第9話「姉妹」―生きる目的―
◇
ユスティナが去った後も、塔の上には風だけが吹き続けていた。
リュシアは動けなかった。
星は冷たく燦然と輝いているのに、その下の世界は確かに終わりに近づいていた。
「生きる……」
口にした言葉が、喉の奥に重く残る。
復讐よりも軽く、任務よりも曖昧で、死よりもずっと厳しい響きだった。
「……分からない」
正直な吐露だった。
リュシアはずっと、たった二つの目的のためだけに剣を振ってきた。
家族を喰った【胎児喰い】を殺すこと。
そして――
消えた妹、リィナを見つけること。
それ以外の生き方など、知らない。
憎しみの先に何があるのかも、取り戻したその先で、どう生きればいいのかも。
考えたことがなかった。
それでも、あの銀髪の戦士は言った。
死ぬな、と。
ふと、背後で軽い足音がした。
気配は獣のように鋭い。
「へえ、まだいたのか」
振り返ると、アンテラが壁にもたれていた。
星明かりに金髪が煌めき、眼光が宿る。
「……何」
「別に。眠れねえだけさ」
アンテラは肩をすくめた。
「明日から北だろ。上位種だろ。No.10が死んだんだろ。普通なら酒でも飲みてえところだが、ここの連中は真面目すぎてつまんねえ」
「……任務前に酒は駄目」
「わーってるよ。言ってみただけ」
アンテラは煩わしそうに耳を掻きながら、リュシアの隣まで歩み寄ってきた。
二人は並んで夜空を見上げた。
しばらく、沈黙が続く。
「ユスティナに絞られたか」
リュシアは答えなかった。
アンテラはその沈黙を肯定と受け取り、にやりと笑う。
「あの人、言い方キツいからな。正論で殴ってくる。【エリミネア】の幼体よりタチが悪い」
リュシアの視線がわずかに動いた。
アンテラは夜空を見上げたまま、静かに続ける。
「でも聞いとけ。あの人がわざわざ呼び出すのは珍しい。期待されてんだよ、お前」
「違う」
即座に否定した。
アンテラが横目でこちらを見る。
「違うのか?」
「……足手まといだと言われた」
「そりゃ違いねぇ」
淡々と言われ、リュシアの眉がぴくりと動く。
アンテラは小さく笑った。
「怒んなよ。今は、って話だ。少なくとも上位種相手ならな」
風が吹いた。アンテラの声から、軽さが少しだけ剝がれ落ちる。
「上位種は成体なんかとは訳が違う。あいつらはただ喰いに来るんじゃない。選別してるのさ」
「……選別?」
「そうだ。獲物としてか、餌としてか、あるいは——自分に足りない何かとしてか」
リュシアは、先日倒した荷馬車の【エリミネア】の言葉を思い出した。
名前が欲しかった。
何かとして見られたかった。
胸の奥が、かすかに軋む。
アンテラは続ける。
「だから嫌なんだよ。あいつら、たまに人間みたいな目をする。殺しにくい」
「……それでも、排除するだけ」
「だな」
アンテラは笑ったが、その目は笑っていなかった。
「……私には妹がいる」
突然の告白に、リュシアの視線が動く。
「ベラトリス、ナンバーは38だ。真面目で融通が利かなくて、出来もしねぇのに、すぐ人を庇う」
アンテラは双短剣の柄を軽く叩いた。金属音が夜に乾いて響く。
「今回、あいつは東に残る。ミューロンウッド方面の警戒だってよ」
「……」
「だから北はさっさと片づける。上位種だろうが何だろうが、殺せば終わりだ」
笑っている。
けれどその笑みの底に、焦燥が透けていた。
リュシアは目を伏せた。
同じだ、と思った瞬間、胸が疼いた。
同じ目に遭って欲しくなかった。
「……死なない方がいい」
アンテラがきょとんとした目を瞬かせる。
「お前がそれ言うのかよ」
「……言われたから」
「ユスティナに?」
リュシアは小さく頷いた。
アンテラは声を殺して笑う。
「あたしの心配してくれてんのか? いいじゃねぇか、生意気で」
そして、軽く、けれど確かに言った。
「じゃあお前も死ぬなよ、リュシア」
その名を呼ばれた瞬間、リュシアの胸に小さな波が立った。
「……寝ないの?」
アンテラは肩越しに笑った。
「寝るさ。とっとと任務を片して、妹のとこ帰んなきゃいけねえからな」
金髪の戦士は回廊の闇へ消えていった。
残されたリュシアは、もう一度空を見上げた。
リィナ。
ベラトリス。
二つの名前が、リュシアの胸の奥で静かに重なり合う。
風が吹いた。
リュシアは今度こそ、足音を確かめながら塔を降りた。
◇




