第40話 三合
1年2組、教室。今日の当番は亥寧さんだと目の前に来てみたが……やはりこの教室は他より群を抜いて騒がしい気がする。
「失礼しまーす……」
「トラくん! ありがとう!」
「ぐはぁ! なんの真似やお前!」
入った途端に繰り広げられていたのは寅亥のじゃれ合い。いや、亥寧さんが寅琳さんのみぞおちに頭突きしていた。
「ブタの話をする人間がいなくなった!」
「……そのかわり、俺にうざったいやつがついたけどな」
寅琳さんがビシッと指差した先にいたのは、例のブタの噂の発端の真珠大我であった。
「虎城、何度も言うが。野球部に入ってくれ!」
「わは! だれ?」
「真珠や。同じ組の人間の名前くらい覚えとき」
寅琳さんは真珠くんに追いかけられてしまっているようだ。
まずいな。注目を浴びるのはいいことだけど、人間に興味を持たれすぎては行動しづらくなる。
まあ、亥寧さんはもう少し人間に興味を持ってほしいものだ。
そう思ったのを悟られてしまったのか、亥寧さんが突如、ぐるりと首を回し、俺のことを見つける。
あ、やばい。突進される!
「あー! セレンー!」
「どわっ! お、お邪魔してます……」
「なになに? 今日はどうしたの!」
間一髪で吹っ飛ばされなかった。しかし、亥寧さんの様子に俺は疑問を抱く。
「な、何って……今日の当番って、亥寧さんですよね?」
亥寧さんが首を傾げて、寅琳さんの方を見る。寅琳さんは呆れたようにため息をついては、左右に首を振った。
「わは! 違かったみたい!」
「セレンはん、今日の当番はウサちゃんや」
「あ、李卯さんなんです……わっ、真珠くん?」
すっかり真珠くんが近くにいたのを忘れていた。あまりに遠慮のない至近距離にたじろいでしまう。
「ねえ、一神くんって言ったっけ。お願いがある。虎城を貸してほしい!」
「えっ。ええと……い、寅琳さんがよければ……」
真珠くんは寅琳さんを野球部に引き入れるのに必死のようだ。彼ら2人が勝負したことは、結構話題になっている。
しかし、俺には寅琳さんの行動を決定する権限はない。
昨日の彼の様子を見ていれば、多少危ない行動に出ることはあれど、人間界に馴染んでいることはわかったし、寅琳さんに任せる意を込めて視線を送った。
「……ま。そこまで言うんならしゃあないな。人間っぽいことしとった方がいい気もするし、付きおうたる。ほなな、セレンはん」
「あ、はい……! 頑張ってください!」
行動しなければ何も起きない。たとえ行動して成功できずとも、何かしら変化は周囲に起こる。
慎重なだけではどうにもならないのは、寅琳さんから学んだことだ。
「ところで、亥寧さんはこれから部活動ですか?」
「わは、今日はおやすみ! だから一緒に、ウサちゃんのとこ行こうよ!」
「いいんですか? ……次が李卯さんとなると、もしかして亥寧さんの当番って最後になりますかね? ブタの件については……?」
「んーとね! 今はどうでもいいや!」
(どうでもいいんだ……)
ブタに負けたくない。駄々っ子のように怒っていた亥寧さんは、ブタの噂の消滅のおかげか、昨日とは打って変わっていつもの元気な彼に戻っていた。
「ちなみに、李卯さんはどちらに?」
「ウサちゃん、かてーかしつ? にいるってさ!」
「家庭科室……」
家庭科となると、調理や裁縫などが思い浮かぶ。活動するとしたら、調理部か手芸部といったところだろうか。
「セレン、おれお腹すいたから行こ! はやくはやく!」
「わっ、わかりましたから腕を引っ張らないでくださーい!」
亥寧さん、お願いだから廊下を走らないでほしい。しかし意見する余裕がない。腕が千切れてしまう。
必死で彼についていくと、だんだん甘いにおいが鼻をくすぐってくるのに気づく。
そのことや、亥寧さんが空腹を訴えていたことから、俺は李卯さんがしているであろうことを察した。
「………家庭科室……着きましたね」
「わは! じゃまするね!」
彼の一挙一動は、イノシシの化身なだけあって力強い。乱暴に開けられてしまった扉のことを心配する。
「イノシシ! 昔から言ってるでしょ! 扉を勢いよく開けてはダメ」
「わは! ごめん!」
エプロン姿の李卯さんが飛び出てきて、亥寧さんを注意する。
亥寧さんの挙動はともかく、やはり李卯さんは家庭科室で、何かを作っている。甘いにおいからするに、お菓子なのは間違いない。
「それで、記憶の調子はどうなの? 精霊さん?」
「い、いろんなことを教えてもらっている最中です……」
「そ。当番のことだけど、僕はこれ以上人気を集めるつもりはないから。僕が教えること教えたら、さっさと帰ってよ」
「そんな! それじゃあ対等じゃないです。何かさせてください!」
「…………ま、とりあえず入りなよ」
「は、はい!」
李卯さんは、どこか俺に壁がある接し方なのは変わらない。
ヒヨコになり彼の肩口で話していたときは、少し近づけたと思っていたが、そう甘くはないようだ。
家庭科室内は個性の巣窟であった。中にいた生徒たちは俺たちのことを気に留めず、ただひたすらに自身の作業に打ち込んでいた。
さらに、見知った顔がもう1人。
「亜未さん……?」
「ヒツジくん! なにしてるの!」
「ああ、イノくん。これはね、ぬいぐるみを作ってる」
「なんのぬいぐるみ!?」
亜未さんは俺を認めるや否や、少し考える素振りを見せて、静かに呟いた。
「…………一神セレン、本来の姿」
「俺!?」
亜未さんがしていることは、羊毛フェルトだ。初心者が手を出して失敗するイメージしかない。
現に、彼の手元には得体の知れない物体ができていた。俺の本来の姿に似て……いや、似てないな……ただの毛玉にしか見えない。
「結構難しいなあ、僕の毛のはずなのに。あ、ウサくんおやつー」
「わーい! おやつー!」
李卯さんの姿が見えないと思っていたら、彼は家庭科室に設置されているオーブンから天板を取り出していた。
「あのねえ、僕を餌場か何かだと思ってる?」
「いやいや。今日はにんじんクッキーだね」
「ウサちゃんの形だー! 食べていい? 食べるね!」
2人は李卯さんが焼いたクッキーを、素早く掴んで食べる。
その姿を、呆れながらも優しげな瞳で李卯さんは見つめていた。
「李卯さんは、調理部に入ったんですか?」
「ああ。ウサくんって、食にうるさいんだ。せっかく人間になったなら、人間界のおいしい食べ物を追求するってことで……だよね?」
「みなまで言わなくていい」
「わは! おいしい!」
確かウサギって、味覚が発達している動物だったかな。草食動物は、毒草を判別するために味覚が優れているという話を聞いたことがある。
「へえ! ちなみに、亜未さんは手芸部に?」
「うん。この羊毛といい、僕は手芸と関係が密接だし。ぬいぐるみを作れば、人気集めにも役立てるかなって」
「なるほど……いい案ですね!」
亜未さんは俺の言葉に対して微笑んでは、また焼きたてのクッキーに手を伸ばす。
彼も、初めて会ったときとはだいぶ印象が違う。
「おいしいけど……ウサくん、何が不満なの?」
「はい、セレンも!」
「もごっ!」
亥寧さんが俺の口にクッキーを差し込む。
クッキーとはいえ、李卯さんはウサギを食べられて何とも思わないのだろうか。見られていて決まりが悪い。
「どう?」
「えっと……サクサクしてますし、にんじんの甘みが広がっておいしいです。それに甘すぎないですし、健康にも良さそうですね……?」
「そう、僕が求めていたのはこれなの!」
クッキーにコメントを送れば、李卯さんが急に立ち上がる。食べるのに夢中な亥寧さん以外が、困惑の色を隠せない。
「え、急になにウサくん」
「わは! おいしい!」
「あんたたちは『おいしい』しか言わない! もっとあるでしょ、この精霊のように言うことが!」
「え〜、ウサくんの形がかわいいね?」
「それは当たり前。味は?」
「ウサちゃん! おかわり!」
「今日はもうありません!」
この3人、噛み合っているのかいないのか。やり取りがおかしくて密かに笑っていると、李卯さんに睨まれた。
「なに笑ってるの?」
「い……いえ、みなさんは、仲が良いんですね。見ていて懐かしいなと」
(あれ……懐かしい……?)
どうしてそう思ったのかばわからない。ただ、この3人が会話している姿を見ていると、妙に安心する気がして。
「ふうん。懐かしい、か。ねえ、『三合』。この言葉の意味はわかる?」
「さん……ごう……?」
李卯さんに問われた三合。残念ながら頭に浮かんだのはお米を三合研いでという人間の記憶である。全く関係がない。
「うん、記憶にないか。申子辰、巳酉丑、寅午戌、そして僕たち亥卯未。この組み合わせを、三合と言うの」
「精霊くん、紙とか持ってたりする? だいたい十二支の決まり事って、図にするとわかりやすいよ」
「あ、一応ノートは持ち歩いてます」
「お。相生相剋の図がある。じゃ、十二支を輪っか状に書いていってよ」
言われるままに、ノートに書いていく。今更だが……十二支の一文字の漢字って、動物に関係していないなと思う。
「ちょっとヒツジ、今日は当番だから僕が教えるって」
「まあまあ。三人寄れば文殊の……あ、イノくんいないし」
「あの……さっき勉強はイヤって言って出ていっちゃいました……」
「まったく……食べ終わったら用済みってわけ?」
「でもさあ、イノくんってなんか憎めないよね」
亜未さんの言っていることにうなづいてしまう。やっていることは滅茶苦茶なのに、あの満面の笑みに、気の抜ける声を出されると、なぜかどうでも良くなってしまう。
「あ、書けたね。じゃあ、イノくんとウサくんと僕を、直線で結んでみて」
言われたとおり、亥、卯、未を結んでいけば、線は円内に正三角形を生み出した。
「きれいな三角形になりますね」
「うん。もうわかると思うけど、三合は繋げると正三角形になる。支合も線で結べばわかりやすい。十二支の関係性がわかりづらいって思ったら、まずは図を描いてみるといいと思うよ」
「なるほど……! ありがとうございます!」
亜未さんの言うとおり、支合も向かい干支も、線で関係性を結ぶことができる。
どこぞの問題みたいに、図を描くと見えてくるものって多い。
「僕の出る幕がないんだけど」
「じゃあウサくん、僕から質問させてよ。ウサくんはこのまま、みんなと接触しないつもり?」
李卯さんは口をつぐんで、そっぽを向いた。しかし亜未さんはさらに詰めるように、言葉を続けた。
「僕は、みんなと絶対に離れたくないよ。だから君が、十二支にならないなんて毛1本でも思っているのなら……呪うよ」
呪うと言う言葉は洒落にならないくらい、亜未さんの声色からは冷気を感じさせる。
俺も寒気を感じて身震いした。しかし、李卯さんは目をキッと吊り上げて反論するような態勢に見えた。
「り、李卯さん! 教えてくださいっ! あなたがこの選抜で本当は何を望んでいるのか!」
俺は緊迫する状況に切り込みながら、ふと考えていた。この場に亥寧さんがいれば、こうはならなかったのでは、と。
でも、彼がいたら李卯さんの本音を聞くチャンスはなかったかもしれない。十二支の相性は絶妙なバランスで成り立っている。
ぼんやりそんなことを思いながら、目の前の李卯さんが観念したかのように息をはいたのがわかった。
「……ほんとは、ほんとはみんなのこと助けたいよ。でも僕が協力したって、高みの見物みたいになるじゃん。わかってるよ……これは僕の気持ちの問題で、ネズミが言うように、みんながそんなことを思わないってこと」
「李卯さん……」
初めて、彼の本音が見えた気がした。
李卯さんは、自らが人気動物であるから、十二支になれることは確信している。だから、他の元十二支に協力することに徹したいのだろう。
しかし俺としては、李卯さんにも、何らかの人間へのアプローチをしてほしいと思う。ネコの襲撃の一件を考えると、この選抜は人気云々だけの話じゃないと思うのだ。
彼の望みを叶えつつ、いい方向に持っていくには。視界にウサギの形のクッキーがあって、俺は思いついた。
「……亜未さんが手芸なら。李卯さんは料理で、人間からの人気を狙います」
「は? 僕は別に、人気を得る必要は……」
「猫口玉置。ネコは李卯さんと同等かそれ以上の人気です。彼だって、何もせずとも1位になれる素質がある。ですが実際、子音さんを襲いに来ました」
「僕たちも他人事じゃないねー。それに、いつも圧勝のネズミが苦戦して、ウシが出向いたって聞いた。今の僕たち、単体じゃ負けちゃうかもね?」
「そうです。李卯さんも、何かしらの行動を取らないといけないと思います。それに俺の考えは、きっと他の十二支のためにもなります」
亜未さんと俺の畳みかけに、李卯さんは焦りの滲んだ表情をする。警戒心の強い彼なら、理解してくれるはず。
今の状況が、元十二支たちにとって危ういということを。
「そっか……僕、何も見えていなかったんだね。わかった。精霊、何か考えがあるなら、僕はその策に乗るよ」
「お任せください!」
「でもさ、具体的にはどうするの?」
「ちなみにですが李卯さん、クッキーのウサギの形は、どうやって作りました?」
「最初は自分で作ってたけど、人間が型を貸してくれた。はい、これ」
「多っ!?」
テーブルの収納から李卯さんが取り出したのは、金属のボウルに大量に入ったクッキーの型であった。
人間界には、動物の形をしたビスケットが存在する。寅琳さんの件からするに、まずは人間が動物を意識してくれるように仕向けることは重要だ。
亜未さんはおそらくそのことに気づいていて、動物のぬいぐるみを作るという選択をした。
「李卯さん、作った料理とかお菓子を、人間に配ったことはありますか?」
「ないね。つまみ食いしてくる動物はいるけれど」
「試しに、人間にウサギのクッキーを渡してみませんか?」
「そこまで言うならやってもいいけど……僕、人間とうまく関われるかどうかは怪しいよ」
「人間と接触するのが嫌であれば、俺が渡します。それで、人間の反応を観察してみてください」
「わかった。どういう意図かはわからないけど。僕にもできることがあるなら、やるよ。材料持ってくる」
李卯さんが俺の考えに乗ってくれるようでよかった。彼が材料を取りに行っている間に、亜未さんが俺に話しかけてきた。
「ウサくんを前向きにさせるなんてすごいね、精霊くん」
「亜未さん……大層なことはしてませんよ。俺は十二支に、本心のまま行動してほしいだけです」
「そっか。じゃあ、君にこれあげるよ」
「えっと……俺、らしきものでしたっけ」
「ちょっとした仕掛けがあるからさ。肌身離さず持っててよ。じゃ、僕は帰るから。ウサくんと仲良くなるの、頑張って」
亜未さんも、李卯さんのことを思っているのだろう。もらったこの毛玉がどういうものかはわからないけど、亜未さんは機嫌良さそうに家庭科室を後にした。
三合って、いい関係性なんだろうな。そう思った瞬間、また扉が乱暴に開けられた。
「わは! 勉強終わった!?」
「が、亥寧さん……」
「げ、ヒツジがいなくなったと思ったら、食いしん坊が戻ってきた。土を落としてから入って来なさい」
「亥寧さん……土まみれですけど、なにしてたんですか?」
ジャージ姿で、顔にまで土が付いている。俺がハンカチで拭ってあげると、嬉しそうに飛びついてきた。
「ウシくんの畑で遊んでた! にんじん植えたよ! もうちょっとしたらさつまいもも植えてくれるって! やったね!」
おお、さっそく園芸部は活動しているようだ。
しかし……イノシシといえば農作物を荒らすイメージだが、大丈夫なのか。
「あいつ……鈍感なくせに変な気回してるな……」
「それでそれで! ウサちゃんはまた何か作るの?」
「今回はあげられないよ。精霊の策に乗ってみるつもりだから」
「なになに!? 何するの?」
「ウサギのクッキーを人間に配るんです。そうすれば、少なくとももらった人間は、『ウサギ』という動物を意識せざるを得ないですから」
「なるほど、そういうことだったのか……」
李卯さんは何かを思いついたように、ボウルの中に入った大量のクッキー型を選別して出していく。その中の一つを、彼は亥寧さんに見せた。
「イノシシ。この形のクッキーをあげるから、明日学校で食べてみて。なるべく周りに目立つように」
「わ! おれの形だ!」
「辰の型だけないか。まあ、おいおい作ってもらうとして……精霊、今から十二支分のクッキーを作る。明日それを、当てはまる十二支に渡してくれる?」
「お安いご用です! 俺も作るの手伝います!」
「ウサちゃん! おれも型抜きする!」
「じゃあ、型抜きよろしく。僕は辰の分をどうにかするから」
李卯さん、急に生き生きしだした。俺たちに十二支の型を渡し、家庭科室の奥の部屋の方へと向かっていく。
戻ってきた彼が手にしていたものは、緑の棒であった。
「李卯さん、それって……」
「さすがに仲間外れなのは可哀想だから、特別仕様ってわけ。抹茶の色、あいつの毛の色と似てるし」
李卯さんは、十二支のクッキーを作って、人間に意識させようとしている。
俺の思い描いていた、他の十二支への協力の理想。彼は知ってか知らずか汲み取ってくれた。
「わは! ウサちゃん、おれの分終わった!」
「はやっ!?」
「精霊、考えるより手を動かして」
「はい……!」
李卯さんに言われるまま、型抜きを行った。亥寧さんが終始上機嫌に大量生産していくから、俺がやったのはほんの一部だった。
「で、できましたね。それにしても……なんでネコの形を?」
「ネズミにお礼するため」
「そ、そうですか」
寅琳さんといい彼といい、子音さんは十二支から少し斜め上の慕われ方をしている。
「ね、ウサちゃん! おれもみんなに届けたい!」
「うん、いいよ。精霊、次の当番は辰でしょ? あんたはとりあえず辰に渡すだけでいいや」
「わ、わかりました。ちなみに、2袋渡すんですか?」
「それはお礼。食べていいよ。それと、あんたの言っていた人間に渡す案は、次の当番のとき考えるからさ。そのときはまた協力してよ」
「……はいっ! ありがとうございます!」




