第26話:沼へはまる_7
シナガワのオッズに対して、隼人の賭けた女性は11.7だった。賭けたコインは十枚。もしこのまま女性が勝ったら、その配当コインは百十七枚となり、勝ちは一億円を軽く超える。隼人のしてきたゲームで今まででこれほどコインが動いたことはない。し、動かしたこともなかった。これだけの額が一気に動くこと。VIPフロアたる所以のひとつなのだ。
「賭けること自体は大したことないだろ? お前の十枚だって立派なもんだと思うけど?」
「そうかな……」
「勝っても負けても、引きずらないように気持ちの切り替えが大事だからな? 勝ったらラッキー! で次。負けでもあーあ、今回はツイてなかったなーくらいで次。負けて引きずるのは簡単だし楽だけど最悪だからな?」
「わかったよ」
「さ、続き続き」
「……毎回それだけ賭けてたら、怖くならない?」
「全然? 慣れもあるけど。まーその分、いつものフロアに上がった時に使うコインの枚数はめちゃくちゃ増えたかな。『え、こんなに使ったのにまだ全然減ってないじゃん!?』みたいな。それだけ実入りも増えたから、賭けられる時は賭けるが勝ち! これ俺の鉄則」
「……すごいな、楓は」
「別にそんなことないよ? 楽しみが今コレしかないから、存分に遊びたいだけ。ここで勝たなきゃ金も手に入んないし? もう慣れちゃったから、全然普通に仕事して稼いだだけじゃ満たされないもん。ってほら、喋ってっと大事なところ見逃すぞ?」
「あっ、ごめん」
楓が『毎回それだけ賭けてたら』の部分に一切引っかからなかったのを見て、隼人は楓が常に一億単位のお金をかけていることを確信した。負けても次に行けるということは、少なく見積もってもその倍以上の額は持っているということになる。そしてそれを使うことに躊躇いがない。躊躇わないのは元手が多いか少ないかの両極端だから。楓は負けたという話をしていないから、それならば元手が多いということになる。これだけ賭けても無くならないお金。たとえ減ったとしてもすぐに巻き返すことができる才能と運。
――隼人は楓の持つモノが羨ましくて仕方がなかった。
「落ち着かないなら、取り敢えずもう一杯どうだ? 俺も頼むから、一緒に注文するよ」
「あ、あぁ。ありがとう。じゃあ、またウーロン茶いいかな」
「おっけ。……あ、あれ最後のルーレットじゃないか?」
「シナガワさんだ……」
ふたりが話している間に、女性の二回目のルーレットは終わっていた。引いたのは【250】だったようで、合計グラム数が千四百へ達していた。こうなれば再び女性も動かないわけにはいかなくなり、時々身体を起こしては、立ち上がるか否かを思案しているようだった。しかしそこ以外は静寂に包まれた上に誰も微動だにしない。
これが終われば、最終的なグラム数が決定する。そうなれば、残りの三十分で誰かが最終グラムをクリアするか、時間経過を待ってギブアップするしかない。その場合、一ポンドを満たなければペナルティが課される。今は四人中三人がペナルティの可能性があった。
『彼の回すルーレットが、最後のルーレットとなります! これで最終的なグラム数が決まり、三十分の猶予が与えられます。もし、誰もグラム数を増やすことができなければ、前腕を切り落とした女性に軍配が上がるでしょう! ……ただし、グラム数は満たしておりませんので、ギブアップというかたちになります。三十分以内に追加できれば勿論、優勝の可能性も!! 反対に、残りの三名はこのままだとペナルティが濃厚です――。しかし、まだまだわかりません! ここから巻き返す可能性も十分にあります!』
大きな盛り上がりは見られないが、確実にこのあとは見どころになる。トリを飾るのはシナガワで、彼がどの数字を引くのかで、最終的にボウルの中に入る量が変わる。
――隼人は、少しだけ期待していた。女性が始めに腕を切ったとき、なんとも言えない高揚感を感じたからだ。初めて、自分で自分を傷付ける人を見た。あんなに腕から血が流れて絶叫を堪える人も。
特別血が得意なわけでも、残酷なシーンが好きなわけでもない。仕事も一切関係がないし、積極的にそういった映画や漫画を見ることもない。
だからこそ、奥深く掴まれた心に爪痕は残ったままだった。
このあともっと、酷いことが起こることを。期待、していた。
『う、うう……あはっ、はははっ』
『……?』
急に笑い出したシナガワを訝しんで、三人の視線がそちらへと向く。
『んひひっ、そ、そっかぁっ。はっ、ははっ。ワ、ワタシはっ、ひひひっ』
爪を噛み震えていたかと思うと、今度は笑いながらルーレットのボタンを二度押した。
『……っと⁉︎ 最後のルーレットが止まります! 数字は……【500】! 合計千九百グラム、これは中々の重さだ!』
最後のグラム数が決まった。前腕二本、それとも二の腕含めた一本。腕はやめて脚か、内臓まで到達しないことを祈って腹部か――。
ここまで独壇でやってきた女性は、覚悟を決めるにはまだ時間が必要らしい。
「これ、ギブアップだけしか出なかったらどうするの?」
「配当無しだよ。優勝が決まってないから。ギブアップすると参加側も賞金もらえないし」
「え、じゃあ、女性切り落としたのに切り損かもしれないってこと?」
「可能性はあるよ。このまま追加してそのまま優勝なら、損はしないけどね。切った部分は無くなるけど」
ギブアップは優勝なし――。ということは、隼人も配当金がなくなるのだ。賭けた十枚は消えていってしまう。
『あー……あぁぁぁぁあ‼︎』
『⁉︎』
シナガワが叫びながらグルグルと会場を歩き始めた。忙しなく彷徨いている。そして、大きな刃のついた物騒なものを手に取ると、それを持って女性の元まで歩いた。
『……?』
疲れて俯いていた女性は、陰になった自分の周りを不審に思った。
『ヒトのっ、ひひひ、あぁ、頭って、おもおっ、重いんでしょ⁉︎』
『――え?』
振り上げた物騒なものを、女性に向かって勢いよく振り下ろす。何の話と思ったのか、女性は顔を上げようとしたのに、その顔が上がることは一生なかった。
ゴッ――。
骨に引っかかり振り下ろしたものが中々抜けず、仕方なくゴリゴリと上下左右に動かしながらようやくシナガワはソレを抜いた。
――ドンッ。
できるだけ一度切った場所へ刃が届くよう、狙いを定めて再度振り下ろされた刃は、まだ首と身体を引き離すことはできずに、身体を引きずって床へと倒す。傷口から血が流れ、辺りを赤く染めていった。
『ひいっ、ひひっ』
――ゴンッ。
三度目で首は身体から切り離された。刃物は床へめり込み、重みのある音が会場へ響く。
既に死んでいる女性の髪の毛を掴んで頭を運ぶと、シナガワは自分のボウルの中へその首を入れた。
『あーああ、血が、血がもったいない? あぁ、仕方ない? ホラ、ホラホラホラホラ! 超えたでしょ? にっ、にに、二キロ、超えたでしょ? しょお⁉︎』
確かにシナガワの秤は、二キロを軽く上回るグラム数を表示していた。女性の頭のおかげで。
『良い? 良いの? いひっ、良いでしょ⁉︎ だっ、だってだって‼︎ 誰も【自分の】なんてぇ! いいっ、いっ、言ってないっ、ひひぃ‼︎』
誰も『自分の身体の一部を載せろ』とは言っていないという指摘。それは間違いない。しかし、それをよしとするならば、シナガワ自身無事では済まない可能性があることを彼は失念していた。他人の頭を秤に入れて、見事グラム数をクリアしたことに歓喜し、周りが見えていないのだ。
『あ、ああ……』
『うわぁぁぁぁぁ!!』
呆然と立ち尽くしていた残りの二人が正気に戻る。と同時に変わらない目の前の惨状にまた理性を失おうとしていた。
『いっ、いやっ……ま、まだ死……ぃ!!』
『や……あ、アイツ、や、ヤバ……』
『優勝!! ワタシッ! ワタシがぁっ!! ゆゆゆゆ優勝うぅぅぅぅ!!』
シナガワが雄叫びを上げる。優勝を確信したように見えた。だが、まだ三十分経過していないため、このままゲームは続行される。
――と、その時。何を思ったか残っていた内の一人が、シナガワの持っていた刃物を奪って、シナガワめがけて振り下ろした。
『っ……がああぁぁぁぁぁ!?』
シナガワが痛みと驚きで叫ぶ。それを見ていたもう一人の男も、山積みとなっていた道具の中から一つ選んで、同じようにシナガワへと襲い掛かった。
『い、あっ……や、やべ……やべであぁぁ……!!』
二人がかりでの攻撃に、シナガワは成す術もなく倒れ、何度も叩き潰されたその身体はただの肉塊へと成り果てた。
『はぁ……はぁ……』
『ふぅー……ふぅ……』
一仕事終えたと言わんばかりに、冷や汗を拭ってふたりはシナガワをそれぞれ自分のボウルへと入れた。それぞれの秤の数字が動く。
『残りのお二人が、今肉を入れ終わりました! 確かにこのゲーム『自分の』身体の一部とは一度も言っておりません。つまりこのお二人……そして、もう声を聞くことはできませんが、最初に他人を攻撃した彼の行動は間違っていないのです! これ以上の肉は不要! 優勝者の人数は決められていませんので、こちらのおふたりが優勝です!!』
「え、あ、あ……。ま、負けた……?」




