第37話:もう戻せない_2
「はあぁ?」
残業代分のお金は渡していたし、給与明細は渡していない。残業していなかったとわかるはずはないのに、していないと言い切ったリコに隼人は腹を立てていた。
「……聞いたの。しばらく残業はなかったって。少なくとも、遅くに帰ってくるような残業は。いつもすぐ帰ってたみたいね。……どこに?」
「いや、いや。聞いたって、誰にだよ」
「誰でもいいでしょ? 株やってるって言ってたけど、それすら怪しいじゃない。残業代と、お土産代と、そんなに毎回毎回稼げるの?」
「……認めりゃいいんだろ? あぁ、そうだよ」
「それで、なんで残業って嘘吐いたの? その時間、どこに行ってたの?」
「……別にどこでもいいだろ?」
「じゃあ、共同で入れてたお金はどうしたの!? 通帳の中身、半分しかないじゃん!」
「別に俺が入れた分なんだから、俺が持って行ったっていいだろ!?」
「何に使ったのよ!」
「お前の分は残ってんだからなんでもいいだろ!!」
「……そう。もう私には関係ないってことなのね」
「そうじゃなくて! ……あぁもう、めんどくさいな……」
責めるような言い方に、隼人はイライラしながら頭を掻いた。どんな言葉を返しても、きっとそれはもう信用されないだろう。自分で蒔いた種ではあったが、そこまで強くいうことなのかと反感が募っていった。
「めんどくさい……って……。わかった。もういいよ。何をしていたか言うつもりはない。嘘吐いてたことを悪びれもしない。約束は破るし家にも帰ってこない。……これで家庭が成り立つと思う?」
「そんなに大した話じゃ……」
「隼人に頼れないのはよくわかった。それなら私は、自分の親に頼る。しばらく帰ります。結人と桐人も一緒に」
「え?」
「育休、取らなくていいよ。帰らないかもしれないから」
「はぁ? ちょっと、何言ってんだよ」
「無理。無理なの。信用できない。一緒にいられない」
「だからって」
「私も考える時間がほしい。今の私に、今の隼人は受け入れられない」
「リコ……」
「それじゃ」
「あ、いや、待って!」
「産まれたら知らせるけど、病院には来ないで。面会は断るから。……嫌だもの。子どもを売られたら」
「そんなことするわけないだろ⁉︎」
「……大金を手に入れるために家族の身体を売る人の話、知ってるでしょう?」
思い当たる節しかない。それでも、そんなことは当然言えなかった。
「隼人、変わったよね。三人目ができてから」
――バタン。
ドアが閉まる。一度も振り返ることなく、リコは家を出た。
「あぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁああぁぁ‼︎」
頭を掻いて叫びながら家の中をウロウロする。よく見れば部屋の中は綺麗に片付けられ、クローゼットを開ければリコや結人と桐人の服がごっそりなくなっていた。おもちゃもお気に入りは消えており、探す気はなかったが、おそらく母子手帳に通帳もないだろう。
本当に、ここへ帰る気は無いのかもしれない。
「……あれだろ? 結局お金なんだろ……?」
リコが子どもを連れて家を出てしまったのには、本人の言った通り理由があった。それなのに、隼人はそれをすべて無視した。なにがダメなのかわからなかった。リコの怒る意味がわからなかった。せめて『嘘を吐いて悪かった』と『ほんの少しだけ時間をくれないか。必ず理由を話すから』と言えば、また違った結果になっていたのかもしれない。だが、隼人はそれをしなかった。自分がしたことはバレていないのに、一方的に責められたような気がして、それに対して怒ることしかしなかった。
リコの言う通り、隼人は変わってしまったのかもしれない。――少なくとも、違法賭博と呼ばれるものにどっぷりと浸かっていた。簡単には抜け出せないくらいに。
「くっそ……! 誰だよ残業の話したヤツ……!!」
嘘を吐いて違法賭博をしていた自分よりも、借金をして家族へ相談もせずフルボディになり返済した自分よりも、リコに自分が残業していなかった事実を知らせた誰かに怒りを募らせていた。会社の人間というのは間違いない。リコが言っていたのだ。たとえば会社に問い合わせたところで、いくら家族相手でも簡単に答えてくれるものなのだろうか。
「余計なことしなきゃ……」
ヴーヴヴ、ヴーヴヴ――。
隼人のスマホが鳴る。相手は衣玖だった。
「んだよこんなときに……。もしもし」
今まで連絡を取っていなかったことも、喧嘩別れのようになっていたこともすっかり忘れて、なんの気なしに隼人は電話を取った。
「あ……もしもし、隼人?」
「なに?」
イライラから、言葉遣いがぶっきらぼうになっていた。
「あ、いや、最近どうしてるかなって思って……」
「別に。どうもしてないけど」
「……そっか」
「それだけ?」
「あ……ううん。前さ、僕、ムキになって話しちゃったなと思って。その、あの雑誌と親戚の話……」
「あー」
「それで、その、ごめんね? 親戚の人、結構良くしてもらってたから……。なんであの人が死ななきゃいけなかったんだろう? って気持ちもあって、つい」
「まぁ、終わったことだし。別に」
「……隼人は大事な友達だから、もしなにかあるんだったら相談してほしいなとも思って……」
「……なんだよ、結局俺のこと疑ってんじゃん」
「そうじゃないよ! ただ、最近いつもと特に様子が違うから心配になっただけで……。奥さんと喧嘩したのかな、とか……」
「……なぁ、お前リコに俺の残業の話した?」
「え? あ、あぁ。このあいだ、たまたま上司と取引先から帰るときに出くわして……。『休日出勤するくらいずっと忙しかったけど、落ち着いてきたみたいで良かった』って言ってたけど、上司が『アイツ半年前からずーっと休日出勤はおろか、残業もほぼしてないけど』って言っちゃってたけど……」
「……嘘だろ?」
「嘘じゃないよ……」
「……それでお前はどうしたの?」
「え、僕? 僕は、そこ……」
「言えよ」
「……奥さんに『詳しく教えてほしい』って言われたから……隼人の勤怠を調べて伝えたよ」
「お前にそんな権限ないだろ? ……あぁ、婚約者か」
「……彼女にはそれとなく聞いただけだ」
「そんな個人情報漏らしていいと思ってるのか?」
「でも! 奥さんなにも知らないなんて可哀想だよ! 僕はいいよ、他人だから! 友達だけど、だけど他人だから……。奥さんは、違う、でしょ?」
「他にはなに言ったんだよ」
「他は、別に……。『どこに行ってるか心当たりはないか』って聞かれたけど、僕は心当たりないから知らないって答えたよ……」
「……本当に、余計なことを……」
「ごめん……」
「はぁぁ、くっそ……。これで離婚になったら、お前らのせいだからな」
「え⁉︎ いったい、隼人はなに」
「うるせぇ! 二度と電話してくんな!」
一方的かつ乱暴に電話を切ると、隼人はドカッとソファに座った。頭痛が酷くなった気がしている。
イライラも止まらず、静まり返った部屋の中でひとり頭を抱えた。
妻と子どもは出ていき、今手元に残ったのはVIPフロアのカードキーとコイン。そしてこの家と車。すべて現金に戻せばそれなりの生活はできる。だが、隼人はこれらを手放す気はさらさらなかった。
もう、子どもはいつ産まれてもおかしくない。隼人は面会に来るなと言われていたが、当然行くつもりでいた、
父親が会えないわけがない。
しかし、その前にやることがあった。イベントの日に、お金を増やすことだった。掛け金が百倍になるその日ならば、十億稼ぐことも容易い。イロハにはああ言ったが、VIPフロアでの勝負でなければ、隼人は勝つ自信があった。否、勝つ自信しかない。一回しかチャンスはないが、逆に言えばその一回だけ勝てば良いのだ。
勝負に勝って億というお金を稼ぎ『宝くじに当たったが、突然の大金に言い出すことができなかった』とでも言えばいい。なくなった貯金への言い訳はまだ見つからないが、もしかしたらプラスの額の多さに目を瞑ってくれる可能性もある。ローンを返済することにして手続き任せてもらい、当たった額はいくらか少なく見積もって伝えて、残りはゲームの資金にする。そんな甘い考えに馳せながら、隼人はイベントの日が来るのを待った。
「……今日、人多いですね?」
「イベントですから。皆様、張り切っていらしているのでしょう」
イベント当日、会場は普段よりも賑わっていた。特段告知のようなものはされていなかったが、それぞれが話を聞き広めることで伝わっていったらしい。
「既にご存知だとは思いますが、百倍で賭けられるのは一度だけですので、どうぞご注意くださいませ」
「ありがとうございます」
「本日は、阿形様もいらしておりますので、是非おふたりでお楽しみください」
「……うん」
隼人は賭けるタイミングを探していた。どうせなら、大きな額を動かしたい。そのためには大きな額を賭けることを厭わない人を探さなければならない。手持ちのコインは少し遊んで七百枚。このまま賭けても七億の価値はある。が、それはその一回のタイミングだけであって、使わなければ価値は変わらない。勝負して勝たなければ。




