第41話:もう戻せない_6
しかし、記憶を消したあとで轍を踏むわけにはいかないと、隼人は消したいと思った記憶の期間に起こったことをメモとして残すことにした。使っていないスマホで今の部屋の状況やリコの残していた書類を一通り写真に収め、入れるだけで使っていなかった日記のアプリに思い出せる範囲で記憶を書き出していった。わかり易いように不要なアプリは削除し、待ち受け画面も自分で紙に書いた『まずは日記と写真を確認すること。絶対!』を撮って変更しておく。アドレス帳も不要なものはどんどん削除し、ウェブサイトはクローン体に関する病院をブックマークしておいた。
メモアプリにはできるだけ詳しく事の顛末を、そして衣玖に謝ることと楓には近づかないことを書き残した。
記憶を消し去るのに、こんなことを残してしまっては意味がないかもしれない。が、残しておかなければまた同じことが起こるかもしれない。もう、オリジナルである自分の身体も、家族もいない。自分の親兄弟は担保に入らない。残るはシナガワがたどった最後の道しかないのだ。次大きく負けたら、あの道以外残された道はない。楓は『また誘う』と言っていた。それが本当なら、記憶を失った後に誘ってくるはずだ。楓がこうなることを見越してそう言ったのなら、隼人自身も自分で予防線を張るしかない。
リコがいなくなったことで、会社へ隠す必要がなくなっていた自分の書類も写真に残した。自分がもうオリジナルではないことは、きっと信じられないだろう。だが、楓を避けるためには知っておく必要がある。
そして、今までの楓とのやりとりや、見たくないものは全て今のスマホからも消した。残しておくと、記憶を消す意味がなくなりそうで怖かった。
このスマホは、三兼に預けるつもりだった。記憶を売らなかったとしても、自分への戒めとしていくつか記録を残すつもりだった。隼人が無謀な賭けをしかねない時に、三兼にこのスマホを渡してもらうようにお願いするつもりだった。 少し状況と内容は変わったが、恐らく受け入れてもらえるだろう。
恐らく記憶を失った自分があそこへ行くということは、また楓からのリアクションがあったということだ。それまでは、何もかも嫌なことは忘れた状態でも良い。平和に暮らしたい。そんな気持ちから、回りくどいことをしていた。
――家族の写真も動画も、隼人には消すことができなかった。記憶を失った自分がこの写真や動画を見て、どう思うかは今はわからない。だが、もう自分に家族がいたことは、この中にしか残っていなかった。最後のお別れを言うことはできなかった。リコには冷たいことを言ってしまったし、結人と桐人は喋ることすらできていない。二度と直接その声を聞くことも、どこかへ出かけることも、成長を見守ることもできないのだ。失って、どうしようもなくなって、自分がその手を下したはずなのに、今更涙がこみあげてくる。
家族写真の中でほほ笑む自分たちの姿にポタポタと涙を流しながら、三兼に預ける理由と、最後に家族への謝罪と愛していることを告げた動画を残し、ロックをかけて鞄へしまった。そして、不要となったものはすべてゴミ袋へ入れ、マンションのゴミ捨て場へ持って行った。
隼人は病院へ連絡を取り、記憶を抜き出す手はずを整えると、その足で三兼の元へと向かった。幸い、記憶の抜き出し自体は短時間で済み、お金も現金即金でもらえるらしく、休み明けの仕事には困らなさそうだった。ただ、該当の期間に起こったことを忘れてしまうため、病院からは精神的な面で一時的な記憶障害があると診断書を書いてもらうことにしていた。
「……三兼さん」
「ようこそおいでくださいました。……と申しましても、昨日振り、ですが」
隼人は三兼にお願いして、カンキンジョの一室を借りていた。本来、ここへ来ることはもうないはずだったが、セキュリティ面を考えて話をするのに一番良い場所だと判断し、無理を言ったのだ。だが三兼は、嫌な顔一つせずに従ってくれていた。
「早く済ませておかないとダメで。……あの、これ言ってたやつです」
「スマホ……でございますか?」
「はい。……俺、今から記憶を売ってきます。楓に誘われて、この会場へ来たことは忘れることにしたんです。だから、三兼さんのことも忘れます。でも、もし……もし、俺がまたここへ来ることがあったら、その時は俺にこのスマホを渡してください。『以前アナタから預かりました。パスワードはいつものモノです』って。……お願い、できますか?」
「成程……。承知いたしました。しかし、もし三兼様が受け取らなかった場合は、いかがいたしましょう?」
「多分、受け取ると思います。待ち受けは俺へのメッセージにしたけど、最初の画面は、ホラ」
隼人はスマホのボタンを押して画面を起動させた。
「家族の写真だから。こんなの、俺しか持ってないでしょ? あのね、俺がオリジナルだった最後の家族写真なの。……それから、この手術の同意書。文字は俺が書いたってわかるから」
追加で、小さく折りたたんだ同意書の写しも渡す。
「……そうでございますね」
「スマホは、バッテリーがダメにならないように、たまに充電してくれると嬉しいです。って、面倒なことお願いしてごめんなさい、なんですけどね」
「問題ございません。こちらは大事に預からせていただきます」
「よろしくお願いします。……あぁ、もう三兼さんにも会えないのか。三兼さんには会いたいな、でも記憶を抜き取っちゃうから、思い出すための記憶もないんだもんね」
「もうお会いしないほうが、今後の譲原様のためにはなるのでは……?」
「それはそう! あはは。そうなんだけどね」
「私は覚えております。ずっと」
「ありがとう。……ところで、野暮なことかもしれないけど、聞いてもいいかな?」
「なんでございましょう?」
「なんでそんなに俺によくしてくれるの? あ、いや、なんというか……。他のスタッフの人たちよりも圧倒的に喋ってくれたし、こう、気にかけてもらってる気がして」
「……それは……似ているからでございます。私の家族に」
「あれ、そうなの? そういえば、三兼さんとはそういう話は全然しなかったよね。……って、それもそうか。ただのスタッフと客だったし」
「ここで話した記憶も消してしまわれるのですよね?」
「そうだよ? あ、でも、俺がここへきてスマホを預けたことは誰にも知られたくないから、そのスマホの準備をして三兼さんに預けて、病院まで行くところは売らない。単純に、消してもらうだけにするんだ」
「……でしたら、これをお伝えしても問題ありませんね」
「え、何?」
「阿形様についてでございます」
「楓……?」
隼人はゴクリと唾を飲んだ。ヒヤッとした背筋を誤魔化すために。
「楓が、どうかしたの……?」
「阿形様は、事故でクローン体になったのではございません」
「え? なんで三兼さんがそんなこと知ってるの?」
「私が見送ったからでございます」
「見送った?」
「譲原様も、よくよくご存じかと」
「……あ」
成程、そういうことかと隼人は納得した。楓は事故じゃなく、自分と同じように負債を返すためにクローン体になったのだ。それなら、事故に遭ってフルボディになったよりも、ずっと自分を羨ましく思う気持ちが理解できる。自業自得なのに他人が羨ましくて、全てを奪いたいと思う気持ちが。
「……そっか、そうだったんだ。うん、なんとなく、楓の気持ちがわかった気がするよ……」
「そして、もう一つ」
「まだあるの?」
「はい。……必ず、記憶を消去してくださいね? 私の立場も危ういですので」
「勿論だよ!」
「……はい、では。……阿形様は、私の息子の友人でした」
「そうなんだ。……世間って狭いんだな……。って、でした、なの?」
「左様でございます。……しかし、阿形様はそれを存じ上げません。……息子と友人だったことすら、忘れてらっしゃるかもしれませんね」
「記憶をどうこうしたって話は、聞いたことがないけど……」
「今の譲原様なら、その意味が解るかと。……喋り過ぎてはいけません。この辺にしておきましょう」
「……病院へ行くまでの間、ちょっと考えてみてもいい?」
「暇つぶしになりましたら幸いでございます」
「……もっと違う形で出会えたら、俺三兼さんともっと仲良くなれた気がするんだけどな」
「ありがとうございます。そう言っていただけまして、なによりでございます」
「嘘じゃないからね?」
カンキンジョの部屋を出る。もうここへは、二度と来ることもないだろう。隼人はそう思ったし願っていた。短期間であれだけ通い詰めたこの会場に未練がないと言ったら嘘になる。今でも、上手くお金を動かせばプラスにできる自信があった。だが、その自信が原因で家族と自分を失ったことも隼人はよくわかっている。だから気持ちが惹かれないように、遊ぶ人たちをできるだけ見ないで外へと出た。
「……それでは譲原様。どうか、今後は幸多き日々をお過ごしください」
「ありがとう。……三兼さんも」
「ありがとうございます。……それでは、これにて」
「さようなら、三兼さん」
「……さようなら、譲原様」
手を振る隼人に頭を下げて返す三兼を、隼人は何度も振り返りながら名残惜しそうに見つめた。会場を出て病院までの道のりを歩く。三兼の言うことを考えてみたが、答えは見つからなかった。




