三章 トンボ草とエピローグ 6
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真っ赤な夕日が西に居並ぶ小高い山々に沈んでいきます。
青ざめ、その色を益々濃くしていく空を見上げて、なんとは無しに星の輝きを探します。
私たちが経験している事の意味をぼんやりと考え、霧がかった脳内の思考を取りまとめ、これから自分が取るべき方針を勘案し——確証を得なければなりません。
白い家は夕日で鮮やかな赤に染まり、何もない丘に美麗な景色を演出していました。
「中尉ですのニャ!」
ぴょこんと耳を立て、庭の菜園から顔を上げたのはケメットでした。
彼女はザルに採れ立ての野菜を載せ、戦利品のごとく見せつけてきます。
「ケメット、大佐は?」
「ウチが帰ってきたときにはまた葡萄酒を空けて寝転がってましたニャ」
ダメ人間じゃないか、という私の所感はさて置き、あれほどの賢天の魔術師が情けないったらない。しかし——。
「上手くたらし込んだってわけね。並みの人間よりもやり手じゃない」
「なんの話ですのニャ?」
「こっちの話よ。お婆さんはどうしてる?」
「夕飯の支度をしております。ウチは野菜の収穫ですのニャ」
「そう……普通に生活してるのね」
「どうしたのです中尉……なんだか言動が不審です。不審者です」
お前に言われたくない、と彼女の肩を叩いて野菜が載せられたザルを引っ手繰りました。
「こんなに抜いちゃって、どうするのもう。さっさと戻りましょ、イライザさんが待ってるわ
「ニャ?」
この奇妙な感覚はまるで水の中にいるようでした。
地に足がつかない浮遊感が付き纏い、脳が紗々で覆われているかの如く、あらゆる思考が不明瞭にぼかされる。現実であれば、もやもやして居住まいも悪いく、たまらなくなって駆け出してしまいたい衝動に駆られるかもしれません。
この感覚に似た出来事に覚えがあります。
大佐と初めて出会った日、白昼夢にでも迷い込んでしまったかのような、あの喫茶店。
しかしあの時とは打って変わり、この感覚はとても居心地が良い。
所謂、夢見心地というやつです。
「あの、お尋ねしたいことがあるんですが、よろしいですか?」
夕食の席で、私は徐に老婆に尋ねました。
食卓を囲むのは私とケメット、そして老婆の三人。
大佐は気持ちよさそうにぐっすりと眠り込んでおり、叩いても蹴っても頬を抓っても起きなかったので放置してきました。あの人は恐らく丸一に惰眠を貪ることになるでしょう。
「何かしら、改まって」
なんでも聞いてちょうだいと気持ちよく応じてくれる老婆。
「この土地に伝わる創造器の話です。『トンボの聖女』伝説は、ご存知ですか?」
「ああ、それならわかるわ。大昔に寝物語で何度も聞かされたもの」
「私たちが探している奇跡の家は、おそらくその伝説に登場する創造器が原因であると、私たちはそう考えています。何か知っていることはありませんか?」
老婆はそうねぇ、とまた顎に手をやって首を傾げました。
「大まかな話であれば、もう知ってるのよね? 残念だけれど私も人並みにしか知らないものだから……ああ、でも待って。昔、あの人が言っていたわ。虹色に光るトンボを見たんだって」
「あの人……昔の恋人さんですね」
「ええそう。昔から夢見勝ちな人だったのよ。建築家を目指していてね、いつもアルビオン一の建築家になるんだって言い張ってた。結婚の約束をしてからも、将来自分たちが住む家を俺が建ててやる、お前の好みに合わせてやるよって。釘の打ち方だって私の方が上手かったのに、よく言うわよね。それで、あの人が王都に召集される日だったわ。朝早くに呼び出されて、眠い目をこすりながら丘の上で落ち合ったの。そこで聞いたわ。実は昔、虹色のトンボを拾ったんだ。きっと昔話に出てくる虹のトンボだ。だから願い事をしておいた——ってね」
昔を懐かしむように、老婆は穏やかな顔で滔々と語ります。
「その願い事はきいたんですか?」
彼女は頷きました。
「ええ。立派な建築家になること。そして——」
お前のところに帰ってこれるように——。
「大した願掛けよね。持っているのなら私にも見せてって言ったら、願いが叶う前に見せたら叶わなくなっちゃうだろ、なんて勿体ぶっちゃって……結局いつまでも見せてもらえないんだもの」
待たされすぎてこんなに皺くちゃになっちゃったわ、と彼女は笑いました。
「こんな話しかできないけれど、何かお役に立てたのかしら?」
「ええ、十分です」
日をまたぎ、客室のベッドで仮眠を取っていた私は予定通り日の出前に目覚めました。
子供部屋のような作りをした二人部屋で、隣のベッドにはケメットが眠っています。
窓の外を覗けば、依然として薄闇に包まれていました。
時刻は恐らく朝の四時に近いはず——サイドテーブルに置いていた懐中時計に目を凝らし、自分の体内時計の正確さに感心します。
予め用意していたので手際よく身支度を整えると、ふがふが寝言のうるさいケメットを起こしました。
「眠いですのにぃ……何なんです眼鏡ど——中尉どの」
「眼鏡どのって何よ!? 起きろ馬鹿! 寝る前に言ったでしょ、はやく起きなさい。この時間帯じゃないとだめなの。奇跡の家が見れるはずよ。大佐も起こさないと」
「ニャ?」と恍けた顔のケメットをベッドから引っぺがして急かしました。
大佐は一人部屋に寝泊まりしており、結局夕食にも降りてはきませんでした。
それにしても異常なほど深い眠りに落ちている大佐に、不穏な予感を抱きました。
もしかすると、自分が考えていることに関係があるのではないか——そうした一抹の不安がある中、準備を終えたケメットと二人で彼女の部屋に入ると——。
「遅い」
「大佐!」
「やっと起きたニャ」
開口一番、非があるように咎められるのは心外です。しかし驚いたことに、こちらの動きを予期していたかの如く彼女はいつもの鳶色のスーツ姿で待ち構えていました。
「もしかして、大佐も気づいていたんですか?」
「あんまり居心地が良かったから、少し堪能していただけよ。あんたの方は、調べはついたの?」
「恐らく」
そう、と簡潔に頷く大佐。
対照的にケメットは頭上に『?』いくつもを浮かべて「なるほど?」とわかっていないことがわかりす。
大佐のこの態度を見れば、もはや裏付けが取れたも同然でした。
あとはこれまでの、私が賢天の魔術師シンクレアと関わってから起きた、すべての事件の真相を暴くのみ——。
家から出てみると、窓越しから見た風景とは全く違う別世界が広がっていました。
目の前の光景は、まるでおとぎ話にみる世界。
近いところで言い表せば、パンシパル教官が自らの業に捕らわれた事件の最後、大佐の賢天の秘奥によって浄化された中庭に近いもの。
可視化されたマナが発光していたあの時のように、老婆の家の周りに生い茂る雑草が青白い光を纏っていた——と言うとこれだけでは少し語弊があります。老婆の白い家がある小高い丘に群生した草花の全てが光を放ち、丘全体が老婆の家を淡い光で浮かび上がらせている。そのため、まるで雲の上に居るかのような錯覚を受けました。
「ラベンダーですのニャァ!」
このわかり易い異変には目もくれず、ただ単に青い花というだけで目の色を変える哀れなケメットは、一目散に草地に飛び込もうとします。しかし、彼女の襟を掴んだ大佐がそれを引き留めました。
「あんたの目は腐ってるの? あれはラベンダーじゃない」
「で、ですが青です。ラベンダーだニャ! 取りに行かせてください——後生ですニャ!」
そんな超理論では世の中のあらゆる花々がラベンダー化してしまいます。金の亡者と化し、素直に花を愛でることができない彼女の後学為にも、補足して差し上げました。
「ケメット、あれは露草よ」
「つゆくさ?」
「朝梅雨に合わせて花弁を開く青い花のこと。パンシパル教官が見た青い花っていうのは、きっとこれのことだったんでしょうね」
「そんニャッ!? ウチは騙されました?」
「あなたが勝手に勘違いしただけなんだから、そっちはもう諦めなさい。第一、ラベンダーと露草なんてどうやったら見間違えるってのよ」
がくり、と膝から崩れ落ちたケメットは、「ウチの夢が……」と項垂れてしまいます。神秘的な景色が目の前にあるというのに、自分が関心のある物以外にはとことん無関心。ある意味、外見通りのケメットでした。
「さて、ルイズ。本題に入りましょうか」
いつになく柔和な表情で腕を組む大佐の視線がこちらに向けられます。
さながら教壇に立つ教師のような態度。
課題の発表を促されている学生の気分になり、ふとこの構図を俯瞰してみて、大佐から魔術を教えて貰えないだろうかという思いが過ぎりました。ロンデ二オンに帰ったら、本格的にご教授願えないか訊いてみることにしましょう。
と、それは別として、明確な指示を出したわけでも出されたわけでもなく、目的達成のために動き、動いたのだろうという目される——信頼されて任されたことが少し嬉しく、大佐の麾下に就いてようやく肯定的な関係の醸成が図られつつある。
この事実が、ドナルドカンパニーを私にとって居心地の良い場所だと、改めて思わせてくれますし、それに応えなければなりません。
「では——ご報告申し上げます。結論から言いますと、噂にあった幽霊屋敷——奇跡の家とは、まさに今、私たちの目の前にあるこの白い家のことです」
「でも……消えてなくなったりしませんでした。最初からここにありましたのニャ」
のそのそと立ち上がるケメットがそんなことを言います。
「ええ、そうね。噂とは明らかに違う形になった」
「その結論に至った理由はなに?」と大佐。
「私が奇跡の家の調査に出た際、教会で老婆に偶然会いました。私たちが見知っている、この家の老婆です。ですが、彼女は私たちのことを知りませんでした。お尋ねしますが、彼女の名前をご存知ですが? 食事を提供してもらい、二晩も屋根を貸してくれた恩人の名前を——」
ここでようやくケメットがはっとした表情をして家を振り返ります。
「私たちはとっくの昔に現実との境界線を踏み越えていたんです。夕食のとき、この家の老婆にいくつか質問しました。その質問は、昼間に私が出会ったイライザという女性と全く同様の質問です。そして両者の答えは一致しました。イライザさんのご自宅は教会を挟んで南にあるごく普通の農家で、その経歴や家族構成、昔の恋人の話、その全てが一緒だった――どちらかが、イライザという女性を模倣している。言うまでもありませんね」
なるほど、と大佐は深く頷きました。
「ところで、大佐はどのあたりで気が付いたんですか?」
「そんなの簡単。飲みすぎて唸ってるときに、薬が欲しいと思えばいつの間にか枕元に置かれてるし、水差しが欲しいと思えば視線を外した隙に用意されてる。お腹が減ったなぁって思ったら、ひざ元にサンドイッチがあったんだもの。そりゃあもう普通なわけないし、思う存分堪能するでしょ」
「……」
私がバカみたいじゃないか。費やした労力の全てが否定された気分です。
「ルイズ、むすっとしないで」
「大佐は私が駆けずり回っていたあいだ、食っちゃ寝し放題だったわけですね」
「しょうがないじゃない出てくるんだもの! それにあたしだって好き勝手してたわけじゃないの。ちゃんと検証することが目的だったんだからね!」
失礼しちゃうわ、とそっぽを向く大佐。検証云々というのは眉唾でしたが、いずれにしてもこの『奇跡の家』が起こせる『奇跡』を知ることは重要です。
何しろこの家は、怪盗オマールやパンシパル教官が偽の創造器を手にした元凶と目されているのですから。
「それで、どうしてこうなっちゃってるのかってのが重要だと思うんだけれど?」
まじめな話題で追及を振り切ろうとする大佐。
自分だけ良い思いをしていた彼女に詰るようなジト目を向けながら続けました。
「推測の域をでませんけれど、恐らくこの奇跡の家は、この一帯に群生している露草を拠り所としているんじゃないでしょうか。露草の生命力が活性化する時間帯——つまり早朝に、力が外界に溢れ、噂になっていたんじゃないかと」
この説は自分的には有力だったのですが、なぜ露草? という疑問には到達できていませんでした。ところが大佐は、得心いった風に「ああ」とこぼします。
「ルイズ、露草の別名を知っている?」
「別名? ありましったっけ、そんなもの。花言葉ではなく?」
「露草の別名——というか、勘違いかしらね。トンボ草って呼ぶ人も居るわ」
「トンボ草——そうか」
とんぼ。
思い返してみれば、私たちが関わった事件には常にトンボの姿があったはずです。
オマールの創造器である魔法の杖にあしらわれた装飾、パンシパル教官が首から下げていたタリスマン。トンボ形をした偽の創造器という共通点。そして、この土地に伝わる伝説『トンボの聖女』——創造器『虹のトンボ』。
暗闇に灯る点と点が線で結ばれ、星座のように形が浮かび上がってきました。
「ところで、どうしてトンボ草なんですか?」
「トンボが露草の花弁を食べているって、どこかの誰かが言い出したんじゃないかしら。トンボは肉食だし、きっと花びらについた朝露を飲んでいたか、単に羽休めしていたところを見て勘違いしたんでしょう」
「なるほど……」
大まかなところは私たちの見立て通り、その筈ですが、決め手に欠けます。
多くの者に幽霊屋敷と呼ばれるほど噂になりながらも、その実態を隠し続けることができたこの奇跡の家。オマールとパンシパル教官に対し、創造器に並ぶ力の魔道具を授けた。そして——人間ですら模倣してのけるマナの源泉。
「この周辺のどこかに創造器『虹のトンボ』があるはずです」
私がそういうと、大佐がふと家を振り返り、誰かに話しかけました。
「できることならあなたから理由を聞きたいわ。どうして人々の願いを叶え続けるのか、その理由をね」
視線の先には、軒先にひっそりと佇む老婆の姿がありました。
私が日中に出会ったイライザさんと瓜二つの顔。彼女は穏やかな笑顔で私たちを見つめ、静かに草原へ――ほんのりと光を湛える露草畑に歩を進めます。
「あなたが、伝承にある『虹のトンボ』……さんなんですか?」
正体を知り、どう接してよいかわからない私は遠慮がちに尋ねてみました。
すると老婆は空を見上げます。依然として星々が輝く空は、深い青と澄んだ白に二分され、夜と朝が同居しているようです。
「私は、待っている」
「何を?」と大佐は問いかけます。
「願いが、叶う日を——」
粉雪のように大地から光が噴き上がりました。
突然のことに驚いた私たちは対処のしようもなく、互いの位置を把握することすらできないまま無数の光の粒に呑み込まれてしまいます。
セピアに色褪せた遠い日々の記憶が、郷愁という優しく肌触りのよい衣で私を包み込んでいきました。蘇る誰かの思い出は、情景となって訴えかけてきます。
長い長い年月を暗い棺の中で過ごしていた。
気が遠くなるほどの時間を、暗く狭い静かな場所で、消えることもなく永遠に在り続ける——この世界が終わるその日まで。その筈だった。
暗い石櫃に光が差し、教会跡地の床から私を拾い上げたのは、純朴そうな少年だった。
彼は私の造形を大いに気に入り、汚れた身体を丹念に磨き上げた。私がかつての姿を取り戻すと、彼の関心はさらに高まり、私を家宝のように大事にしてくれた。
私にとっては一瞬の出来事でも、彼にとっては重要な数年間を共に過ごした。
彼はよく夢を語った。
「将来はアルビオンで一番の建築家になるんだ。大聖堂だって手掛けてみせる」
色恋沙汰に奥手だった彼は、私を握りしめ、初めて何かに(・・・)願った。
「明日はちゃんと告白する。明日こそは、明日こそ……告白できますように」
そんなことならばお安い御用だ。
想い人と対面したとき、彼の足元に石ころを差配して転ばせてやった。
転倒してもつれ合う二人の唇が重なったのは喜ばしい事故だった。
彼はその時の勢いを借りて、想いを伝えたのだ。
結果的に告白は成功したが、想い人が彼を好いていなかったらどうなっていただろうか。その責任は取れないが、二人の後押しができたことに満足だった。
月日は流れた。彼は私をお守りのように肌身離さず持ち歩くようになっていた。かつての彼女のようで、懐かしい気持ちになる。告白が成功したのは誰のお陰か理解しているようで、私も気分が良い。
だが愉快な日々は唐突に終わってしまう。
彼の元に召集令状が届いたのだ。
願ってくれれば良かったものを、なんでも良いから、願ってくれれば良かった。行きたくないと、思うだけでも良かった。やりようはいくらでもあるのに、少年から青年へとなった彼は、必ず帰ってくると誓うばかりだった。
彼からの願いが聞けぬまま、刻々と時間は擦り減っていく。残された時間を彼は勉学に当て、図面を引いては頭を悩ませいた。想い人の好みを聞き出し、それを反映させては図面と向き合った。彼女が好みそうな、可愛らしい白い家のスケッチを垣間見て、いくら何でも少女趣味すぎやしないかと、逆に心配になる。
少しだけでも、と彼は作業に取り掛かった。
露草が生い茂る丘の頂に、学んだ知識を生かして家づくりの基礎を築いた。
だがそれまでだった。
私は彼を守るつもりだった。死にたくないと願えば、私は十全に力を振るおうと、そう思っていた。なのに彼は、私を家の基礎と一緒に、再び石棺に閉じ込めてしまった。
どういうわけか、彼も彼女も、命の危険が及ぶ場所に私を連れて行かない。もどかしい。
想い人の元に帰えれるように——その願いとも誓いとも取れる言葉を、聞き入れたまま、私は一人、暗く静かな部屋で時を過ごし続けた。
願いを叶えるために私はあらゆる手段を講じたが、彼の元にまで届く力はなかった。
誰かの願いに依存すること以外に無価値な私は、願う者こそが本質だった。
時折、力を持つ者が私の影響下に踏み入ることがあった。
その者を通じて彼の帰還に繋がるよう力を与えたが、私の願いは届かなかった。
時間だけが過ぎていく。
また暗く、静かな時が流れていく。
そしてある日、再び力を持つ者が近づいてきた。
姦しい三人の娘たちだった——。




