第48話 十干十二支
「いのくーん、もういいよー」
「イノシシ! 応援合戦の続きをしようではないか!」
「亥寧さーん? 本当に辰幻さんのところに行ったんですかね?」
「うん、そうかも。いのくんって気を遣わないところが長所だった」
(それは長所なのだろうか……?)
健午さんと亜未さんの間に流れていた不穏な空気も無事(?)一件落着ということで、俺たちは途中でいなくなってしまった亥寧さんがいないか声をかけていた。
しかし近くにはいないようだ。思念伝達で確認すればと提案しようとも思ったが、本当に辰幻さんのところにいるのなら、何だか邪魔してしまうような気がする。
「うむ。では一神セレン。改めてだが、当番の件をまだ話せていなかったな。君には呪いから救ってくれた恩義もある! 何でも答えるぞ!」
「あ……ありがとうございます。でも、呪いの件もあって、今日は疲れていますよね? 後日でも……」
「うん? 疲れていないぞ!」
健午さんはやはり義理堅い。太陽の下、白い歯を見せて笑う姿からは、彼の言うとおり微塵も疲れている様子を感じさせなかった。
「あっ。当番といえば僕、君に十干のことをちゃんと教えてなかった。ごめん、まともに当番してなかったよ」
「いえいえ。亜未さんは五志精霊と接触してくれたわけですし……」
「そうか! よし、ならばヒツジ、共に十干を一神セレンに教えよう! 頼めるか!」
「うん。わかった」
「お、お願いします……わっ!?」
亜未さんが土に手をかざすと、そのグラウンドの一部分が少しだけ隆起する。
亜未さんは土の五行。木の寅琳さんがシロツメクサを編んでいたように、彼は土を自在に操れるということだろう。
地面には「甲」「乙」「丙」「丁」「戊」「己」「庚」「辛」「壬」「癸」の10個の文字が浮かび上がっている。
「じゃあ精霊くん、今年の干支はと聞かれたら、どう答える? よく総大将が嘆いていたんだよね。干支の意味を、多数の人間が間違えていると」
「え……?」
「うむ! 干支とは十干十二支の略語。十干と十二支を組み合わせ、丙午などと答えるのが本来の意味だな!」
干支。なるほど「かんし」とも読めるわけで、十干と十二支を合わせたものだったんだ。
「たしかに……今年の干支はと聞かれたら、十二支だけを答えることが多いですもんね……」
「人間の十干の捉え方は知らないけど、僕たちにとっては仕事仲間の精霊。陰の十干は陰の、陽の十干は陽の十二支と協力して、計60通りの干支の組み合わせで1年ごとに回していくんだ」
「あっ、還暦……!」
そうか。人間は60歳になる年に、生まれた時の干支が巡ってくる。
60年という半世紀以上の長い年月を、彼らは何度も何度も繰り返してきた。
その事実を実感すると、十二支を変えるなんて言い出した神様のことが、殊更におかしく思えてくる。
そして同時に思った。その長い年月を、十二支と共に仕事をしてきた十干たちは、十二支が変わってしまうことを許してくれるのか?
「……十二支は12匹ですけど、十干は10体なんですね?」
「十干は陰陽五行の精霊。五行ごとに陰陽2体で合計10体なんだ!」
亜未さんが地面をなぞる。10文字は5文字ずつの2列になって、表を形成する。
縦の項目の欄に陽と陰。横の項目の欄に五行、すなわち木、火、土、金、水が順番に表記されていた。
甲と乙が木、丙と丁が火、戊と己が土、庚と辛が金、壬と癸が水であることを一目瞭然にしている。
「な、なるほど。わかりやすい……! この表、ノートに書き写したいな」
「書き写すほどじゃないよ。最後に『え』がつけば陽、『と』がつけば陰。五行はだいたい名前のとおりだし」
「えっ……きのえ、きのと……あっ!」
「……ふ」
亜未さんから笑みがこぼれて、いつぞやの赤ちゃん精霊という言葉が想起される。なんで今思い出した。
きっと亜未さんが……まるで子どもを見る母親のような温かい眼差しを俺に向けていたからだろう。
健午さんまで満面の笑みで俺のことを見ているし……
「そういえばだが、ヒツジ。十干はこの世界でどうなっているのか、予想はついたのか?」
「まだ仮説段階だけど……」
「仮説でかまわん! 教えてくれ!」
亜未さんは四神カレンに言っていた。十干が今どうなっているのか、予想がついた、と。
この世界に十干がいるのならば、俺も会わなくてはならない気がする。
「……全動物に陰陽五行を付与。こんな大層なことをするために、十干は実体を失い、その欠片を散り散りにこの世界に飛ばした。というのが、僕の見解」
亜未さんが険しい表情で軽く拳を握ると、十干の10文字は崩れて砂になり、風に流されさらさらと消えていった。
「四神カレンも、火の十干、丙と丁の欠片に過ぎない。神様が細工しているからこそ実体を得ている。だからこそ、君の存在が不思議なんだ。精霊くん」
「陰陽五行もなし。十干とも違う。うむ、やはり君の正体を明かすことが重要だな!」
2人の言葉からするに、俺が唯一、神様の分身の中では十干と全く関係のない精霊ということになる。
その唯一性が、五志精霊たちが俺を特別とみなす所以なのだろうか。
「……この前、巳乃さんの当番をしていたときに、申弥さんが言ってたんです。『トゥエルブ・セレクション』には、十二支の再選定をする以外の、何らかの意図があると。その鍵は、俺であると……」
「僕もその意見に賛成かな。だからこそ、君の記憶を操作した何者かの特定を急いでいるんだけど、なかなか尻尾を出さない」
『メェ〜、ガイブシンニュウシャ、ミカクニン』
「わっ!?」
「おお、元気だな〜!」
俺の制服のポケットから羊の人形が飛び出し、健午さんの頭にちょこんと座る。
どこか満足げで、ここが定位置だと主張しているようだ。
「まあ、深刻になることはない! ヒツジがいる限り、これ以上記憶を奪われることもないだろう。真っ当に選抜に挑み、君の記憶も取り戻す。その方針は変わらない!」
ああ、眩しい。俺も健午さんのようにポジティブでいたいものだ。どこか亜未さんも、彼のおかげで表情が和らいだような気がする。
「はい。その通りですね……亜未さん。えっと、羊のぬいぐるみくんも……俺を守ってくれてありがとうございます」
「うん。当然のことだからいいよ。それに、君の記憶は思ったより、本質の部分を思い出すようだし」
「ほ、本質……?」
「君の記憶も、必死に元に戻ろうと頑張っているんだよ。そうだよね?」
『メエ』
亜未さんの言葉に答えるようにひとつ鳴いて、俺の制服のポケットに羊の人形は帰ってくる。
動く感触がなくなったことから、どうやら毛玉に戻ったようだ。
「そうなんですか……ちょっと安心しました」
「……多少危険でも、君の記憶を思い出すためなら何だってやってあげるよ。なぜだかはわからないけど、そうしないといけない気がするから」
「亜未さん……ありがとうございます」
ああ、優しさが身にしみる。羊の毛のようにふわふわと包み込んでくれるようだ。俺も元十二支に対してこうでありたい。
「……危険、か。そうだヒツジ。俺に言うことがあるんじゃないのか?」
いつもより低くなったような気がする健午さんの声に、ギクッと、亜未さんの肩が揺れる。
あれ、なんかまた不穏な空気に。さっきまではなんかいい感じだったのに。
「ちょっ、ウマくん。あの……」
「支合に隠し事はなし。それに、先導に報告するのは決まり事だろう? 四神カレンに会ったこと、いや、そもそも会おうと計画していたことを、なぜ俺に言わなかったんだ?」
(え、笑顔なのに怖い……)
「ちょっとだけ悲しかったぞ? 一神セレンが知っている君のことを、俺は知らなかったからな!」
(ああああ! ごめんなさい亜未さん。俺が言ったわけじゃなくて、勝手に口走ってしまったのだけど!)
亜未さんが俺のことを涙目で睨みつける。意外だったのは、俺があのとき健午さんに放った言葉が、彼にダメージを与えていたことだった。
「あ、はは……僕、昔からウマくんに頼りすぎだし、ウマくんと支合になれる保証もないから、独り立ちしようと思って……」
「うん?」
「ごめんなさい……」
(…………強い!)
そう思ったのは、何に対してだっただろうか?
健午さんの笑顔の圧? 午未支合の熱い絆? 今となってはわからない。
だってその夜、俺は大量の羊に襲われるという悪夢を見たせいで、このときの2人のことを思い出すのは……やめているから。




