第53話 猪と豚
とある芸能学園の控室。椅子に手足を縛られながら餌付けされている亥寧さんを目の前に、俺たちは困惑していた。
「な、何をしてるんだイノシシ! 君ならそこから簡単に抜け出せるだろう!?」
「イヌくんも食べようよ! 芋の味がして美味しい! ウサちゃんに作ってもらお!」
「ぐ、ぼ、僕は絆されないぞ……!」
「戌慈さん……」
お菓子をチラつかされ、戌亥ペアが誘惑に負けそうになっている。
というか、この餌付けしている人は誰なんだ。選抜に関係ある人だとは思うけど、彼が精霊なのか、それとも動物の化身なのか、判別がつかない。
「ああ、嘆かわしい。十二支はこんなに警戒心を失ってしまった……昔の方がよっぽど……」
ただ彼らを憐憫の眼差しで見つめながら、何かを惜しむようにボソボソと話していた。
「う、失ってない! ん、庚様と辛様のにおいが……ということは、貴方が神様の分身の精霊様ですか!?」
「え」
「……元十二支11位、戌ですな。さすがの嗅覚です」
未だにお菓子を与え続けられている亥寧さんを横目に、戌慈さんが持ち前の嗅覚によって、亥寧さんを捕まえた人物を特定する。
亥寧さんが暴走したけど、結果オーライかもしれない。あくまで今回の目的は、五志精霊に会って、俺の記憶が変調をきたすか確かめることだ。
「俺は一神セレン。1番目に生まれた神様の分身の精霊です。コレンさんに会いに来ました」
ここにいられる時間は少ない。すかさず俺がコレンさんに話しかければ、彼は亥寧さんから離れ、俺の手を握った。
「な、セレン様に何をされるおつもりですか!」
すぐに戌慈さんが飛んできて、俺のことを心配してくれる。だけど彼に手を触れられても、俺は微塵も危機を感じなかった。
ひんやりしているのに、握られて安心するような妙な感覚だ。後ろで、縄を無理やり解こうとドタバタしている亥寧さんの姿が視界に入って、安心は消えてしまったが。
「戌慈さん。俺は大丈夫なので、亥寧さんを見ていてくれませんか? 危なっかしくて……」
「イノシシ!? 解いてやるから暴れるな!」
「えっと……俺は、ドレン、モクレン、カレンに会いました。どの精霊も俺の正体をはぐらかすけど……コレンさん、あなたに聞いても、やっぱり同じですか?」
俺が手を握り返してそう問えば、コレンさんは気まずそうな表情を浮かべながらも、しっかりこう答えた。
「……悲しいことですが、立場上、拙者たちは伝えたくても伝えられないのです。ただ、兄上が元十二支付きの精霊であるという事実が、何を意味しているのか。この事実を考えていてほしいですな」
「何を意味するか……?」
「そして犬浦氏。貴方が知りたいことは、兄上の記憶を戻せば自ずと知れることのはずです。どうか神様を、信じていてください」
「なんというか……庚様と辛様に、意味深長な感じがそっくりですね」
「イヌくーん、早く解いて〜!」
彼に限らず、五志精霊は含みのある言い回しばかりしてくるなあと思っていれば、急に控室の扉が開く。
「プロデューサー! 例の野蛮な獣は……!」
「わは!」
「うわあああ! いるっ!?」
「……豚座氏、扉は乱暴に開けてはいけません」
現れたのは先ほどのアイドル、豚座琢磨であった。さすがはブタの化身というわけか、控室の扉を乱暴に開けるところが亥寧さんにそっくりだ。
「豚座氏。何をしに来たんですか? 元十二支、亥と戦うのですか?」
「トンでもないっ! 戦わない!」
「勝てないからですか?」
「ボクは他国では十二支であるという事実があるから、今選抜では負けない。猪と豚が入れ替わったところで、困ることないってことでしょう! わざわざ戦うまでもない!」
あっ、亥寧さんが縛られていた縄を引きちぎった。
「いやああああ! プロデューサー!」
「野生を捨てて人間に媚びた家畜風情が調子に乗ってるね!」
(怖っ……)
いつもの無邪気な笑顔からは想像もつかない悪態が出てくることに、恐怖を覚える。戌慈さんですら顔を引き攣らせている。
「イノシシ……それ、みんなの前で言うんじゃないぞ。僕もいい気はしない」
「えー? イヌくんには言ってないよ!」
戌慈さんの言うことはもっともだ。むしろ人間に飼われている十二支の動物の方が多いのだから。
「……猪野田氏。拙者たちは人間がいないと存在しないですよ。人間を悪くいうのはやめた方がいいと思います」
「そーだそーだ、弱いものいじめは元大将のすることか!」
「わは!」
「ブヒッ……!」
亥寧さんが両腕を振り上げ、すぐに振り下ろす動作を見せる。その瞬間、彼から尖った透明な刃物のようなものが、コレンさんたちの元へと飛んでいった。
「え……な、なんかいま……刃物みたいなの、飛んでいきませんでした……?」
「……五行術ですね。イノシシの陰力は変質的で、水五行が氷になるんですよ。今のは陰力が足りなくて、届く前に途中で消えたんです……」
なるほど、彼らしい。水より氷の方が尖っている。
しかし、水で作られた猫の手が壁を壊したことを思うと、先ほど飛んでいった小さな氷柱はいかほどの威力なのだろう……
「ちなみに当たってたら……どうなります?」
「氷とはいえ……イノシシの五行なので、建物に当たれば破壊は免れませんし、人間に当たれば大怪我は間違いなしかと……」
戌慈さんと俺は、コソコソ話をしながら目を見合わせ、互いに頷いた。
「イノシシ、一旦落ち着いた方がいい!」
「亥寧さん! 戦うって、ただ殴り合うだけじゃないんです。今回は、人間から人気を得ること。このお題で勝ってこそ、亥寧さんはブタさんを叩きのめした、ということになると思いますよ!」
「えー! でもネズくんは、ネコちゃんと戦ったよね?」
どうにか宥めたい。そう思って力説してみたが、亥寧さんには暖簾に腕押しのようで、未だ戦う気が満々だ。
「イヌくん、どけてよー!」
未だに豚座さんに近づいていこうとするのを、戌慈さんが手を広げて制している。
「イノシシ。聞いた話だが、ネズミさんはネコに攻撃自体はしていない。君の気持ちも痛いほどわかるが、きっと今回は、人間らしく勝たなきゃ駄目なんだ!」
「わ? 人間らしく……?」
「さすが人気動物! 話がわかる!」
亥寧さんの動きが止まる。豚座さんにとっては、戌慈さんはまさに救世主だったのだろう。
しかし、おだてるようなその態度が気に触ったのか、戌慈さんは彼を見下し、こう言った。
「言っておくが、お前の味方をするわけじゃない。いくら他国でお前が十二支だろうと、日本の十二支12位は亥。これは揺るがない事実だ」
豚座さんは戌慈さんの言葉に気圧されたのか、ただ黙って何も言わなかった。
今日は、彼らの意外な一面を見る。無邪気な亥寧さんの危険な言動とか、いつも目をキラキラさせて俺に話しかけてくる戌慈さんの冷たい態度とか。
「イヌくん……! イヌくんがそこまで言うならわかった! セレン! あとちょっとで帰っちゃうから、そこの精霊さんに何か聞いておきなよ!」
亥寧さんの気分は戌慈さんのおかげで良くなったようで、ひとまず安心する。
しかし今度は俺の番だと言うばかりに振られて、この制限時間の中で何をコレンさんに何を聞くべきだろうかと考える。
「わ、わかりました。えっと……コレンさんは、動物を芸能人に……?」
この時点でどうしても俺が気になるのは、ブタがアイドルをやる、動物が芸能人として活動しているという点だった。
「はい。この学校に、十二賞という芸能に優れた12人を表彰する仕組みがありまして。ちなみに拙者がもらった人間の記憶は、ヲタクと芸能プロデューサーですな」
コレンさんは早口でスラスラと答えてくれる。精霊に与えられる人間の記憶は、その場所に適した人間のものなのだろう。
神主と巫女とか、よくわからない精霊もいたが。
「なるほど……その十二賞に選ばれた動物が、あなたにとっての十二支候補ってわけですね……」
「プロデューサー! 喋りすぎじゃないのか!」
「豚座氏、暇があるならレッスンに行ってください。ここに用はないのでしょう」
「ちぇ、まあいい。ボクの祖先よ。十二支の座を狙うのはボクだけじゃない! 寝首を掻かれることを、元十二支共々期待して待つがいい! はーっはっはー!」
言葉の強さとは裏腹に、豚座さんは足早にこの場を後にした。怖いのだろう、隣で瞳孔をかっ開いている亥寧さんのことが。
「兄上、元十二支方。うちの豚座が失礼しました。次お会いするときは、記憶が戻っていることを願っています」
「……あ、ありがとうございます」
五志精霊にしては、コレンさんは協力的だった。彼の立場も、人間界に不慣れな動物たちを芸能人にするというなかなか苦労するものだ。
十二支に振り回されている俺を、哀れに思って同情してくれているのかもしれない。
「わは! なにこれ! 見て! 透明人間ー!」
「イノシシ、少し落ち着け……」
「…………お互い大変ですな、兄上」
「…………はい」
辰幻さんのまじないの制限時間がきたのだろう。
身体が透けて、幽霊みたいだなと思っていれば、再び眠気に襲われる。
そして気がつけば、円卓のあるいつもの十二将の動物愛好部の部室に戻っていた。
「よお、久しぶりだな。セレン」
「子音さん……」
「わは! 会合だ! イヌくん椅子取りしよ!」
「いや、ちゃんと人数分の席があるだろう」
残念ながら、相変わらず円卓に俺の席はない。
少し離れたところのホワイトボードの隣に、丸椅子がちょこんと置かれているだけであった。
「……では。皆揃った。これより、第2回十二支会合を始める」
丑理さんの言葉を皮切りに、元十二支たちは騒がしく話していたのをピタリと止めた。
会合が始まる。第1回は出席できなかったから、どこか少し期待する気持ちで、俺は丸椅子に座ったのであった。




