第16話
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「やっぱり、人間って気持ち悪いの。だから、壊したくなるの」
ぶぅん、と羽音と共に【翅持ち】の姿が消える。
しかし、今度は見失わなかった。殺意が一直線にハーレインに向かう。
「――っ!」
リュシアが踏み込む。考えるより先だった。届くはずがないと分かっていても、身体が動いた。白い影と銀の閃きが交差する。甲高い音が死の大聖堂に響いた。リュシアのレイピアが骨針を弾く。腕が痺れる。
重い。
吐息がかかる距離で、縦に裂けた瞳が覗き込んでくる。
「庇うの?」
リュシアは答えない。答える余裕などない。二本のレイピアで白い指を押し返す。腕が軋み、骨が悲鳴を上げる。それでも退けない。
「あなた、そういうところ。本当に壊し甲斐があるの」
その瞬間、横からユスティナの大剣が薙ぎ払う。【翅持ち】が後方へ飛ぶ。その着地点へアンテラが滑り込んでいた。
「しつけぇんだよ!」
双短剣が喉元を裂く。黒い体液が弧を描いて飛び散る。だが【翅持ち】は笑っていた。無邪気な子供のように。
「……いいわ」
すぐに傷が塞がる。
「あなたたち、本当に綺麗」
その声と同時に、森の外――【死灰雪原】の方角から、鐘のような爆音が響いた。一度、二度、三度と、骨に響く音。
ユスティナの表情が変わった。
「……オーロラフォード」
ハーレインが静かに呟く。その声には珍しく感情があった。
「警鐘です」
アンテラの顔から笑みが消える。
三度。それが意味するものを、全員が知っていた。防衛線突破。上位種の侵入。
【翅持ち】は裂けた口で笑った。
「残念。時間切れなの」
ユスティナの声が低く落ちる。
「……貴様は、囮か」
「失礼なの。私はちゃんと、あなたたちを殺しに来たの」
翅が震える。千切れた膜がすでに半分以上戻っていた。
「でも、あちらにはもう別の子たちがいるの」
ハーレインの瞳が淡く紫がかる。未来を見ている時の目だ。
「……さらに二体。【角持ち】と、【骸】ですか」
【翅持ち】は嬉しそうに頷いた。
「ええ。鹿の王様みたいなのと、喰うことをやめた空っぽの子」
リュシアの指が柄を強く握る。
こんなものがあと二体。
しかも街の中に。
人が、まだそこにいるのに。
ユスティナは一瞬で判断した。迷いはなかった。
「ここで、こいつを撃破する」
誰も異論はない。ここで足を止めれば、北が落ちる。
「ハーレイン、道を読め」
「アンテラ、右を開けろ」
そしてーー。
「リュシア」
銀の瞳がまっすぐこちらを見る。冷たいのに、不思議と温度があった。
「お前は、前だけ見ろ」
たったそれだけ。けれど、胸の奥の迷いが静かに沈んでいく。リュシアは頷いた。
「……はい」
初めて、本当に自分の足で立てた気がした。
【翅持ち】が笑う。
「私を倒せると思うの」
また上位種の姿が消える。
だがその軌道に、アンテラが飛び込んでいた。
「思ってねえよ!」
双短剣が交差する。激しい火花と共に、耳を裂く衝突音が響く。
アンテラの口元が獰猛に歪んだ。
「でもな――お前の動きを止めるくらいはできる!」
その言葉が終わるより早く、地を蹴る。【翅持ち】の白い指が肩を裂くが、構わない。アンテラはそのまま双短剣を交差させ、透明な膜の根元を狙う。
「虫ならよ――羽を潰せば、落ちるだろ!」
ぶち、という嫌な音。膜翅が根元から裂け、黒い体液が飛び散る。【翅持ち】の身体が大きく軌道を崩した。
「っ――!!」
声にならない悲鳴。
その瞬間、ハーレインの目が細くなる。
「左上、二歩先。半拍、後です」
ユスティナはもう動いている。重い鎧とは思えない踏み込み。大剣が低く構えられる。
リュシアも走った。
【翅持ち】の視線がこちらを向く。縦に裂けた瞳に歓喜が宿る。
「来るのね。やっぱり、あなた」
声を最後まで聞かず、リュシアはレイピアを抜き放つ。
「――《閃撃》!」
銀閃が【翅持ち】の白い胸郭の奥へ深く。脈打つ核を刃先が捉える。
【翅持ち】の口から初めて本当の悲鳴が漏れた。
頭上から影が落ちる。
ユスティナ。
大剣を両手で振りかぶっていた。その姿は処刑人のようだった。
「痛みは、生きている証だ」
振り下ろされる大剣。
世界が一瞬黒くなった。大剣が核ごと【翅持ち】を叩き潰す。骨が砕け、翅が裂け、菌糸の床が陥没した。
黒い体液と血が雨のように降り注ぐ。
地面には大きく抉れたクレーター。その中心に、もう形を保っていない肉塊が沈んでいた。
核は完全に砕けていた。
最後の呼吸のような震えだけが、裂けた口元をわずかに動かした。
「……ああ」
ひどく穏やかな声だった。まるで長い夢から覚めたように。
「こうして、壊れるのは……少しだけ……美しいの」
白い胞子が雪のように降り、翅の欠片がその中に混じって舞う。
そのまま、【翅持ち】は完全に動かなくなった。
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