第38話 虎の尾
時は放課後。俺は本日の当番である寅琳さんを迎えに、1年2組へと向かっていた。
教室の近くの廊下の時点で何やら騒がしい声が聞こえ、俺は教室の中をこっそり覗いた。
「トラくんっ! ブタの話やめさせるには、どうしたらいい!」
「知らん。そういうんはセレンに聞きや。まあ今日は俺の番やけどな」
「むー! トラくんのいじわるっ!」
(け、ケンカしてる……!?)
部活動に行っているのか、幸い生徒はほとんど出払っているようで、教室内は彼らの話し声があるだけだ。
それにしても、亥寧さんが怒っている姿を初めて見た。頬を膨らませて、軽く地団駄を踏んでいる。思ったより可愛らしい怒り方だ。
一方適当にあしらうだけの寅琳さん。彼の姿からは亥寧さんへの扱いの慣れを感じさせる。
「2人とも。どうしてケンカしてるんです?」
隠れて見ていては、ケンカが激化してしまうかもしれない。そう思って、勇気を出して声をかけてみた。
しかしその瞬間に亥寧さんが反応して、一気に距離を詰められしがみつかれてしまった。
「セレン~! おれ、ブタに負けたくない!」
「うおっ、ぶ、ブタ……?」
「ネズミにとってのネコちゃんみたいなもんやで。因縁の相手ってやつやんな」
「因縁の相手……」
ブタ、豚といえば……イノシシが家畜化された動物だ。
日本で十二支の12番目はイノシシとされるが、諸外国ではブタを指すことが多い。
確かにそのことを思うと、並々ならぬ因縁はあるような気がする。
「モヤモヤする! ネズくんは、ネコちゃんと戦ったんだよね! なら、おれもブタを倒しに行っていい!?」
「えっ!? 亥寧さん、それはさすがに……」
笑顔で恐ろしいことを考えている。彼が笑っていると毒気が抜かれてしまって、どんなことも肯定しそうになって危うい。
「落ち着けや。戦いを挑んだとして、得があるんはブタだけやで? 加点されるんは、十二支以外の動物だけなんやから」
対比的に寅琳さんは冷静に状況を見ている。この前2人して掴み合っていたとは思えない。
しかしイノシシはやはり止まれないのだろうか、寅琳さんの忠告は無視された。
「わは! そんなの関係ない!」
(亥寧さーん!?)
「はあ……セレンはん、もうコイツは手遅れや。今日は俺の番なんやから、ほっといてはよ部室行こ」
「え、でも……」
強引に寅琳さんに手を引かれる中、教室にポツンと置いていかれる亥寧さんの姿が、どうにも寂しそうで。
「が、亥寧さん! それがあなたの望みなら、俺、できる限りで協力しますよー!」
そう、言ってしまったのである。
「はあっ!? おまえ本気か!?」
当然、寅琳さんに信じられないものを見るような目で見られる。わかってはいる。ただ、十二支の悲しそうな顔は見たくないのだ。
「ほんとー? わはっ、ありがとうセレン! じゃあまた明日ー!」
実際、笑顔に戻った亥寧さんの顔を見て、俺は安心してしまっていた。
さて、寅琳さんと一緒に2組を出て、部室に向かっているわけだが。
「あの、寅琳さん……視線が痛い」
「おまえ、結構アホやんな。でも、そうか……イノシシのこと、ちゃんと知らんもんな」
「な、何ですか。その感じ……」
確かに十二支のことは詳しく知らない。含みのある感じで言われると、不安が募る。
「俺は知っとる。アイツは一度決めたことは曲げへんし、気に食わんものは潰さんと気が済まん。純粋さを装った、戦闘狂やねん」
「せ、戦闘狂……?」
さっきのこともあり、説得力があるから困る。俺はとんでもないことを彼に約束してしまったのでは……?
「俺は支合のせいで昔から散々な目に合っとんで。何かアイツが問題を起こせば、止めるのは俺やし」
「え、支合にそのような役割があるんですか?」
「前にも言うたけど、支合は2人でひとつ。ネコちゃんとネズミが戦ったとき、ウシが来たやろ? 支合の危機は自分の危機、そう思うように神にいじられてしもたんや。どや、記憶にあるか?」
「記憶の方は、すみません……でも、教えてくれてありがとうございます」
そうか。支合という単語のことは、もう知った気でいた。
だけど彼ら十二支の間でどのように使われていたのかは、詳しいことを聞かないとわからない。
「ま、聞きたいことがあればその都度聞きや。積極的にいかんと、思い出すもんも思い出せへんで」
その言葉に、昼間考えていたことが頭に浮かぶ。
気になっていることを知ることは、記憶を思い出すきっかけになるかもしれない。
それに、積極性。十二支のことを頼りにしすぎていて、今の俺に欠けているものだ。
「はい。あの、さっそく気になることはあるんですけど」
「ん、なんや?」
「寅琳さん、この前バスの中でまじないと呪い、五行は使える兆しがないって言ってましたよね。あれって結局のところ、どういうことだったんですか?」
素直に疑問に思ったことをぶつける。しかし、寅琳さんは首をかしげていた。
「そんなこと言うたっけ?」
「い、言いましたよ!」
「んー? まあ、あんとき使えんかったのは確かやな。陽力はすっからかん。人間になったばっかで、勝手がわからんかったしな」
「今は、使えるんですか?」
「こんな風に、耳と尻尾を出しとけばちょっとはな」
寅琳さんから、猛獣にしては可愛らしい耳と、特徴的な縞模様のしっぽが生える。
ああ、やっぱり、中途半端な動物化が十二支の力を取り戻す……いやいや待て待て、ここは廊下だ。
「寅琳さんっ! ここじゃ誰か来るかわかりませんって!」
「目立てばええやん」
「なぜっ!?」
見てくれと言わんばかりに手を広げる寅琳さんに、俺は焦る。周りを気にしていると、向こう側からやってきた女子生徒2人と目が合ってしまって、血の気が引いた。
しかし寅琳さんは、堂々と見せつけていた。
「虎城じゃん。何で耳生えてんの、ウケるー」
「トラのコスプレー?」
「萌井と的楽やん。こすぷれはよーわからんけど。カッコいいやろ?」
(生徒の名前をちゃんと覚えている……!)
「ねえ、触ってもいい?」
「しっぽまで生えてる! クオリティたかー」
俺はこの状況を、震えながら見守っていた。この空間に入れる気がしなかった。
さすが陽。陽キャさえ惹きつけるということなのか。
ギャル風の女子生徒2人に挟まれても動ずることなく、むしろ親しげな様子だ。
「ええか、今2組ではやけにブタが人気やけど、時代はトラやねん。世界で1番強い動物やし、強運やし……」
「わーすご、ホントに生きてるみたいなしっぽー」
「ねー、耳もピコピコ動いててかわいー」
「…………」
(寅琳さんが黙ってしまった!?)
助け舟を出すべきか。寅琳さん、目が据わってきてとても怖い。
恐れを知らないのはどうやら彼女たちも同じようで、ペタペタと彼の耳や尻尾を触っている。
「なあ、あんたら。トラを可愛いと思ったんか?」
寅琳さんは沈黙の後、不服そうに2人に問いかけた。彼女たちは目を合わせて、うなづき合う。
「虎城はかわいい」
「ねー、虎城って顔整ってるよねー。みんなからはいじられてるけど」
「いじられてるのは余計や!」
2組の生徒と寅琳さんは、知らぬ間に随分と仲良くなっていたようだ。
見た目から不良だと敬遠されそうだが、まさかいじられるまでになっていたとは。
その後女子生徒2人は、部活動に行かなきゃと俺たちの元を去っていった。
俺は結局、2人から話しかけられなかった。話しかけなければいけない状況にならなかったことに、寅琳さんのコミュニケーション能力の高さを感じる。
「寅琳さん、無茶しますね……」
「危険を伴ってこそ、得られるものはあるやろ? 俺がこの姿を見せんかったら、アイツらはトラを意識することもなかったんやから。それにバレんかったしな」
「なるほど……参考になります」
虎穴に入らずんば虎子を得ず、というわけだ。
子音さんには、半端な姿にはあまりならない方がいいと言ってしまった。しかし、見せ方次第では人気を得る武器になりうるかもしれない。
「でもなあ、セレンはん……なんや俺、人間からかわいいってばっか言われる気がするんやけど! かわいい路線で攻めるべきなんか!?」
「う、うーん…… まあ、さっきの女子生徒とかには、かわいさを見せた方が効果的かもですね」
「何でや!? トラはかっこいいもんやろ?」
「だからです。人間というものは、印象と実際の落差に心惹かれるんです。トラは猛獣で恐ろしいイメージがありますが、動物園で見る限りは、日向ぼっこしていたりとネコみたいなところがあります。そこがかわいいところです」
「んなっ、俺をネコちゃんと一緒にすんなや!」
「まあ、寅琳さんの言う人気者作戦においては、動物のトラの印象は関係しないですよ。安心してください」
「……せやった。俺を人気者にしてくれるんやったな。口だけやったらすまへんからなあ」
俺も、口だけにするつもりはない。寅琳さんの期待に応えられるよう、全力を尽くすだけだ。
「もちろんです。とはいえ、寅琳さんの能力にかかっているのは前提です。具体的な内容は部室で説明しますね」
動物愛好部の部室。ホワイトボードに俺は、自分の考えた寅琳さんを人気者にするための策を書いていく。
「これからあなたにしてもらうことは、運動部の助っ人です」
「助っ人? 部活動には入らんくてええんか?」
「寅琳さんは、いろんな部活動に興味があって、決められないと言ってましたよね。なら、全部やってしまえばいいんです」
「へえ、そないなことできるんか?」
「はい。俺の記憶の人間は、特定の部活動に入らず、いろんな部活動の助っ人として活躍してました。確実に成績を残すので、周りからの信頼が厚かったみたいなんですよ」
「ふーん、俺もそいつみたいに、活躍しろってことやんな」
「はい。寅琳さんの運動能力については、信頼しています。ですが問題は、競技にはルールがあることです。いろんな部活動に助っ人として参加する以上、ルールを覚えなければまともに活躍できません」
「万能の双璧をなめんなや。できんことなんてないで」
「万能の双璧……」
あ、双璧シリーズだ。万能、というと言葉の意味どおり何でもできる、ということだろうか。
寅の向かい干支は申。なるほど、申弥さんのまじないには、万能さは滲み出ている。
寅琳さんは、どうなんだろう。彼のまじないは知らない。
だけどトラって、ライオンのように群れではなく単独行動するし、ネコ科にしては水が得意という一面もある。
動物としての生態も、影響しているのだろうか。興味深いと思うことばかりだ。
「セレンはーん、気になることがあるなら教えたるから、1人の世界に行かんといてー」
「はっ、すみません。今は寅琳さんの部活動の件が優先なので、続けますね」
まずは、寅琳さんのことだ。彼が人間の運動競技とか、どれくらい理解しているのかわからないけど、できることを探そう。
「では、寅琳さん。見学した部活動の中で、1番最初にやりたいとすれば、何ですか?」
「んー、アレや。ウシとセレンはんが俺に会ったときの……」
「野球ですか……結構ルールは難しいんですよね……」
「難しいんか? 球打って走るだけやん。あ、投げたり捕ったりもか」
人間は、小さい頃から様々なスポーツに触れる。体育の授業の中で、友達と遊んでいく中で、そのルールを理解していくのだ。
しかし寅琳さんには、その経験がない。
「ほな、行こか」
「えっ、どちらに」
「なんにせよ、俺は人間の球遊びの決まり事なんか知らん。グダグダ悩むより、実際にやった方がええやろ。俺ならできる気もするし」
俺ならできる気がする。言ってみたいものだ。しかしその姿勢は見習うべきだ。あれこれ悩むより、挑戦した方が得るものは多い。
実際、寅琳さんは体現している。自ら食堂のおばちゃんに話しかけていたし、クラスメイトの名前をしっかり覚えて馴染んでいる。
ポークソテーはきれいに食べられない。
でも彼はもうすでに、人間らしくこの学園の生徒として過ごし始めているんだ。
なら、その彼の勢いを、俺は信じる他あるまい。
「わかりました……では、グラウンドに行きましょう!」




