三章 トンボ草とエピローグ 7
7
教会の前に置かれたベンチに座り、私たちは馬車が来るのを待っていました。
特にやることも無く、手持無沙汰だった私は澄み渡った青空を見上げます。隣に座る大佐も同様で、だらしなく背もたれにしだれかかって心ここにあらず。さらにその隣では、ケメットが独り言を呟きながら、手中で何かを弄繰り回しています。
「どうして喋らないのです。ウチの願いを叶えて欲しいニャ。ウチに世界の半分をくださいと言っておりますのに。油田でも良いです。壊されたいのです?」
何を物騒なことを言っているのでしょう。それとあなたの夢は農園だった筈では? 世界の半分とか油田とか吹っ掛けるのも大概になさい。それにラベンダーはどうしたの――そうツッコむ気も起きずに聞き流していたのですが、彼女が安易に手中で遊ばせている物を見止め、意識を引き戻されました。
ケメットが手にしていたのは、七色の輝きを内に秘めたトンボの形をとるガラス細工。
創造器『虹のトンボ』に他ありませんでした。
「何してるのよあなたは!」
玩具じゃないんだから、とその美しく繊細な造形を持つ秘宝を取り上げようとします。しかしケメットは、私の手を押さえつけ、高く持ち上げて抵抗の構えでした。
「ダメです! これはウチのだニャ!」
「創造器の所有と使用には国の承認が必要なのよ! 誰の物でもないんだから渡しなさい。あなたが持ってたら無くすか壊すかするんだから。どれだけ貴重なものかわかってないんだわ!」
「ひどいですのニャ! ウチは童ではありません!」
死んだ魚のように目の据わった大佐を挟み、私とケメットは取り合いを始めました。
なぜ私たちがこの創造器を手にして醜い争いをしているかと言えば、数時間前のこと。
虹のトンボの記憶に触れ、その過去の出来事や想い、願いを叶えてやれなかったことへの無念を知りました。
あの場所に満ち満ちでいた煌びやか光は、虹のトンボが留めていた彼と彼女の思い出の数々だったのでしょう。この場を離れられぬ自分に代わり、願いを叶えてくれる者を求めて、数々の騒動が引き起こされる原因となってしまった。
創造器は私たちにすべての思いをぶちまけた後、満足したかのように幻惑を解きました。
幻想的な光と共に、私たちを泊めてくれた老婆の白い家も、老婆自身も消えてなくなったのです。
露草が生い茂る丘に残されたのは、記憶の欠片に見た家の基礎だけ。
長い年月を放置され、すっかり緑に呑まれていました。
その中に小さな石積みの祠があり、虹のトンボが収められていたのです。
「うるさぁい!」
大佐の一喝と共にゲンコツが私とケメットの頭に落とされます。
私たちに挟まれもみくちゃにされていた大佐は、髪の毛を飛び跳ねさせながら柳眉を吊り上げ「ふんす」と鼻息荒く腕を組むと、どっかりベンチに座りなおしました。
目尻に涙を溜めて私が頭をさすっていると、叩かれ慣れてビクともしないのか、ケロッとしたケメットが勝ち誇った表情を向けてきます。なんて下士官でしょう。
諦念のため息をついて、また空を見上げました。
視線は青々とした空へと届く前に、人工物が遮ります。電線でした。
この地へ訪れた当初は電線が通っていることなど確認できなかったのに、それが普通に教会にまで繋がっているのです。恐らく、この街道に足を踏み入れた段階で、私たちは創造器の干渉下にあったのでしょう。他者に力を与えるばかりか、現実まで歪め、あまつさえ人を模倣し、恩人への義理を立てる……自立型の創造器とはかくも驚異的であると思い知らされました。
そして、その創造器は我々の手の中にあるわけなのですが——。
「大佐、本当に持ってきてよかったんでしょうか?」
「まだ言ってるの? あんたも納得したでしょうに」
「ですけど……なんか気持ち悪いっていうか、もやもやするっていうか」
「おさまりが悪い感じですニャ? 男でいうところのポジションが悪いという」
「ポジション? なんの話?」
ケメットの言う意味が分からずにいると、「はしたないわよ」といって大佐が彼女を小突きました。いったい何の話なんでしょうか。わかります?
「あのまま放置すれば、どこの馬の骨ともわからない奴に偽の創造器を与えるかもしれないし、そのトンボだって、悪意のある奴に回収されるかもしれない」
虹のトンボを回収したことで、私たちは見事に仕事をやり遂げました。立て続けに起きた創造器がらみの事件の真相もこれにて解明され、一件落着。その筈でしたが、もどかしさが残ります。虹のトンボが望むような結末を私たちは用意できない。
イライザさんの恋人で、虹のトンボを見つけたあの青年は恐らく五十年前の戦争で亡くなっている。だからと言って、慰霊碑のように創造器を置いていくわけにもいかず、形見としてイライザさんに差し出すこともできない。
二人と一器の想いを汲んでやれないことが、もどかしい。
「もう諦めなさい。あたしたちにできることなんてないの。願いを叶えるのも、奇跡を起こせるのも、当人たちだけ。あたしたちは何処までいっても部外者よ」
「大佐って、ロマンバカの癖に変なところでドライですよね」
「はぁ? あたしは出来ることとできないことの分別をちゃんと持ってる」
「じゃあアルトロモンドはどうなんですか」
「あれは出来るから言ってるの! 見つけられるの!」
「流石大佐ですのニャ! 自分に甘い、そんなところに惚れ惚れしてしまいます」
嫌味かお前はッ! と大佐はケメットの首を絞めて振り回します。
詰るようなことを言いましたが、私もわかっていたこと。ただ諦めきれなかったのです。せめてイライザさんに、事の次第を伝えたいという思いがありました。
造りかけの白い家。
きっと二人で一緒になった暁には、あれやこれやと言いながら、虹のトンボが見せてくれたあの可愛らしい家を完成させたことでしょう。
ただ、事実を伝えてお節介をしたところで喜んでくれるかというと、わからない。恋人を待ち続けることを選んだ彼女に終わりを見せてしまうかもしれない。そうなれば、彼女は本当に一人きりになってしまうのではないか——こうした逡巡が、動くに動けない理由でした。
悶々としているうちに、終わりの時は近づいてきます。
教会の電話を借りて寄越してもらった馬車がやってきたのです。
「あれ……? おかしいですよ。二台も来ちゃってますね」
「ルイズ、あんた間違えて呼んだんじゃないの?」
「いやそんなはずは……」
「一人一台です。大佐は走ってくださいニャ」
「なんでよ! あんたが走りなさいよ!」
私たちの前で馬車が止まると、中から降りてきたのは意外な人物でした。
「鼻血の人ですのニャ!」
代金を御者に手渡していた老紳士は、声を上げたケメットに気づき、孫に再開したかのように相好を崩しました。
「おお、これはこれは、あの時のお嬢さん方だ。その節はどうも」
帽子を上げて挨拶してくる彼は、プラムターナに向かう列車の中で出会った義足の老人その人でした。私たちは口々に挨拶をしましたが、図々しくもケメットはその目的を尋ねます。
「なんでここに来ました? ウチたちが恋しかったですのニャ?」
「ははは、それはもう、みなさん魅力的な方々だからね。是非お茶にお誘いしたいが、こんな農村では粉ひき小屋で安い紅茶を啜るくらいしかできないのが残念」
冗談めかして老人は笑い、杖を支えに難儀そうに左の義足を確りと立たせます。
「実はね、私はこの村の出身なんだ。町の兄弟の家に厄介になっていたんだが……」
次に老人の口から語られた話に、私はぞくっとするような興奮を覚えました。
今すぐにでもこの話を誰かと共有したくてたまらない、幸福感と達成感に満ちて、屈みがちだった背筋も自然と立ち上がる。今すぐにでも、駆け出したくなるーーそんな衝動。
曰く老人は、昔の大戦で徴兵され、ミッドガーズの激戦地で歩兵として戦ったのだそうです。しかしその後、捕虜となってミッドガーズに抑留され、他の二〇万人近くの捕虜たちと一〇年以上かの地で強制労働者として過ごしました。
虜囚の身となった彼は炭鉱の事故で左足を失い、夢も希望も無い失意のうちに自殺を図ったのです。しかし、彼が収容されている傷病者施設の看護婦に寸でのところで止められました。それが運命の出会いだったようです。
捕虜の交換が行われ始めた大戦終結から七年後、彼は辛抱強く自分を治療し、話し相手になってくれたその看護婦と恋に落ち、ミッドガーズに留まることを決めました。
両国間で講和条約が結ばれて以降、ミッドガーズで生活の基礎を築きます。大工であった看護婦の父親に気に入られ腕を磨き、予てより志していた建築家の道を歩みました。
遂には彼女と結婚して子宝にも恵まれます。
そして月日は流れ、彼は妻を病で失い、息子たちはミッドガーズで家庭を持ち、独りとなったところで、終わりの地を求め、六〇年ぶりの帰国を果たしたのでした。
「では、お元気で!」
「ばいばいニャーッ!」
私たちは馬車の車窓からそれぞれ別れの言葉を口にし、大佐は男に気を持たせるときに使うようないやらしい目つきの目礼を送ります。帽子を掲げて見送ってくれた老人がどんどん遠く、小さくなっていきます。彼は踵を返して教会に足を向けると、教会の脇道から見覚えのある女性が姿をみせました。
毎日毎日、欠かすことなく、足繁く通い続けた教会への道。
今日もあの老婆は——イライザさんはいつものように足を運んだのでしょう。
いつ来るともわからない逢瀬を願って——。
私は嬉しくなり、大佐も同じ思いを抱いているかと彼女を見ました。
奇跡は、その場所に歩み続けた者だけにだけ与えられる——諦めなかった者だけに、奇跡というものは舞い降りる。そう思わずにはいられない。
「大佐……私たち、いつかアルトロモンドを見つけられるような気がします」
ふん、と大佐は鼻を鳴らして満足げに微笑みました。
何か〆の言葉でも言おうかという雰囲気の大佐——しかしその傍らで腕が上がります。
「願いは、叶うのニャ——ッ!」
唐突に腕を振り上げ叫んだケメット。その手中には、虹のトンボ。
ポンと私たちの目の前で煙が爆ぜ、ラベンダーの花束が現れました。バサッと、ラベンダーがの床に落ちたのを皮切りに、次々に青い花が宙を舞い、客車は瞬く間に溢れんばかりの花が咲き乱れます。
「何やってんだ馬鹿ネコッ!」と怒鳴る大佐、けたけた笑って歓喜するケメット。このいつものやり取りが可笑しくて、同時にこれくらいが私たちにはお似合いだと思い、花の海に埋もれながら笑いました。
大変なことも多いけれど、今は毎日が楽しい。
天国のお爺様、ルイズはいつかきっと、この仲間たち一緒に辿り着いてみせます。
幻の扉、アルトロモンドへ――。
おしまい




