第58話 比和
「うわっ! 何だこのネズミは! ぎゃああああ!」
子音さんが半動物化し、祈るように手を組めば、あの時プールで見たネズミの形をした水が何匹も海から飛び出す。
こちらに向かってくる人魚たちに一体ずつに付き、足止めしているように見えた。
そして、それぞれに対峙しているネズミたちは、自由自在に五行を変化させては攻撃し、人魚たちを海に沈めていったのだ。
「よし、セレン。話の続きだが、お前が見つけた北門の前……そこで何があった」
(このまま続けるんだ……)
俺に向かい合っている子音さんの背後では、人魚たちの悲鳴が上がっている。
「えっと……7組の生徒が、俺の記憶を操作した張本人だったんです。それで、もう一度記憶を奪おうとしてきて……」
結局、俺は何のために襲われたんだろう。スイレンさんが助けてくれたとはいえ、当時の記憶は判然としない。
「ヒツジの呪物を壊したやつか。普通の人間じゃねーことは明らかだな」
「羊の呪物……? あの、それって何のことですか? 亜未さんに関係するものですか?」
どうしてか俺がそう聞けば、子音さんは目を見開いて、表情を強張らせる。彼の言っている羊の呪物って、何だろう。
「おまえ……」
「えっと……? どうかしましたか?」
「いや……そいつが記憶を奪おうとしてきたって話だが、どういう術を使おうとしてたんだ?」
「ええと、一筆書きで描くような星の模様が、人の形のような白紙にあってですね。それが、俺に向かって襲いかかってきた……はずです」
「五芒星……だと」
子音さんが足で素早く、砂浜に星の模様を描き円で囲む。
「おい玄武、お前、陰陽師と接触していた時期があっただろ。そんときのことを教えろ」
砂浜に手をついて、子音さんは何かに語りかけていた。玄武、と言えば、確か亀と蛇が合わさった神では。
「チッ。俺が十二支じゃねえ以上、返事するわけねえか」
「子音さん。玄武って……」
「北の方位、冬の季を司る天の将だ。昔、人間に力を貸していたのを見たことがあったんだ。お前の言う、五芒星の描いてある紙を介してな」
そうだ。俺は知っている。玄武を始めとした、陰陽師に力を貸したという式神、その名も、「十二天将」。
「それってもしかして……十二天将……ですか?」
「あ? なんで天将は知ってんだ?」
陰陽師と彼らは、関わりが深い。子音さんが星の模様を見て反応したことを考えると、俺を襲った犯人は、陰陽師である可能性があるってことなのか。
「まあいい。セレン、とりあえずその12の天将のうち、東西南北を司るものを言ってみろ」
「あ、はい。えっと、順番に青龍、白虎、朱雀、玄武……ですかね?」
「合ってやがる……お前、頭打ったか?」
「お、俺もよくわかりませんけど、パッと頭に出てきたんです!」
いや待てよ。これっていわゆる四神というやつで、人間の世界でも、有名じゃないか。
まさか人間の記憶……いや、十二天将なんて言葉、今まで頭の中に一度だって出てきたことはなかったはずだ。
「やっぱり記憶をいじられたな。すぐに帰って、ウシとヒツジに診てもらうぞ」
「は、はい。でも、どうやって帰るんですか?」
「あの門をくぐれば、十二将側に戻れるはずだ。お前もそこから来ただろ」
子音さんが指を指し示した方向、そこには浅瀬に浸かっている門がある。
子音さんが現れたとき、彼が海側から現れたのは、そこからこちらに来ていたからなのか。
しかし、なんだろう。門のあたりに、何がいるような気がする。
「し、子音さん、何かあそこに」
「五行相生・水生木生火生土」
「え……? うわっ!?」
一瞬のことだった。まるで弓矢から矢が放たれたような速度で、水の塊のようなものがこちらに迫ってきていた。
とはいえ、それは俺たちには届かず、子音さんが素早く唱えて生み出した土五行が受け止めて泥にし、その場に落ちる。
陽式の五行だから相剋というわけではないのだろうが、土五行は水五行の性質を打ち消すということがよくわかる。
「わあ! さすが元十二支! 反応速度すごいね! やっぱりそこら辺の動物とは格が違うや!」
「ば、万渡流歌さん!?」
パチパチパチパチと拍手の音が聞こえたかと思えば、門の上に、イルカの化身である万渡流歌がいた。
彼は確か、スイレンさんと一緒にいたときに現れて帰ったはず。どうしてここに戻ってきたんだ。
「しつけーな……魚らといいお前といい、億が一にも俺に勝てたって、精霊がいなければ減点だぞ? バカなのか」
「減点されたってだいじょーぶ! だって俺、人気者だし! それよりさ、遊ぼうよ」
彼はそう言うと門の上から海に飛び込み、その行方を暗ます。かと思えば、一気に海面から水飛沫が上がり、それはイルカの形を成していた。
遊ぼうと誘う言葉は、子音さんに勝負を挑んでいるということに他ならない。
数十頭ほどのイルカがこちらに勢いよく向かってきていることが、その事実を突きつけている。
「子音さん……! イルカが……!」
「ふーん、俺と同じ陽式水五行か……セレン、比和って言葉は覚えてるか?」
「ひ、ひわ? 知らないですけど……」
「はあ? 天将なんて知っておいて、それは覚えてねーのかよ。はっ、中途半端だな」
「ええ……」
しかし、子音さんはいつもの調子を崩さない。俺に新しい言葉を提示しては、その言葉を知らない俺を小馬鹿にしたように笑う。
「教えてやる。五行は、同じ属性が合わさると力を増す。そんで、強い方に引っ張られて増幅するんだ」
万渡流歌は、子音さんの五行術のように、イルカを水で象って操っていた。
明らかに水五行ではあるし、同じ属性と言えるのだろう。
「あいつの出しているイルカは俺と同じ陽式水五行。そのことを踏まえて、陽力が上の、俺の水五行をぶつけたらどうなると思う?」
海面をたった1匹のネズミが走っていく。数十頭のイルカはそのネズミを取り囲み、一斉に攻撃にかかった。
子音さんは自身の方が上だと言うが、大きさも数もあちらの方が上だし、強い方に引っ張られるとはどういう意味なのか見当もつかない。
イルカの群れはネズミに一斉に襲いかかり、大きく水飛沫が上がる。
まさか子音さんの水五行が負けたのではないかと思ったが、次に見えたのはイルカの背鰭に乗ったネズミだった……絵面が大変可愛い。
サーフィン感覚なのだろうか。ネズミは身体を傾け、他の周りのイルカをどんどん吸収しては、万渡流歌の方に突っ込んでいった。
「あれ? なんで君たちこっち来てるの? って、わー!」
結局彼は、自身で作ったはずのイルカたちにぶつかられて、遥か海の向こうに流されてしまったのであった。
なるほど、比和という術は、同属性かつ、相手より自分が強ければ、五行を自分側のものとして奪うことができるんだ。
「はい、終わり。帰んぞー」
「子音さんって……強いんですね……」
「当たり前だ。十二支首席だぞ、1番強いに決まってるじゃねーか」
いずれかの申弥さんが、十二支で誰が1番強いのか、という話題は口にしてはいけないと言っていたことが頭によぎる。
その記憶を思い出せたことに安堵しつつも、スイレンさんの言う、第三勢力への不安が胸に募っていくばかりであった。




