第42話:もう戻せない_7
辿り着いた病院は、沢山の人が待合室にいた。ここにいる全員が記憶を売ろうとしているのかと考えたら、その人数の多さに隼人は気分が悪くなった。どれだけの人が、お金を求めてきたのだろう。どれだけの人が、嫌なことを忘れたくて来たのだろう。どれだけの人が、まともな理由でここへ来たのだろう。
この場にいる全員が異質な人間に見えて、隼人は周りが見られなくなり俯いていた。異質な人間の中には、自分自身も含まれている。
楓の言う通り、なぜもっと早いタイミングでゲームを下りなかったのだろうか。必ず勝てると思ってしまったのだろうか。俺だけの大金を持つ楓のことを、怪しいと思えなかったのだろうか。衣玖の忠告を聞くことができなかったのだろうか。リコに本当のことを打ち明けることができなかったのだろうか。誘いに乗らなかったら。天狗にならなかったら。もっと家族を大事にしていたら。理性を失わなかったら。今さらとしか言いようがない、数か月前の自分だったら嫌悪するような、そんなことしか浮かばない。
永遠にも感じられる時間の中で次々と人が呼ばれ、順番に個室へ入っては出てくる。まるで流れ作業のように、記憶を抜き出す作業は行われていた。隼人も例に漏れず、着替えることはなくよくわからない機械を頭に取り付けられ、うっすらと甘い麻酔薬と思われるものを経口接種すると、視界がぐにゃりと歪んで次に目を覚ましたときにはもう終わっていた。眠っていた時間が短いからか、それともずっと深く眠っていたからなのか。はたまた脳を弄ったからなのか。クローン体になったときのような、サイケデリックでよくわからない夢は見なかった。
「お疲れ様でした。……注意事項は全てこちらに書いてあります。また、消した記憶について、範囲はこちらに。内容は、譲原さんが覚えておきたい部分のみ、事前に書いていただいていますので、そちらをお読みください」
「わかりました」
「気分が悪かったりしませんか?」
「大丈夫です。……不思議ですね。モヤがかかったみたいになるかと思ったんですが、ここ数ヶ月のことが、サッパリ思い出せないんです。なんとなくわからない、じゃなくて、本当に知らない。ポッカリと穴が空いたような……」
「皆さんそうおっしゃいます。すぐに慣れますよ。診断書は会計時に受け取ってください」
「ありがとうございます」
――本当に、なにもなかった。
隼人は理由があって、ここ数ヶ月の記憶を売り渡したことはわかっていた。だがその理由はわからない。消し去った期間の自分を詮索するのは良くない気がして、今は現状を受け入れることにした。
リコが妊娠したことは覚えている。そして、切迫早産で仕事は休みにしたはずだ。自分は育休を取る予定で、今から生まれる子の性別が楽しみ……そんな記憶でプツリと途切れている。
時期的に、そろそろ子どもは産まれてもおかしくない。今回は隼人も育休を取ると決めたため、実家に帰る予定はなかった。
……ところで、自分はリコに今日のことはなんと言って出てきたのだろう? と、そんなことを隼人は考えた。チャットの履歴を見ても、特にそれっぽいことは書いていない。もし、内緒で出てきていたら『今から帰る』なんてメッセージを送るのは無粋というものだろうか。
悩みながらも、隼人はそのまま帰ることにした。記憶を消すと決めた自分は、あまり詳しいことを残してはくれなかった。ただ『二度と体験したくないことを売り払った』ことはよくわかった。その雑さに腹を立てつつ、隼人は少しだけ寄り道をしてから家へと帰った。
「……ただいまー」
ドアを開けた向こうは暗かった。電気はついていない。リコたちはいないのだろうか。そう思うと、思わずただいまの声が小さくなった。
それぞれの部屋の中を見てみたが、誰もいなかった。部屋は綺麗に片付いており、いくらか物がなくなっていた。
「……? 体調悪くて、実家に帰ってるのかな? 家にいないなら、一応連絡入れておくか……」
隼人はリコに『今日出かける予定だったっけ? 今どこ?』とメッセージを送った。記憶を消したことへと現状に対する情報の少なさに、隼人はどうしたものかと思いながら、スマホになにか残されていないかとメモや写真を見始めた。
メモに特に目立った内容のものはなさそうだったが、写真を見てみると『リコと喧嘩中。実家に帰っている。楓の誘いには乗るな。衣玖に謝ること』と書かれているメモを撮った写真があることに気がついた。
臨月のリコと喧嘩なんて、いったい自分はなにをしたんだろう……と嫌な気持ちになりながら、楓と衣玖の名前が出てきたことに疑問を感じた。書いてあるということは、よほどなにかあったに違いない。
リコは喧嘩していても、喧嘩の理由がわからない。まずは先ほどの返事が来てから考えることにした。次は楓だが、なにか楓に誘われた記憶はない。だが、今まで何度か悪ふざけにうっかり付き合うことになったことはある。おそらくその類だろう。しかし、こんな書きかたをされてしまっては、怖いもの見たさでついて行くと、理由を確かめてやると自分が思うと考えなかったのか、隼人は過去になった自分へ疑問を抱いた。だが、このメッセージの意味を確かめるすべを、今の隼人は持ち合わせていない。衣玖は喧嘩でもしたのだろうか。失礼なことを言ってしまったのかもしれない。衣玖の怒るところを、隼人は見たことがなかった。謝るとなると、よほどのことをしてしまったのかもしれない。
「……これだけじゃ全然わからないな……?」
この写真は、こちらのスマホにはあまり情報を残したくはないが、それでも心残りがあるものを残した結果だった。今の隼人には、なんのことだかサッパリわからない。
診断書があるため、隼人は休職となるその間にできるだけ手がかりを探そう。……もしくは、やり直すために記憶を無くしたのなら、余計なことをしないように生活していこう。そう思った。
当たり障りなくまずはこの日を過ごしたが、リコからの返事は来なかった。何日も返事が来なければ、リコの実家へ行くことも検討しなければならない。実家との関係は良好だと思っているが、リコが喧嘩の末実家へ帰っているとなると話は別だ。翌日の朝、再度スマホを確認したが、やはり連絡は来ていなかった。
ヴーヴヴ――ヴーヴヴ――。
隼人のスマホが鳴る。発信者は記憶を抜いた病院だった。隼人の記憶が無事売れたという連絡である。
『……ですので、成約時の追加報酬を口座へ振り込ませていただきます。目安は一週間としておりますので、口座のご確認お願いいたします』
「わかりました」
『一週間経っても振り込まれない場合、口座の誤りやこちらの手違いの可能性がございますので、お手数ですがご連絡いただけますでしょうか?』
「あ、はい。わかりました。そのときは連絡します」
『よろしくお願いします。それでは、失礼いたします』
「失礼します」
誰かが記憶を購入するということは、隼人のなくした記憶を誰かが体験、もしくは見ることができるということだ。きっといい記憶ではない、そう思う隼人は、悪趣味だなと感じていた。
「あー……今日は何しようかな……」
だれることのないように、隼人は朝ご飯を作るところから始めた。もしかしたら、呑気に連絡なく、リコたちが帰ってくるかもしれないと思いながら。
ヴーヴヴ――ヴーヴヴ――。
また隼人のスマホがなる。が、スマホは寝室へ置き去りにしており、鼻歌混じりに料理を作っている隼人は気が付かない。
その発信者には【楓】と表示されていた。




