに合図を告げた。





